前回松本八郎の『日本古書通信』における赤塚書房「新文学叢書」への言及を取り上げたが、彼が赤塚書房と並んで、プロフィルが不明なのは竹村書房と竹村坦も同様だと書いていた。
松本ほどではないにしても、私も同じような思いを抱く。かつて「尾崎士郎と竹村書房」(『古本探究』Ⅱ所収)などを書き、竹村書房が赤塚書房と異なり、尾崎のベストセラー出世作というべき『人生劇場』を出版したことにふれている。またそこで小田嶽夫や平野謙の証言を引き、竹村書房は改造社営業部にいた竹村坦と大江勲が始めた出版社で、小さいながらも、当時の唯一の文芸出版の専門書肆だったことに言及しておいた。その後も、大江が坂口安吾と中学の同級生だったことから、安吾の第一創作集『黒谷村』を出版したこと、及び『近代出版史探索Ⅳ』849でやはり安吾の『吹雪物語』の執筆にあたっての生活費の面倒をみたことなども既述している。
そして福嶋鑄郎著『[新版]戦後雑誌発掘』(洋泉社)において、昭和十九年の企画整備で、竹村書房が相模書房などとともに乾元社に吸収統合され、竹村がその役員を務めたことも確認している。なお乾元社は拙稿「円本時代と書店」(『書店の近代』所収)で参照した『雲か山か』(中公文庫)の牧野武夫が興した出版社である。ところがこの乾元社も戦後倒産したようで、それ以後の竹村の消息はたどれない。
赤塚書房の赤塚三郎のプロフィルがまったく不明であることに対し、竹村書房の竹村の場合、このように断片的ながらも、その軌跡はたどれるけれど、松本と同様の思いがつきまとうのは、竹村書房に関してのまとまった証言に加えて、その文芸出版の全貌がつかめないことによっている。それは先だって、浜松の時代舎で入手した正宗白鳥の『旅行の印象』によってその思いを新たにしたのである。これは昭和十六年の刊行で、竹村書房の函入本を見たのは初めてだ。
同書は白鳥が「序」で述べているように、「外国旅行記の断片」と「異郷で見聞したことを材料とした小説風の作品」の十六編の集成である。白鳥夫妻は円本収入を手にして、昭和三年から四年にかけて、アメリカからヨーロッパにかけて外遊し、帰国後にそれをテーマにした作品やエッセイが書かれていた。だがそれらをまとめての刊行は昭和十六年の竹村書房の一冊であり、白鳥らしい素っ気ないタイトルであるけれど、いずれも興味深い。例えば、パリでの生活を描いた「髑髏と酒場」は妻のことが次のように描かれている。
日本で淋しい生活に馴れてゐる妻は、帰国を急ぐ気になつてゐなかつた。「プランタン」とか「ラフアエツト」とか「ルーブル」とか、有名ないろいろの百貨店へ出掛けて、流行の衣裳や装飾品を見ることに興味をもつてゐて、私も屡々同行して、世界の女性が魂を奪はれるらしい、意匠を凝らした品物を注意してみて廻つたが、さういふことに理解も鑑賞力もない私には、すべてが豚に真珠であつた。
かつて「泥人形」のように描かれていた妻が、パリでは百貨店を発見して蘇ったかのようで、自分にとっては「すべてが豚に真珠」というコントラストといい、何となくおかしい。あらためてゾラの新版も出された『ボヌール・デ・ダム百貨店』(伊藤桂子訳、論創社)を想起するし、白鳥も『近代出版史探索Ⅶ』1211の三上於菟吉訳『貴女の楽園』を読んでいたのではないだろうか。
そのように『旅行の印象』も言及していくと限りなくなってしまうが、それよりも強く印象に残るのは巻末三ページの及ぶ出版広告であり、それらをリストアップしてみる。
例によって番号は便宜的に振ったものである。
1 | 小川未明 | 『新日本童話』 |
2 | 満州作家九人衆 | 『廟会』 |
3 | 藤澤桓夫 | 『緑の褥』 |
4 | 太宰治 | 『皮膚と心』 |
5 | 小田嶽夫 | 『北京飄々』 |
6 | 真杉静枝 | 『ひなどり』 |
7 | 室生犀星 | 『よきひと』 |
8 | 井上友一郎 | 『従軍日記』 |
9 | 山中貞雄 | 『シナリオ集』 |
10 | 片山鉄平、川端康成、上田進編 | 『農村青年報告』 |
11 | 豊島与志雄 | 『死の前夜』 |
12 | 藤森成吉 | 『愛と闘い』 |
13 | 高見順 | 『自選小説集』 |
14 | 北条誠 | 『春服』 |
15 | 沓掛十六 | 『村の太陽』 |
ここにあえて挙げたのは白鳥の『旅行の印象』もそうだったが、これまで古本屋で一冊も見かけていないからである。先の拙稿などで引いておいた竹村書房の出版物にこれらを加えれば、五十冊近くなるし、想像以上に多い。昭和十八年からは国策取次による買切制がスタートするので、さらに出版点数は増えていったと推測される。本当に竹村書房の全貌が明らかにされていないことは残念である。
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