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古本夜話1395 高村光太郎訳『回想のゴツホ』

 前回、大正時代に高田博厚が高村光太郎たちと交流して彫刻を続ける一方で、叢文閣からロマン・ロランの『ベートーヱ゛ン』などを翻訳していたことにふれた。

 それは高村のほうも同様で、やはり同時代に叢文閣から『続ロダンの言葉』(大正九年、『ロダンの言葉』は阿蘭陀書房、同五年、のち叢文閣、昭和四年)、エリザベツト・ゴツホ『回想のゴッホ』、ホイットマン『自選日記』(いずれも叢文閣、同十年)を翻訳刊行している。これらのうちの『回想のゴッホ』を浜松の時代舎で見つけてきた。
 
(『続ロダンの言葉』) (『回想のゴツホ』) (『ホイットマン自選日記』)

 同書は高村も「小序」で断わっているように、『近代出版史探索Ⅴ』996の同じ叢文閣の有島生馬訳『回想のセザンヌ』の「体裁を踏襲」したもので、四六倍判のフォーマット、ページ数も同様だが、モノクロながら、それぞれ一ページ、三六点の作品を掲載している。この書影だけはかつて『高村光太郎』(「日本の文学アルバム」19、筑摩書房)で目にしていたが、実物を入手して、それが裸本だとわかった。手元にあるのはゴツホによる海岸のスケッチを表紙カバーとしていて、出版からすでに一世紀を閲していることを考えると、カバー付きはめずらしい一冊なのかもしれない。

(『回想のセザンヌ』)

 奥付には大正十年四月発行とあり、訳者高村と発行者足助素一が並び、その上の検印紙には高村の印が押され、定価四円で、大判の美術書ということもあってか、当時としては高定価だと見なすべきだろう。高村は大正三年に『青鞜』同人だった長沼智恵子と結婚し、『近代出版史探索Ⅵ』1023の抒情詩社から詩集『道程』を自費出版し、それから絵画や彫刻と併走するように、翻訳を手がけていく。そこには二人の芸術生活の上での不如意、智恵子の父の死が関係しているとも考えられるし、『回想のゴッホ』の高村の検印は一世紀前とは思えないほどにくっきりと生々しく残っている。この検印は智恵子によって押されたのではないだろうか。

 初版千部とすれば、足助のことだから翻訳印税を一割ほどに想定しているはずで、それは百円ということになる。実際にどれだけ売れ、印税もどれほど支払われたかはわからないにしても、二人の芸術生活の支えになったことは間違いないだろう。それは高村の「小序」に見える足助と田中松太郎への謝辞からもうかがえる。この田中のほうはカラー印刷技術を導入した田中半七製版所創業者で、実際に『回想のゴッホ』の印刷を手がけている。ただ気がかりなのは、このような大判の高価な美術書の流通販売で、しかも大正十二年には関東大震災も起きていることを考えると、苦戦したと見なすほうが妥当であろう。

『回想のゴッホ』の著者のエリザベストはゴツホの妹で、原書はオランダ語かドイツ語のようだが、その英訳Personal Recollections of Vincent Van Gogh (by Dreier ,1913)によった重訳である。足助の勧めによる翻訳だと明記されていることからすれば、彼が入手し、その翻訳を依頼したことになろう。「私は此を訳しながらフアン・ゴツホの精神に打たれて幾度か筆を措いた。味へば味ふほど深い彼の心は凡ての人に向つて一つの消ゆる事無き天の火となるであらう」と高村は述べてもいる。
 
Personal Recollections of Vincent Van Gogh

 ゴツホが膨大な手紙を書いている弟のテオのことはよく知られているが、テオだけでなく、妹もまた「兄の番人」だったのであり、エリザベツトという妹の存在はここであらためて認識することになる。彼女は少女の頃に、十七歳の長兄に孤独な天才を見出していた。

 奇妙な顔で若々しくなかつた。前額には既に一ぱい皺があり、大きな、立派な眉の上の眉毛は深い物思に引寄せられてゐた。小さくて奥の方にある眼は、時の印象に従つて、或は青く、或は緑であつた。しかし斯かる一切の無骨さと醜い外観とあるに拘らず、人は其深い内面生活の紛も無い表象を通して、一個の偉大性を意識したのである。

 この妹の証言と照応するように、高村はその巻頭の「標題画」としてゴツホのアルル時代の「自画像」を掲載している。それに続いて挿画第一図に「向日葵」を引き、「大正九年冬日本に初めて将来されたゴツホの油絵、山本顧彌太氏から白樺美術館に寄贈」とのキャプションが付されている。ここでゴツホの作品が初めて日本へと到来したのはその死後三十五年を経てからであることを教えられる。山本顧彌は実業家で、白樺派のパトロン的存在であった。

 このように『回想のゴッホ』はその作品を多く収録し、当時のゴツホ関連書をしては誇るべきものだと推察されるけれど、残念ながらカラー印刷はなく、これも無いものねだりになってしまうが、私の偏愛する「カラスのいる風景」が収録されていない。私はこの絵の額入り複製を郊外のリサイクルショップで見出し、玄関の壁にかけている。それこそこれも半世紀前に読んだアントナン・アルトーの『ヴァン・ゴッホ』(粟津則雄訳、新潮社、昭和四十六年)のことを忘れないようにしている。それはアルトーによる「カラスのいる麦畑(風景)」論でもあったし、「死の二日前に描かれたあのからすたちは(中略)ヴァン・ゴッホによって開かれた或る謎めいた陰気な彼岸を通して、ありうべき彼岸や、ありうべき或る恒久的な現実に至る秘密の門を開いている」と書きつけていた。そしてアルトーはこの「からすたち」を描いた後で、ゴッホが「なおも何か絵を描いたなどということも、どうにも考えられない」とまで言い切ったのである。

ヴァン・ゴッホ (1971年)  

 それからアルトーのゴッホ論とはリンクしていないが、つげ忠男が「丘の上でヴィンセント・ゴッホは」(『つげ忠男作品集』所収、青林堂、昭和五十二年)を書き、ゴッホの謎めいた生涯と自画像史をたどり、その三十九歳のピストル時代までをたどっている。アルトーやつげ忠男ではないけれど、戦後の一時期にはゴッホの時代があったように思われるし、その嚆矢となった一冊がこの高村光太郎訳『回想のゴッホ』だったのではないだろうか。

(『つげ忠男作品集』)


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