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古本夜話1409 錦城出版社「新日本文芸叢書」と長谷川幸延『大阪風俗』

 前々回の赤塚書房「新文学叢書』と同様に、昭和十年代に刊行された錦城出版社の「新日本文芸叢書」のうちの長谷川幸延『大阪風俗』も、ほぼ同じ頃に入手しているので、それも続けて書いておきたい。

(『大阪風俗』)

 長谷川は大阪市曽根崎生まれの劇作家、小説家で、昭和十余年上京して長谷川伸門下に入り、『大衆文芸』に作品を発表し、小説家としての地歩を固めたとされる。戦後になって三度映画にされた『殺陣師段平』は長谷川幸延原作で、私は二度目のマキノ雅弘監督、森繁久彌主演『人生とんぼ返り』(昭和三十年)を観ている。
 
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 この映画はモノクロだったが、長谷川の『大阪風俗』は昭和十九年の戦時下に出された一冊と思えないほどのサクランボらしい花と実を鮮やかに描いた装幀で、タイトルにふさわしいイメージを伝えている。この「叢書」も『日本近代文学大事典』第六巻「叢書・文学全集・合著集総覧」に見出され、「戦争末期に書きおろされた長編小説のシリーズ」で、「装幀はすべて藤田嗣治」とあり、それで納得した次第だ。その明細をリストアップしてみる。

1 太宰治 『正義と微笑』
2 大坪草二郎 『平野国臣』
3 沙和栄一 『北海の漁夫』
4 打木村治 『春の門』
5 富田常雄 『姿三四郎』
6 鶴田知也 『北方の道』
7 石原文雄 『現代の河』
8 伊藤整 『童子の像』
9 太宰治 『右大臣実朝』
10 長谷川幸延 『大阪風俗』

 (『北方の道』)

 実は『近代出版史探索Ⅱ』282で、9の太宰治『右大臣実朝』を取り上げている。だが拙稿は津島美知子の『回想の太宰治』(人文書院)に出てくる編集者の大坪草二郎と錦城出版社のこと、及び作品の内容を主として、藤田による装幀にもふれているけれど、「新日本文芸叢書」には言及していない。それは『大阪風俗』の表紙に見えている「新日本文芸叢書」というシリーズ名が付されていなかったことにもよっている。そのことを確認するために、『右大臣実朝』を取り出してみると、表紙絵はまったく同じであるのだが、太宰の戦時下の代表作として読まれたゆえなのか、その絵が褪色していて、ただちに両書が結びつかなかったのである。それに『大阪風俗』のほうの表紙には「新日本文芸叢書」だけでなく、こちらも『右大臣実朝』になかったタイトルと著者名が縦表示されていたことにもよっている。

  回想の太宰治

 あらためて『大阪風俗』の奥付表記を見てみると、初版一万部とあり、『右大臣実朝』の一万五千部には及ばないけれど、戦時下において人気があり、版元としても儲かるシリーズだったことを伝えているし、まして国策取次日配は買切制となっていたからだ。それを見こんで大阪で錦城出版社が立ち上げられ、東京営業所が神田区神保町、東京編輯部が大坪草二郎を支配人として麹町区永田町に設けられた。そして大坪が「新日本文芸叢書」の2の『平野国臣』に見られるように、著者も兼ねて推進していったのであろう。平野は幕末の志士で、福岡藩士だったので、大坪と故郷を同じくするところから書かれ、「文部省推薦」図書になったと推察される。

 大坪は明治三十三年福岡県生まれで、『アララギ』に属し、島木赤彦や岡麓に師事したとされる。それで「錦城新書」に大坪の『短歌読本』のあることが了承される。彼は「アララギ」の幹部だったことで鎌倉八幡宮の実朝祭に列席し、その際に発行された『鶴岡』の源実朝号を所持していたので、それを太宰に贈り、『右大臣実朝』の重要な資料となり、しかも印税も先払いされたのである。この大坪による二重の計らいがなければ、太宰の傑作も書かれていなかったかもしれないのだ。

 さて最後になってしまったが、『大阪風俗』にもふれておくべきだろう。この小説は大阪の夜店の風景描写から始まり、タイトルに示されているような大阪の風俗物なのかと思って読んでいくと、次のような記述へと続いていく。

  そのころ、明治十一年、西郷戦争がすんだばかりのそのころの大阪では、南船場の順慶町、北船場の平野町、二つの夜店が有名であつた。殊に、平野町には御霊神社があり、夜店の出る一・五の晩は賑はつた。御霊神社は、源正霊神、俗説に鎌倉権五郎景政の霊を祀つてその名が由来し、後者はつぶらの杜といつた。

 そして次に顕昭法師の歌が引かれていることによって、この『大阪風俗』は丹念な歴史小説の色彩を帯びていく。それは長谷川伸に師事したことを表出させているし、おそらく太宰の『右大臣実朝』と同様に、大坪の資料提供とフォローがうかがえるように思う。私にしても、長谷川幸延の長編歴史小説を読んだのは初めてであり、埋もれた時代小説の秀作といっていいのではないだろうか。ちくま文庫化され、山田風太郎の明治開花物の隣にでも置かれれば、新たな読者も得られるのではないかとも思われた。


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