出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1419 渡辺一夫『まぼろし雑記』と高杉一郎

 これは前回ふれなかったけれど、高杉一郎『極光のかげに』の「小序」は渡辺一夫によって書かれている。そこで「僕には、他人の著書の序文など書く資格は全くない」としながらも、それに応じたのは「高杉氏及び『人間』編集長木村徳三氏の御要求に従つて」のことだと渡辺は述べている。

(目黒書店版)

 そこに至る経緯は、渡辺がスターリニズムの対極に位置するフランス・ユマニスムの研究者であること、木村が東大仏文科出身だったことに加えて、高杉が『極光のかげに』よりも四ヵ月ほど前に刊行された渡辺の『まぼろし雑記』に触発されたとも考えられるのである。『まぼろし雑記』は昭和二十五年八月に河出書房から刊行されている。菊判フランス装の一冊で、表紙のルネサンス風の装画の下には Notules Chimériques, Librairie Kawade とあり、それが背タイトルしても使われ、まさにフランス書そのもので、日本語表記はない。その扉裏には大和幻住装幀との記載を見出せるので、『近代出版史探索Ⅲ』561で示した大和幻住=渡辺説は立証されたことになる。しかもエピグラフはフランスの戦後のゴンクール賞作家のモーリス・ドリュオンの言葉が引かれている。その後半の部分を示す。

(『まぼろし雑記』)

  Pourquoi faut-il que le sang des hommes soit si noir, alors que le sang du mondes est si  clair…

 これは渡辺が『極光のかげに』の「小序」の冒頭のところで引いている「世界の血はあんなに明るく澄んでゐるのに、なぜ、人間の血はこんなにどす黒いのであらうか?」の原文ということになる。これだけでも文学エッセイ集『まぼろし雑記』とノンフィクション手記としての『極光のかげに』はリンクしているし、戦後の同時代、同年のニュアンスを共有する書籍であることが伝わってくる。しかし当時の取次や書店事情を考えても、『まぼろし雑記』がそのまま配本されたと思えないので、これは裸本だと考えられ、別の扉に示されているようなに日本語表記のカバーなり函があったと見なすべきだろう。

 それに「小序」ということであれば、『まぼろし雑記』には「一九五〇年の序文」も収録されている。これらの「序文」はやはり『人間』に前年掲載されていた加藤周一の『ある晴れた日に』(月曜書房)に寄せられたもので、私は未見、未読だが、渡辺によると、「僕から見ても甚だ利己的で腹黒い、そして無智で特異な人々のいやつたらしい手によつて、その隅々まで触はられ、引掻かれるやうな感じだつたあの頃」を描いた戦争文学作品である。それはまた「水原的存在の下す統制・監視・命令は諾々として受入れられ納得されさへして、そのために生ずる人間性の歪曲は、殆ど一般的であり同型的であつた」社会状況を招来していたのである。

 (『ある晴れた日に』)

 それからの『まぼろし雑記』のⅢ章には「狂気について」「教養について」「宿命について」「暴力について」などが雑記風に収録されているが、これらの初出掲載誌は不明だけれど、渡辺が昭和二十三年から二十四年にかけて発表したユマニストのコアともいうべきものではないだろうか。すべてにふれられないので、ここでは「教養について」を取り上げてみたい。渡辺はまず敗戦後に流行した第一級のタームとして、「ヒューマニズム」「文化」「愛情」「教養」などを挙げ、自分も書かされたりしたが、お座なりのことしか述べられず、どうも寝ざめも悪く、今でも「教養つてなんだらうなあ?」と考えていると記す。

 そして「教養がある」ということは「他人を困らせないこと窮地に陥れないこと」ではないかと考えるに至る。しかしそれは八方美人ということになりはしないか、人間は本質的にエゴイストだから現実にそぐわないのではないかと自問しながら書きつける。

 他人を、自分のことだけしか考へないやうな窮地に陥れないやうにすること、他人を、その自我の奥底で尻ををまくるやうなどたん場へ追ひこまぬやうにすること、これが「教養」といふものと思ひます。これが社会を結成して生きようとする人間の倫理の第一歩であります。

 われゝゝは、犯罪に陥るやるな羽目に人間を追ひこまぬこと、戦争の狂乱に陥らぬやうに人間を守ること、これを倫理第一歩とせねばならず、「教養」とは、かうした倫理を事毎に実践できる人間の精神的態度だらうと思ひます。ですから、「教養」とは「やはりなかなかむづかしいもののやうです。

 この「教養について」は昭和二十四年一月に発表されている。高杉はこれらの渡辺の一連の文章を読んで、彼に序文を依頼したのではないだろうか。渡辺にしても、『極光のかげに』がまさに教養によって生きられたシベリア収容所の物語であることをただちに見抜き、その「小序」を引き受けたように思われる。