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古本夜話1420 野口冨士男『感触的昭和文壇史』と青木書店

 前回の渡辺一夫との関連で、『近代出版史探索Ⅶ』1383の青木書店のことも続けて書いておこう。それは野口富士男の『感触的昭和文壇史』(文藝春秋)を読んだからでもある。

感触的昭和文壇史

 野口は青山光二、井上立士、田宮虎彦、船山馨、牧屋善三、南川潤、十返一と 青年芸術派を結成している。そして井上は第二作品集『八つの作品』と「青年芸術派叢書」を出版する通文閣、牧屋が第一作品集『青年芸術派』を刊行した明石書房、船山が第三作品集『私たちの作品』を発行する豊国社、十返が第一書房と、同人たちが出版社に勤めたり、関係したりしていたことが野口の同書に述べられている。

(『八つの作品』) (青年芸術派叢書)

 さらにそれらを確認するために、この時代を描いた『暗い夜の私』(講談社)の連作を読んでみた。するとまた新しい事実が浮かんでくるし、そこには青木書店も見出される。六編からなる連作集『暗い夜の私』ははらかずも、野口の戦前の「出版社放浪記」として読むことができる。そのうちの四編がそれぞれ出版社と背景としているからである。とりあえず、六編における勤務先を示す。

 

 1「彼と」/紀伊國屋出版部
 2「その日私は」/都新聞社
 3「ほとりの私」/河出書房」
 4「暗い夜の私」/青木書店
 5「深い海の底で」/大観堂出版部、実業教科書
 6「真暗な朝」/日本文芸家協会

 3の「ほとりの私」の中に、昭和八年九月からわずか三年半の間に紀伊國屋出版部、都新聞社、河出書房と三社を移り歩き、悪評も生じたのではないかという述懐もあるが、ここでは4の『暗い夜の私』に出てくる青木書店にふれてみよう。

 戦前の青木書店の本は『近代出版史探索Ⅶ』1383の深田久彌編『峠』の他に二冊持っていて、トーマス・マンの『巴里日記』(麻生種衛訳、昭和十五年)と中島健蔵の『文芸と共に』(同十七年)である。『巴里日記』の表紙には「文化叢書」14と記され、奥付にはディドロやニーチェやロレンスの翻訳を主とする13までが掲載されている。また『文芸と共に』の巻末にも「ふらんすロマンチツク叢書」なる翻訳シリーズに加え、辰野隆や河盛好蔵や市原豊太のエッセイ集が並び、フランス文学の近傍に位置する出版社の印象を与える。

 

 とりわけ印象的なのは大きな検印紙で、白地に鳥が本をくわえて翔んでいる絵が描かれ、その左上にLibrairie Aokiと欧文が記され、下が検印を捺す箇所になっていた。たまたま『文芸と共に』の「編輯後記」は渡辺一夫が書いていて、彼が編集したとの断わりがあったことから、この検印紙のデザインも渡辺の手になるものであろう。戦後の青木書店のイメージとかなり異なる出版物とデザインだったが、出版社としてはよくあることで、当初はそれほど気にとめていなかった。

 ところが「暗い夜の私」を読んでいくと、昭和十四年の次のような記述に出会った。

 私はその年の七月からフランス文学の翻訳書と山岳関係の書物を主として出版している青木書店へ勤めるようになった。主人の青木良保さんは陸軍少尉として華中に出征中で、私の友人山口年臣が渡辺一夫、今日出海、深田久弥の三氏を顧問にあおいで、唯一人青木夫人富子さんの書店経営をたすけていたが、すこし刊行分をふやしたいので手伝いに来ないかと私は誘われたのであった。

 山口年臣は野口と同じく慶応から文化学院へ転校し、フランス文学の翻訳者となった人物で、私にはゾラの『禁断の愛』(角川文庫、昭和三十四年)の訳者として知っている。どのような経緯があってのことかわからないが、山口のフランス文学経由で、渡辺たちと青木書店が結びついたのであろう。これは「ルーゴン=マッカール叢書」第八巻『愛の一ページ』(石井啓子訳、藤原書店)の初訳である。

  愛の一ページ (ゾラ・セレクション 4)

 青木書店で野口は「都会文学叢書」を企画し、高見順『化粧』、井上友一郎『残夢』、日比野士朗『霧の夜』、徳田一穂『取残された町』、楢崎勤『蘆』を刊行し、また自らの処女作『風の系譜』も出版している。このように青木書店は「文化叢書」「ふらんすロマンチツク叢書」「都市文学叢書」に明らかなように、純然たる文芸書出版社であったことになる。

     (『風の系譜』)

 青木良保のプロフィルが気になるところだが、中島健蔵の『回想の文学』(平凡社)の第五部『雨過天晴の巻』を開いても、「青木書店主良保は、予備少尉ですでに応召、九月七日に、シンガポールで会っている」と一箇所だけ言及があるだけだ。鈴木徹造の『出版人物事典』にも青木は立項されていないので、『近代出版史探索Ⅶ』1383でも既述しておいたけれど、念のために『日本の出版社1992』の青木書店を繰ってみると、昭和二十二年創業、社長は青木理人とあった。とすれば、何らかの関係はあると考えられが、戦前の青木書店とは別の出版社と見なすべきだろう。同じ社名であるために混同していたことになる。本当に出版史は難しい。

回想の文学〈5〉雨過天晴の巻 昭和17年~23年 (1977年)


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