『近代出版史探索Ⅶ』1385の秋田雨雀を所長とする国際文化研究所はその後プロレタリア科学研究所へと改組されていくのだが、その芸術学研究会には山室静、平野謙、本多秋五たちもいて、彼らは初期の力作を発表していたとされる。しかしペンネームでの執筆だったりすることもあって、それらの全貌を確認することは難しいように思われる。
とりわけ山室静は謎めいていたところがあり、自筆の「年譜」(『山室静著作集』6所収、冬樹社、昭和四十八年)を見ても韜晦の感が否めない。それは特に昭和二年から十一年にかけてである。山室は岩波書店などに勤め、『近代出版史探索Ⅶ』1293の早坂二郎の仕事を手伝い、高見順たちとアメリカ文学研究会を続けていて、『近代出版史探索Ⅱ』209の矢野文夫や『同Ⅱ』215の土方定一たちとも親しかった。
昭和七年にプロレタリア科学研究所に入り、本多や平野と知り合い、『芸術学研究』を編集し、続いて『日本文学クォータリイ』を創刊。また柳田泉、木村毅、神崎清たちの明治文学談話会に加わり、これも『同Ⅱ』214の『明治文学研究』の編集に携わる一方で、マルクス主義に接近し、二、三度留置されたりしたが、それと決別する。そして平野や本多たちと同人誌『批評』を創刊し、文学評論に力を注ぎ、中国で粛清された胡風とも交わり、モーロア『アリエル(シェリイの生涯)』(耕進社)やJ・M・マリ『近代文学の意味』(改造社文庫)を翻訳刊行している。
(「近代文学の意味」)
昭和十三年以後は東北帝大法文学部に入り、記述がコンクリートとなっていくのに比べて、岩波書店やプロレタリア科学研究所での仕事、アメリカ文学との関係や翻訳人脈などは言及されていない。それが山室に関してつきまとっていた印象だったので、たまたま古書目録で彼の最初の評論集『現在の文学の立場』(赤塚書房、昭和十四年)を見つけ、そこに並んでいた浅野晃『読書と回想』もともに注文したところ、両書ともに送られてきたのである。ただ前者は『山室静著作集』(1所収)で、すでに読んでいたが、赤塚書房版はそれと異なる部分や初出雑誌などが示されているのではないかと思ったからだ。
(『現在の文学の立場』、赤塚書房版) (『山室静著作集』1)
もうひとつは赤塚書房の本に関してまったく未見で、一冊も入手しておらず、古書価が高いことで知られていた「新文学叢書」ではないかと考えたのである。すでに一昔前になってしまうのだが、松本八郎の「赤塚書房『新文学叢書』」(『日本書通信』平成18年2月号)を読み、この叢書は二十八冊刊行されていて、「わが国の造本・ブックデザイン史の上では、欠かすことの出来ないシリーズ本のひとつ」に数えられていた。だがその松本にしても、一冊数万円の古書価ゆえに、二冊しか所持していないと述べられていたのである。
ところが届いてみると、両者とも判型装幀もほぼ同じだが、山室のほうは「新文学叢書」ではなく、浅野の『読書と回想』がそれに該当していた。シリーズ表記もないのにどうして判明したかというと、思いがけずに『日本近代文学大事典』第六巻「叢書・文学全集・合著集総覧」に解題があり、それと照合したからで、この際だから、このシリーズをリストアップしてみる。
1 | 丹羽文雄 | 『跳ぶ女』 |
2 | 浅見淵 | 『現代作家論』 |
3 | 古木鉄太郎 | 『子の死と別れた妻』 |
4 | 宮北嘉六 | 『従軍随筆(絵と文)』 |
5 | 佐々三雄 | 『献身』 |
6 | 青柳優 | 『現実批評論』 |
7 | 外村繁 | 『春秋』 |
8 | 榊山潤 | 『挿話』 |
9 | 張赫宙 | 『路地』 |
10 | 湯浅克衛 | 『莨』 |
11 | 田辺茂一 | 『作品の印象』 |
12 | 福田清人 | 『生物の譜』 |
13 | 光田文雄 | 『南の海』 |
14 | 田畑修一郎 | 『鳥打帽』 |
15 | 徳田一穂 | 『女の職業』 |
16 | 浅見淵 | 『無国籍の女』 |
17 | 岡田三郎 | 『伝書鳩』 |
18 | 春山行夫 | 『飾窓』 |
19 | 浅見晃 | 『秀衡の女』 |
20 | 小田嶽夫 | 『嵐山付近』 |
21 | 木山捷平 | 『抑制の日』 |
22 | 古谷綱武 | 『作家の世界』 |
23 | 中村たか子 | 『生命に触れゝば』 |
24 | 井上友一郎 | 『眠られぬ人々』 |
25 | 酒井松男 | 『化けた風景』 |
26 | 浅野晃 | 『読書と回想』 |
27 | 塩月赳 | 『薔薇の世紀』 |
28 | 上林暁 | 『文学開眼』 |
(普及版)
確かにこれまで見たことのない書籍ばかりで、松本は浅見淵に関心があり、2と16を入手していて、その書影を挙げている。だが16は上製のようで、「普及版」もあるらしいと書いている。私の手元にある26はB6判フランス装の一冊で、昭和十四年六月の初版だが、山室の同じく十四年九月の初版『現在の文学の立場』の巻末広告は「新刊重版評論書」として、6の青柳優『現実批評論』、27の塩月赳『薔薇の世紀』、28の上林暁『文学開眼』が掲載され、しかも上林のものには「初版再版売切三版増刷出来」とのゴチック文字が付されている。
それならば、どうして山室の最初の評論集が「新文学叢書」に収録されなかったのかということになるのだが、考えられるのは二五八ページ、定価一円四十銭と厚く高くなり、「叢書」のフォーマットからはみ出してしまったからだと見なすしかない。この時代に山室は東北大学に在学していたことを示すように、奥付住所は仙台市花壇川前町とあり、それが発行者の赤塚三郎の小石川区駕籠町と並んでいるのは昭和十年代半ばの文芸出版のイメージを浮かび上がらせているかのようだ。ちなみに赤塚書房と印刷者の宮島富治の住所も同じである。
また『現在の文学の立場』の「序」には22の古谷綱武、平野謙への出版仲介に対する謝辞も見えているが、それはやはりコンクリートではない。松本も「新文学叢書」のみならず、赤塚書房の赤塚や印刷所の宮島も全体像がつかめないとしているけれど、それは同感で、これだけのシリーズを刊行したにもかかわらず、どこかで文学史や出版史から切断されてしまっているかのようだ。
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