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古本夜話1396 小坂狷二『エスペラント文学』と日本エスペラント学会

 高杉一郎は『ザメンホフの家族たち』所収の「日中エスペラント交流史の試み」において、国際文化研究所、『国際文化』、夏期外国語大学のエスペラント学級講座の開設が三位一体のようなかたちで、多くの社会主義的、マルクス主義的エスペランティストたちが巣立っていったのではないかと述べ、次のように続けている。これは『スターリン体験』では、言及されていなかったので引いてみる。

 スターリン体験 (同時代ライブラリー)

 このあたらしいエスペラント人口を背景にして、一九三〇年の秋ごろから、武藤丸楠を署名人として、六巻ものの『プロレタリア・エスペラント講座』が出版された。この講座は、中国共産党や中国紅軍、福建ソヴェートを紹介するエスペラントの手紙が読みものとして編集されていて、目を見はるような内容であった。講座は、いわゆるプロレタリア=エスペランティストたちを、全国的な規模でさらに大量に養成する結果とった。そして、その勢いのおもむくところ、一九三一年一月、日本プロレタリア・エスペランティスト同盟(ポ・エ・ウ)の創立となり、機関誌『プロレタリア・エスペランティスト』(のちに『カマラード』と改称)の創刊となった。滔々たるこの運動のなかで、すくなからぬ数の中国留学生もまたエスペランティストとなった。

 それからさらに「ザメンホフの家族」としての中国と日本のエスペランティストたちの具体的な「交流史」がたどられていく。例えば、『留日回顧――一中国アナキストの半生』(東洋文庫)を著した景梅九が大杉栄からエスペラントを教わったとか、実に興味深いのだが、これ以上立ち入らない。ここでは岩波書店の小坂狷二『エスペラント文学』を取り挙げたいからだ。

留日回顧

 その前にふれておけば、これも以前に拙稿「小林勇と鐵塔書院」(『古本探究』所収)で、この版元がプロレタリア科学研究所絡みの出版物を刊行していたことを既述しておいたが、この「プロレタリア エスペラント講座」は未見だし、武藤丸楠という名前も初めて目にするものだった。そこで『近代日本社会運動史人物大事典』を繰ってみると、武藤潔として一ページにわたって立項されていたのである。「丸楠」が本名で、その後「潔」と改名したとわかる。彼は京都帝大を中退したプロレタリア科学研究所員にしてエスペランティスト

近代日本社会運動史人物大事典

 さて小坂の『エスペラント文学』は昭和八年に「岩波講座世界文学」の一冊として刊行された菊判三六ページの小冊子、パンフレット形式のもので、これも高杉がいう「あたらしいエスペラント人口」を読者層としての出版だと見なせよう。彼のことは『近代出版史探索Ⅴ』879で日本エスペラント学会発行の『エスペラント捷径』の著者としてすでに言及している。ちなみにこちらの取次と発売所は北隆館である。

(『エスペラント捷径』)

 これも先の『同大事典』で、あらためて小坂を引いてみると、彼も一ページ以上に及ぶ立項が見出された。それは「日本のエスペラント運動を再興し、日本エスペラント学会を設立して、日本にエスペラントを根付かせた組織者であり、育ての親であった。その生涯の大半をエスペラントの普及に捧げた」と始まっていた。彼は明治二十一年神奈川県生まれ、二葉亭四迷の『世界語』でエスペラントを学習し、一高に入ると日本エスペラント協会で、本探索1304の中村精男と親しくなり、大正三年には『大成エスペラント和訳辞典』を刊行する。五年に東京帝大卒業後、鉄道省に入るが、彼を中心とする若いエスペランティストのグループが形成された。それをコアとして日本エスペラント学会が設立され、彼の自宅がエスペラント運動の拠点となり、講習会や集会所にもあてられ、大正デモクラシーとザメンホフの思想が重なるかたちで、エスペラントは推進されていった。

 そのようなエスペラント運動の流れの中で、「世界文学」におけるエスペラント文学も注視されるに至ったのであろう。『エスペラント文学』の「前書き」で、小坂は「僅か半世紀前に此の世に生まれた国際補助語エスペラントは国語文学のやうなできあがつた文学を持つてゐない」が、「今後、国際文化の発展に従つて、次第に大きな地位を占めるであらうエスペラント文学の独自の意義の重大さ」を伝えようとしている。

 それをここで要約することは任ではないので言及しないけれど、世界的にいえば、一九二〇年代から三〇年代、日本の大正から昭和にかけての時代に、国際語としてのエスペラントへの大いなる希求が広範に浸透していたとわかる。それは『近代日本社会運動史人物大事典』にも反映され、エスペラント研究会の衣笠弘志によって一三七名が立項に至っている。全員に目を通しているわけではないけれど、プロレタリア・エスペラント運動も含んで、想像する以上に多くの人々がエスペラントに関わっていたことになろう。

 それは本探索で取り上げた人々も同様であり、例えば『近代出版史探索Ⅳ』877、878の土岐善磨=土岐哀果もその一人だし、日本エスペラント学会のメンバーは、これも『同Ⅳ』879を参照されたい。


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