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古本夜話1410 富田常雄『姿三四郎』出版史

 前回『近代出版史探索Ⅱ』282「錦城出版社、大坪草二郎、太宰治『右大臣実朝』」を確認して、「なお富田常雄の『姿三四郎』も錦城出版社から刊行されたのだが、こちらは後述することにしよう」と書いていたことを思い出した。

 考えてみれば、その後『近代出版史探索Ⅲ』466で富田による新生社の青山虎之助をモデルとした『春の湖』(東京文芸社)を論じていたし、富田が人気を集めていた昭和三十年代の『鳴門太平記』(新潮社)、『むらさき抄』(桃源社)、『若草軍記』(東方社)などは入手していたのである。だが肝心の『姿三四郎』の単行本には出会えていなかった。戦前の錦城出版社の「新日本文芸叢書」版だけでなく、戦後にも続編や他のバージョンが刊行されたことを承知していたので、いずれどこかでまみえるだろうと思っていた。それに新潮文庫の『姿三四郎』全三巻は所持していたからだ。

春の潮 (1962年) (『鳴門太平記』)むらさき抄 (1961年) 姿三四郎 (新潮文庫)

 ところが錦城出版社や他の版元の『姿三四郎』は見つからず、それで書きそびれ、忘れていたのだが、その代わりのように、よしだまさし『姿三四郎と富田常雄』(本の雑誌社、平成十八年)は買い求めている。同書は拙稿「貸本小説、春陽文庫、ロマン・ブックス」(『文庫、新書の海を泳ぐ』所収)で言及した末永昭二『貸本小説』(アスペクト)や『城戸禮 人と作品』(里艸)と並ぶ奇特な労作というべき一冊で、よしだと末永は古本を通じての知人のようだ。

姿三四郎と富田常雄  文庫、新書の海を泳ぐ―ペーパーバック・クロール  貸本小説

 私がずっと気になっていたのは錦城出版社版『姿三四郎』と新潮文庫全三巻の関係で、前者が後者のどの巻に当たるのかということだった。それはよしだが錦城出版社版『姿三四郎』と増進社版『姿三四郎(続篇)』の書影を示した上で、丁寧に解説している。ちなみにこの二冊の版元は異なるが、装幀はまったく同じで、藤田嗣治によるものである。それに『姿三四郎』と太宰治『右大臣実朝』のカラー書影は林洋子『藤田嗣治 本のしごと』(集英社新書ヴィジュアル版)に揃って掲載されている。
(『姿三四郎(続篇)』)<ヴィジュアル版> 藤田嗣治 本のしごと (集英社新書)   右大臣実朝

 装幀を同じくする『姿三四郎(続篇)』が錦城出版社ではなく、昭和十九年三月に増進堂から出版されたのは、よしだが指摘しているように、戦争末期に錦城出版社が増進堂に吸収合併されたことによっている。それを正確にいえば、同年の出版社企業整備によるものであった。ただ錦城出版社の社長も増進堂の岡本政治が兼ねていたので、発行者は変わらなかった。そして二十年二月にはやはり同じ装幀で、「新日本文芸叢書」として富田の『明治の風雪』が出されている。これは大阪新聞連載の『明治武魂』を改題したもので、『姿三四郎』の前日譚、昭和二十一年には『姿三四郎(柔の巻)』が刊行されるのだが、これは東京新聞連載の『柔』で、後日譚とされる。

明治の風雪 富田常雄 新日本文藝叢書 昭和20 (「明治の風雪」)

 よしだによれば、昭和十七年の錦城出版社版『姿三四郎』は「巻雲の章」から「碧落の章」までで、新潮文庫第一巻の四章分、『姿三四郎』(続篇)』は「すぱあらの章」から、「一空の章」まで、つまり第一巻の二章分と第二巻の二章分、『姿三四郎(柔の巻)』は「不惜の章」から「明星の章」で第二巻の三章分と第三巻の一章分に当たる。とすれば、第三巻の「琴の章」「女怨の章」「落花の章」の三章分はどこからとられたのであろうか。『明治の風雪』は姿三四郎が登場する前の矢野正五郎を描いたものであり、それは新潮文庫版には含まれていない。

 これは『創業80周年・増進堂・受験研究社』所収の「出版目録」も確認してだが、昭和二十二年から二十三年にかけて、『姿三四郎』全十巻が刊行されている。それまでの四冊に比べて、判型は同じながら、八〇〇ページほど増えている。それは東京新聞連載の『続・柔』にも収録されたことによると思われる。おそらく新潮文庫版はその増進堂版から「明治の風雪」を除いて成立したと思われる。この十巻という増巻は同じく関西を発祥とするネオ書房などの貸本業界の要請だったのではないだろうか。

 よしだが富田の「映画化作品一覧」「テレビドラマ化一覧」で明らかにしているように、戦前の黒澤明の映画化に続いて、戦後も『姿三四郎』の映画、テレビドラマ化は引きも切らず、私などが新潮文庫版を読んでいた頃には倉丘伸太郎主演の『姿三四郎』(フジテレビ、昭和三十八年)が放映されていたのである。そうした『姿三四郎』の小説、映画、テレビドラマ化はそのストーリー、テーマ、キャラクターの三位一体が物語祖型を提出し、展開されていたゆえに長きにわたる人気を保ってきたように思われる。

(黒澤明監督)

それ以後も、この『姿三四郎』の物語祖型は何よりもコミックへと引き継がれ、柔道のみならず、空手、野球、サッカー、卓球、水泳などの異なるバージョンを生み出していったことは周知の事実であろう。

 もはや誰も富田の作品を読んでいないし、新潮文庫版『姿三四郎』も絶版となってしまったけれど、そうした姿三四郎というネーミングも含んだ物語祖型を送り出したことによって、富田は大衆文学史と物語史において記憶されなければならないだろう。


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