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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1418 木下一雄『希臘倫理史』と目黒書店の出版市場

 前回の雑誌『人間』、目黒書店、目黒謹一郎に関しては『近代出版史探索Ⅳ』788でふれているが、戦前の目黒書店は書籍専門取次として、六合館、浅見文林堂、柳原文盛堂、杉本翰香堂、松邑三松堂と並んで大手であった。小川菊松の『出版興亡五十年』によれば、創業者の目黒甚七は明治四十四年に出版専業となり、取次部門は店員の戸田節次郎に譲渡し、バックアップして京橋伝馬町に目黒分店を設立したとされる。その目黒甚七を『出版人物事典』から引いてみる。

   出版人物事典―明治-平成物故出版人

目黒甚七 めぐろ・じんしち 旧姓・富樫]一八六七~一九五二(慶応三~昭和二七)目黒書店創業者。新潟県生れ。小学校卒業後、長岡市の目黒書店に入店、一八八七年(明治二〇)上京して図書取次の鶴喜書店に入店、翌年、目黒書店が東京支店を開設するに当たり、旧主目黒十郎に望まれ支店長、婿養子となり、やがて支店は独立して目黒書店となった。当初は取次業を営んでいたが、学術図書、中等学校教科書、『月刊学習研究』はじめ教育雑誌の創刊など、ユニークな新分野を開拓、教育関係書で地位を固めた。業界にも尽力し、一九二四(大正一三)に東京出版協会会長、三二年(昭和七)には全国書籍組合連合会会長、三七年(昭和一二)からは東京書籍商組合組長をつとめるなど多くの要職を歴任した。

 その目黒書店の一冊を均一台から拾っている。それは昭和八年刊行の木下一雄『希臘倫理史』で、著者による「序」に本書の上梓「目黒四郎氏の義侠的好意による」との謝辞が見える。木下は『現代人名情報事典』(平凡社)に立項され、教育家、倫理学者で、文部省篤学官などを務めたとある。奥付発行者は目黒甚七で、興味深いのはその下に目黒書店検印、上部には木下の印が押されていることである。「著作権所有」欄には検印がないことからすれば、著者と書店が著作権を分け合っていることになり、これが「義侠的好意による」出版の内実を語っているのだろう。 

 現代人名情報事典

 それに発行所として神田駿河台の目黒書店の他に長岡市寿町の本店、新潟市古町通の支店も記載され、昭和八年の段階では先の立項がいうところの完全な独立のかたちに至っていなかったことになり、そうした所謂のれん分けの内実を見極める難しさを示している。

 さて前置きが長くなってしまったが、ここで本当に言及したいのは巻末の二五ページを占める「目黒書店出版図書目録」についてである。それらは東京文理科大編輯「思想善導修身教育材料」としての『道徳教育』、奈良女子高等師範付属小学校編輯「本邦唯一の教師用雑誌」である『学習研究』、東京高等師範学校編輯「体育科競技選手の絶好資料」としての『体育と競技』が月刊の「燦たり三大雑誌」と謳われ、それに七千点ほどの書籍が続き、壮観といっていい。このような目黒書店の出版目録はここで初めて目にするもので、かつて古本屋でナチスのスポーツ競技を連想させる写真の多い体育書を見かけているが、『体育と競技』に由来していると了解する。

(『体育と競技』)

 「三大雑誌」の編輯が東京文理科大学、奈良女高師、東京高師とあるように、目黒書店は帝国大学ではなく、全国の高等師範を自らのテリトリーとする版元で、それらの教科書、教授たちの著書を多く出版史、その分野における最大の出版社だったと考えられる。『近代出版史探索Ⅶ』1241の廣文堂が高等学校市場を背景としていたことを既述しておいたが、目黒書店の場合は高等師範で、しかも規模がちがうことも実感させる。

 例えば、先述の木下一雄『希臘倫理史』にしても、菊判函入、写真図版入り、上製三四二ページ、定価三円であるから、各々の高等師範の教授たちにしても、岩波書店に見紛う満足感を与えたにちがいない。しかしそれらの書籍をたどってみても、大半が知らない著者ばかりで、読みたいと思わせる著書は見当たらない。かろうじて拙稿「由良哲次『民族国家と世界観』」(『古本屋散策』所収)でふれた由良君美の父の『近代教育思想に基ける内在観の研究』『経験的及先験的研究』を目にするが、拙稿でも指摘しておいたように、読むに耐える著作だとは思われない。

古本屋散策

 そうした目黒書店の出版物の事実を考えてみれば、日本の敗戦は目黒書店が出版市場とする小中学校の教育現場におけるコペルニクス的大転回を迫られたわけだから、戦後を迎えて勢いを得た文学や思想とはほとんど無縁な教育実用書出版社であった目黒書店が没落していくのは必然だったのであろう。それに加え、戦後になっての鎌倉文庫からの『人間』を継承しながらも、そうした文芸雑誌出版に通じておらず、戦後の混乱期の中で、目黒四郎に続く三代目社長としての謹一郎の就任は目黒書店を倒産へと追いやるしかなったようにも思われる。

 なお高杉が『極光のかげに』の目黒書店の出版を受け入れたのも、彼が東京文理科大学出身で、目黒書店に馴染んでいたことにも求められるのではないだろうか。 

(目黒書店版)

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