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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1401 片山潜、『労働世界』、『平民新聞』

 あらためて『近代出版史探索Ⅶ』1388の『雨雀自伝』を読んで、日露戦争をはさんでの数年が、日本の社会主義トレンドの隆盛期だったことが伝わってくる。雨雀は明治三十六年における体験を次のように記している。いかにも雨雀らしい率直な告白なので、これもそのまま引いてみる。おそらくその時代には雨雀と同じ思いを抱えた青年たちが多くいたにちがいない。ロシアだけでなく、日本でも「考える事」をしている青年が登場してきたし、『近代出版史探索Ⅴ』932のドストエフスキー『罪と罰』の内田魯庵訳が刊行されたのは早くも明治三十五年であった。

  

 私はこの年はじめて、本郷中央会堂で社会主義者の演説を聴いて非常に啓発されるところがあった。私は、これまで観念的世界観で社会見ていたので、全くちがった世界につれて行かれたような気がした。はじめはちょっと反発させられたような感情を得たが、その論じているものを押しつめて行くと、いつも一つの問題に落ちついて行くので、私はびっくりしてしまった。たとえば「国家」「戦争」「平和」「平等」という私の最も悩んでいながら解釈出来ないでいたものを、ここでは鋭いメスのようなもので解釈して示してくれた。

 講演者は安部磯雄、幸徳秋水、西川光三郎、堺敏彦、木下尚江たちで、聴講者は数千に及ぶ学生たちであった。そして『万朝報』を退社した幸徳や堺によって、同年十月に『平民新聞』が創刊され、翌年には片山が第二次インターナショナルに出席するためにアムステルダムに向かい、九年に正統社会主義者として帰国したと雨雀は付け加えている。

 かつて私も「社会主義伝道行商書店」(『書店の近代』所収)で、『平民新聞』の創刊の流通や販売事情にふれ、創刊一年後には二十万部に達し、荒畑寒村『平民社時代』(中公文庫)の証言として、平民社によって、「わが国の社会主義運動史がここに始まった」との見解を引いておいた。しかしその際には片山と『労働世界』に関しては想像が及んでいなかった。

書店の近代―本が輝いていた時代 (平凡社新書)  

 それを意識したのはこのところ本探索でもしばしば参照している近代文学館編の「複刻 日本の雑誌」を入手したことによっている。その複刻には『平民新聞』だけでなく、明治三十年十二月創刊の『労働世界』も含まれていたのである。これらはまったく同じタブロイド型十二ページの新聞で、『平民新聞』が『労働世界』を範として編集創刊されたことは歴然としている。『平民新聞』のほうは先の拙稿で言及しているので、ここでは『労働世界』を取り上げてみる。

 (いずれも創刊号)

 『労働世界』は『日本近代文学大事典』第五巻の「新聞・雑誌」では雑誌とされているが紛れもない新聞である。主筆は片山なので、「社説」も彼に手になると見なすべきだろうし、そのイントロダクションは次のようなものだ。ルビは省略する。

 労働世界は労働者唯一の機関なり。専ら労働者の意想を発揚し、与論を振起して同情者を団結し正義の下に確実なる労働組合を組織し、内は労働者の技術と位置を高め以て其の幸福を保持増進せしめ。外は日本工業の発達進歩を計らんとす。

 ここに労働組合の組織化が謳われているように、千余名による鉄工組合の結成が報告されている。だが「労働は神聖」で「組合は勢力」であっても、「労働世界の方針は社会の改良にして革命にあらず」とのも文言も見ているし、この時代における片山と労働組合の思想がうかがえる。最初の組織的労働組合運動と社会主義人脈が結びつき、日本の労働運動、社会主義の雑誌の嚆矢として歴史的な主義を持つとされる『労働世界』の始まりでもあった。

 片山は隔週刊の『労働世界』の編輯を明治三十六年の再渡米まで続けているが、創刊号の十二ページ目は「THE LABOR WORLD」と銘打たれた英文で占められ、これもアメリカ帰りで英語に堪能な片山の手になるものであろう。おそらくこのような日本からの英語の発信が片山としてインターナショナルな社会主義者ならしめた一端だと考えられる。『平民新聞』もそれに類する英文欄はあるにしても、第一面第五段の部分でしかない。また書籍広告として片山の『渡米案内』(社会主義図書部)など七冊が掲載されていることは、『平民新聞』にとっても、雨雀と同じように、片山が社会主義のアイコンであったことも告げていると思われる 。

 しかし『平民新聞』と比べて、流通販売、それに発行部数は詳らかでないし、『労働世界』も明治三十六年に『社会主義』と改題している。そのために片山の著書も社会主義図書部の発行となっているのであろう。ただ創刊号だけを見るならば、発行兼編輯人は篠崎伊与亮、発行所は労働新聞社とあり、やはり不詳の編輯人、発行所に至ってしまう。広告からは労働世界発売所の他にいくつかの「売捌所」があったようだが、「売捌所」とは書店というよりも新聞店と考えるべきで、『平民新聞』のような部数には達していなかったと思われる。それは時代だけでなく、流通販売も含めた『労働世界』の限界だったのではないだろうか。


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