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古本夜話1421 尾崎喜八『詩集 此の糧』

 高杉一郎の「片山敏彦の書斎」( 『ザメンホフの家族たち』所収)に次のような一文がある。

 さて、ここに書きつけるのはつらいことだが、先生の古くからの心の友だちであり、「ロマン・ロラン友の会」の仲間でもあった尾崎喜八さんが、昭和十七年であったか、さつま芋を主題にした「此の糧」という戦争詩を発表した。私は大東亜会館で、詩人みずからその詩を朗読するのを聞いたが、先生は『文学界』に発表されたその詩を読んだのだったろう。私が訪ねていったとき、日ごろもの静かな先生には似つかないはげしいことばで親友の生き方を批評していたことを思いだす。

 この詩も含まれた『詩集 此の糧』を浜松の時代舎で入手している。昭和十七年十月に二見書房から刊行され、菊判上製二一一ページ、芹沢銈介装幀の戦時下の詩集とは思えないシンプルにしてさわやかな一冊である。『日本近代文学大事典』の立項のところに、この詩集の裸本の書影が掲載されているのはそのことを示そうとしているのだろう。だが目次を見ると、内容は「此の糧」が冒頭に掲げられ、「大詔奉戴日の歌」「少年航空兵」「シンガポール陥落」「特別攻撃隊」などが並び、まさに戦時下の詩集に他ならないとわかる。

 「此の糧」は「芋なり。/薩摩芋なり。」と始まり、「甘やかに湯気をたてたる薩摩芋、/親子三人、軍国の今日(けふ)の糧ぞと、/配りおこせし一貫目の芋なり。」と続き、次のようにも謳われている。

 大君の墾(はり)の広野に芋は作りて、
 これをしも節米の、
 混色の料(しろ)とするてふ忝さよ。
 つはものは命ささげて
 海のかなたに戦ふ日を、
 この健かの、味ゆたかなる畑つものに
 舌を鼓し、腹打つ事のありがたさよ、
 うれしさよ。

 尾崎はそのあとがきに当たる「巻末に」において、「大東亜戦争勃発の直前にあたる十月頃の作品から、最近までのもの三十余篇を選んで此の詩集を編んだ」と述べ、「此の戦争が続くかぎり、軍国の心の糧もまた引続いて掘出されるであらう」と記している。また隣組長や町内会役員の任を五年にわたって務めてきたので、当初は『組長詩篇』のタイトルをかんがえたのだが、高杉が証言しているように、「此の糧」は文学者愛国大会で「感激をもつてみづから朗読した詩」でもあり、自分の記念に値するし、知られてもいることから、このタイトルに決めたとされている。

  尾崎のことは水野葉舟を論じた拙稿「郊外と小品文」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)でふれている。彼は高村光太郎と水野とトライアングルな関係にあり、葉舟の長女と結婚し、自らも葉舟と同じ田園生活を営み、詩作に励んでいた。その一方で、高村、片山、高田博厚たちとロマン・ロランの会を結成し、片山と同じくロランを始めとて、ヴィルドラック、デュアメル、ヘッセ、カロッサ、リルケなどからの影響を受け、自然と内面がコレスポンダンスする詩人と見なされていた。

郊外の果てへの旅/混住社会論

 その盟友とされる片山のほうは高杉が証言しているように、「一見して非政治的な芸術の鑑賞家だとおもわれていた先生が、実はテコでも動かない意志にささえたれた抵抗者であること」を続けていたので、尾崎の大政翼賛会的な詩は認めることができず、「日ごろもの静かな先生には似つかないはげしいことばで親友の生き方を批評」することになったのであろう。

 その尾崎の所謂「転向」だが、彼がその「巻末に」で述べていた五年間にわたる隣組長や町内会役員の経験が気にかかる。中村文孝との対談集『全国に30万ある自治会ってなんだ!』でふれておいたように、戦前の町内会は国家総動員法と大政翼賛会によってシステム化された国内戦争支援体制と呼ぶことができる。そこで隣組長や町内会役員を担うことはそのまま戦争システムに身を委ねることにほかならず、自然と内面のコレスポンダンスとは無縁の散文的日常であり、それに五年間従事すれば、必然的に『詩集 此の糧』が生まれてくることは想像に難くない。

全国に30万ある「自治会」って何だ!

 そのように対照的だった尾崎と片山の関係が戦後どのようなものであったかは確かめていないけれど、片山はみすず書房に参画して、『ロマン・ロラン全集』を始めとする多くの翻訳や企画に関わっているにもかかわらず、尾崎とコラボレーションしていないことはそのトラウマに起因しているようにも思われる。

(第25巻『愛と死の戯れ』)


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