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古本夜話1422 みすず書房『片山敏彦の世界』

 片山敏彦とみすず書房の緊密な関係は、その生誕百年を記念して平成十年に編まれた『片山敏彦の世界』にも明らかである。片山敏彦文庫の会編とされているが、もちろん編集構成は小尾俊人によるもので、帯文には「〈詩人の清らかな手がすくうと/水は玉になる〉ロラン、ヘッセ、リルケらの翻訳より、われらの言語と精神にあたらしい地平を描いた人の軌跡。生誕100年記念帖。」と謳われている。表紙を開くと、その詩の一節がエピグラフとして置かれ、ゲーテの『死と真実』からの出典だとわかる。

片山敏彦の世界―アルバム:生涯と仕事

 このB5判変形の一冊はサブタイトルに「アルバム:生涯と仕事」とあるように、その詩や絵画も含めた片山の全仕事に及んでいる。だが本探索に引きつけて考えれば、ロマン・ロラン『愛と死の戯れ』(叢文閣、大正十五年)に始まる翻訳史であり、その装幀と文字が高村光太郎によるものだと教えられる。当時片山と高村たちはロマン・ロラン友の会を結成していたのである。

 また巻末の「アルバム1898-1961」には昭和十年代からの著書、翻訳書、寄稿したリトルマガジンの書影が六ページにわたって掲載され、彼の戦後における出版史もたどることができる。それに目を通すと、昭和三十年代のみすず書房の「原色版美術ライブラリー」や「現代美術」にも携わっていたとわかる。前者は古本屋で購入した記憶があるので探してみると、書影で示された四冊のうちの『印象派Ⅱ』『ボナール』が出てきた。

 この「原色版美術ライブラリー」は『みすず書房刊行書総目録1946-1995』で確認してみると、昭和三十年から三十三年にかけて、全54巻が刊行されている。先の『印象派Ⅱ』はその15、『ボナール』はその22、いずれも三十年の出版で、定価は二〇〇円である。ただこのB6変型、編集解説二〇ページ前後、図版25のフォーマットだが、表紙に編輯解説者の記載がないことから、片山によって編まれたと認識していなかったので、『片山敏彦の世界』で知ったことになる。

みすず書房刊行書総目録 1946‐1995

 この「原色版美術ライブラリー」に続いて、昭和三十四年から三十九年にかけて、「現代美術」全25巻が出され、これはB5判と一回り大きく、定価も四〇〇円である。片山はそのうちの7の『クレー』の解説を手がけているのだが、「原色版美術ライブラリー」と異なり「現代美術」のほうは入手していない。それではなぜ後者を知っているかというと、みすず書房の営業部長だった相田良雄の『出版販売を読む』(日本エディタースクール出版部、平成八年)に目を通していたからである。

 

 そこで相田はこれらの双方の美術シリーズにふれ、先行する「原色版美術ライブラリー」は売れ行きが急降下して、手形に追われる自転車操業から逃れられなかったけれど、「現代美術」のほうはその「千載一遇のチャンス」だったと述べている。おそらく「原色版美術ライブラリー」は続けて「東洋篇」15巻を出したことでつまづいたと考えられるのだが、それにはふれず、相田は書いている。

(「現代美術」) 

 「現代美術」は各冊四〇〇円で初版二万部、月一冊ずつ出て、切れ目なく売れました。当時その定価総額八〇〇万円で大体喰えたし、それまでに苦労して作ってきた本が重版で動き始めていたし、池田内閣が「所得倍増」を旗印にしてくれたおかげで、重版の定価も上げやすくなったことも重なって、経営の余裕がようやくできてきていた。だから無理して新刊を創る必要はないとぼくは考えた。新刊を、全体のバランスを無視して多く出しすぎると、金繰りを圧迫することが過去のデータからわかってきたからです。

 これには若干の解説が必要だろう。日本の出版業界は雑誌を主体として構築され、流通販売もそれに準じていたので、出版社の経済も同様だった。雑誌を持たない書籍出版社は雑誌と同じ経済機能を有する定期刊行の全集やシリーズを出版することが必要であり、その目的に高度成長期という時代も重なり、「現代美術」がまさにぴったりはまったといえる。昭和三十一年のフランクル『夜と霧』(霜山徳爾訳)はベストセラーとなり、売れていたけれど、自転車操業からの脱出とならなかったのは、単行本の出版だったことにもよっている。

 そのように考えてみると、みすず書房にとっても、「原色版美術ライブラリー」とそれに続く「現代美術」は資金繰りのことからいっても、記念すべき企画であり、当然のことながら片山もその企画者の一人であったにちがいない。それらを含んだ多くの企画に片山は著者、編集者、翻訳者として加わり、小尾俊人とコラボレーションしていたことになる。それらのすべてを顕彰し、必然的な一冊として『片山敏彦の世界』は編まれたといえよう。


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