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古本夜話1417 高杉一郎『極光のかげに』と目黒書店

 またしても飛んでしまったが、高杉一郎へと戻らなければならない。彼の『極光のかげに』を読んだのは冨山房百科文庫によってなので、昭和五十年代になってからだった。ただそれ以前に内村剛介『生き急ぐ』(三省堂新書、昭和四十四年)や石原吉郎『望郷と海』(筑摩書房、同四十七年)を読んでいたこともあり、ソ連抑留記としての印象は内村や石原に比べ、不謹慎ながらまだ牧歌的なように思われた。
 
 生き急ぐ―スターリン獄の日本人 (1967年) (三省堂新書)  望郷と海 (ちくま文庫)

 しかし後に考えると、内村や石原が戦犯容疑者として抑留されたことに対して、高杉は応召兵の「俘虜」としてで、その事実は同じ強制収容所にあっても、めくるめくような断絶感を生じさせたにちがいない。それは内村が十一年、石原が八年、高杉が四年という抑留年月の相違にも示されていよう。そうした抑留体験と高杉の『極光のかげに』を前提として、内村や石原のラーゲリ記も書かれたと信じるからである。だがここではこれ以上のことに踏みこまず、私ならではの高杉の手記に対する視座を提出しておきたい。

 高杉も四年にわたって収容所を転々とするのだが、イルクーツクに送られた際には街の本屋に出かけることができた。それは街で見知らぬロシア人からプーシキンを読んだかと問われ、『オネーギン』が好きな本だと答えると、「プーシキンのため」に二〇ルーブルを手渡されたからだ。本屋に入る。「本、本、本。ああ、何年ぶりの本屋だろう。(中略)静かな部屋のなかには、新しい本の発する独特な臭いがうすく立ちこめている」のだ。

 そして二ページにわたって、書棚の本に関する記述が続き、まずは収容所で役立ちそうなモスクワの文学や芸術に関するアクチュアルな政策にふれた小さな本を買ったりして、次のように書き記す。

 私はここで、『露英辞典』とドイツ語の詩集を買った。
 出版事業が国営化されているロシアでは、他の物価にくらべて、書物がおどろくほど安い。見知らぬロシア人からもらった二〇ルーブルで、私は三冊の新本を手に入れた上に、さらに釣銭をたくさん受けとって、店を出た。

 その一年後に高杉は日本へと戻ったが、「抑留生活の記憶が鬱積していて、私の出発をさまたげ」ていた。そこで「書こう、と私は決心した。記憶のうすれないうちに頭のなかに鬱積しているものを全部吐き出そう。(中略)そのことによって私の立場を政治、党派的に固定させられてしまう危険があるにしても、すくなくとも悪夢のような記憶の呪縛から解放されることはできるだろう。」

 そしてその原稿は『近代出版史探索Ⅳ』854の『人間』編集長の木村徳三の慫慂によって書き上げられ、タイトルも彼の命名で昭和二十五年十二月に目黒書店から刊行されたのである。それも入手しているが、昭和二十六年二月第十三刷で、たちまちベストセラーになったことがわかる。装幀は岡鹿之助で、樺色の表紙にマリンブルーのタイトルが置かれ、平積みであれば、さぞかし目を引いたと思われる。また岩波文庫版で復元される内田巌の挿画も効果を発揮していた。そして内容、装幀、挿画と三拍子が揃って出版され、しかも実際にベストセラーになったわけだから、それは著者の高杉にとっても幸運であったと思いこんでいた。ところがである。高杉は『往きて還りし兵の記憶』(岩波書店、平成八年)で書いている。

(目黒書店版) 征きて還りし兵の記憶

 一九五一年の六月に入ってからのある日、目黒書店主だと名のる目黒謹一郎が訪ねてきた。このとき私がはじめて会ったまだ学生のように若い書店主は、わずかに膝を容れるだけのせまい部屋にかしこまって坐るとふかぶかと頭をさげて、「まことに申しわけありませんが、書店が倒産したので印税をお支払いすることができなくなりました」と言った。
 このときも私は、唖然として返すことばを知らなかった。(中略)私は出征中の五カ年半のあいだに蓄積されたわが家の赤貧がこれでいくらか穴埋めできようかとよろこんでいたのに、初版以来六ヵ月間、旧友の編集長の好意だけを信じて、一銭も送ってこなかった書店にはひとことの催促もせずに待っていた世間知らずの阿呆づらが自分にも見えてきて、私はいやになり、なにも言わずに学生のような書店主を送りだした。それにしても、本にすることをはやばやと私にすすめた木村編集長は、なぜみずからは一度も私に連絡してくれなかったのだろう。その後も彼からはひとことの挨拶もなかった。

 木村は改造社出版部から『文芸』編集部へ高杉が引っ張った人物で、改造社の山本実彦が高杉の退職金を家族に払わなかったことを知っていて、そのために早く印税を払おうとして単行本化を勧めたにちがいないと思っていたのである。

 しかもそのことに先行し、『人間』連載時における佐多稲子からのクレーム、また中条百合子の夫である宮本顕治の「あの本は偉大な政治家スターリンをけがすものだ(中略)こんどだけは見のがしてやるが」との罵声が飛んできていた。この時も高杉は「唖然」としてしまい、目黒の場合も同様だったのである。これらの帰国してからの出来事も、高杉にとっては新たな、悪夢のような記憶の呪縛となったにちがいない。印税未払いと木村のことはここで初めて明かされる事実だと思えるし、しかもそれがちょうど半世紀後にカミングアウトされたのであるから、いかにトラウマとなっていたかを推察できるし、高杉の戦後の生活にも影響を与えたと考えられるのである。

 後に『名著の履歴書』(日本エディタースクール出版部、昭和四十六年)において、木村が『極光のかげに』の雑誌連載と単行本化は「もっとも嬉しかった思い出の一つ」だが、印税を払えなかったことは「懐かしい思い出をひび入らせる古傷である」と書いていることを知った。

名著の履歴書―80人編集者の回想 (1971年) (エディター叢書〈2-3〉)


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