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古本夜話1424 瀬田貞二と中村草田男『風船の使者』

 中村草田男の『萬緑』とみすず書房の関係に絡んで、北野民夫の他にもう一人の重要人物がいる。それは瀬田貞二で、彼は平凡社の『児童百科事典』の編集者、福音館の『落穂ひろい』の著者、評論社のトールキン『指輪物語』などの翻訳者である。

落穂ひろい(上)・(下) (福音館の単行本)  最新版 指輪物語1 旅の仲間 上 文庫

 これらのうちで、『近代出版史探索Ⅴ』994において『落穂ひろい』に言及しているが、『児童百科事典』は長きにわたって探しているけれど、古本屋で出合っていないし、また『ナルニア国物語』は読んでいるにしても、『指輪物語』のほうは完読に至っていない。それらのことに気を取られ、瀬田が草田男のメルヘン集『風船の使者』の解説を担っていたことをすっかり失念していた。『回想・北野民夫』にふれるに際して、確か『風船の使者』は刊行時に買い求めた記憶があり、探してみるとようやく出てきた。昭和五十二年初版で、表紙に小さく「瀬田貞二解説」とあった。

ライオンと魔女―ナルニア国ものがたり〈1〉 (岩波少年文庫)   

 このメルヘン集は昭和初期に『ホトトギス』に発表された写生文習作八編、戦後に『萬緑』に掲載された詩文学六編、合わせて十四編が収録されている。これらのメルヘンに関して、タイトルとなった「風船の使者」だけでも、その物語の紹介をしてみようかと考えたけれど、こうした草田男特有の魔術的世界といっていい作品群は、瀬田の二五ページに及ぶ詳細な解説にまかせるしかないだろうと判断する。それほどまでに瀬田の「解説」は草田男のメルヘンの成立とその背景を語って余人の追随を許さないもののように思えるからだ。

 それにここで言及しておきたいのは、『萬緑』、みすず書房、瀬田の関係であり、そのことに焦点を当てるべきだろう。幸いなことに近年になって、荒木田隆子『子どもの本のよあけ―瀬田貞二伝』(福音館書店、平成二十九年)も刊行されている。それを参照すると、「瀬田貞二年譜」に「一九三九年(二十三歳)このころより俳句を始め、中村草田男に師事。(俳名、余寧金之助)」とあり、戦後になって「一九四六年(三十歳)俳句雑誌「萬緑」の創刊に参加。編集長として編集実務を担当する。(~四八年)」とある。

子どもの本のよあけ 瀬田貞二伝 (福音館の単行本)

 敗戦後に瀬田は東京府立第三中学校教諭に復職する一方で、昭和二十四年に平凡社に入社し、『児童百科事典』全二十四巻の編輯に携わっている。荒木は瀬田と草田男の関係について、戦前に全国学生俳句連盟同人誌として、『成層圏』という俳句雑誌があり、草田とがその東京句会の指導者で、そこで句作に励んだと指摘している。そして実際に「鼠(ねずみ)・犬(いぬ)・馬(うま)雪の日に喪の目(め)して」などの草田男の句を引き、それが義父の死に際してもので、これまでと異なる感覚で詠まれていたことを記し、次のように述べている。「そういう、『生きた人間の切実な声を美しくひびきとおるようにした』草田男の句に、まだ大学生だった若い瀬田先生はとても強く惹かれた」と評している。

 そうした草田男の俳句に寄り添っていたのは北野民夫も同様であろう。残念ながら瀬田は昭和五十四年に六十三歳で亡くなっているので、北野が六十三年に七十五歳で逝去した際に刊行された『回想・北野民夫』には『萬緑』同人たちも寄稿しているけれど、瀬田に関する証言は残されていない。それでも同書所収の北野の「年譜」と先の瀬田の「年譜」を照合させてみると、二人がほぼ同じ大正初めの生まれで、戦後に『萬緑』の創刊に参画し、編集をともにしたことは明らかである。また北野が昭和二十六年にみすず書房の社長を引き受けたのも、瀬田が先んじて平凡社に入社し、編集に携わっていたこととコレスポンダンスしているように思われる。

 もちろんそこには『萬緑』の発行所の問題、及び草田男の著作の出版も絡んでいたにちがいない。そして二人は協力して、昭和二十八年からの草田男詩集『銀河依然』を始めとして、メルヘン集『風船の使者』、エッセイ集『魚食ふ、飯食ふ』なども刊行している。五十四年の瀬田、そして五十八年の草田男の死を受け、北野は結社「萬緑」の代表となり、五十九年からはおそらく瀬田の意向も反映され、編集委員として『中村草田男全集』全十八巻、別巻一冊の刊行も始められていくのである。

  中村草田男全集 (12)

 このように考えてみると、瀬田と北野は草田男の『萬緑』というリトルマガジンを共通のトポスとして絶えず出版の試みを続けていたことになる。そしてまったく別の存在のように思われてきた瀬田と北野が、みすず書房と草田男の関係を通じて、コラボレーションしていた事実を浮かび上がらせるのである。近代の出版のひとつのあり方として、そのような人間のつながりによって企画が成立していたことを示していよう。


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