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古本夜話1425 『海坂』と藤沢周平

 続けて『萬緑』を取り上げてきたので、ここでもうひとつの俳誌に言及する間奏的一編を書いてみよう。二十年ほど前に静岡の百貨店の古書市で、俳誌『海坂』の昭和三十一年から三十四年にかけての合本三冊を見つけ、購入した。それは私がこの分野に関心があったわけでも、句心が起きたからでもなく、藤沢周平がこの俳誌の読者で、投句していたことが記憶にあったからだ。

 『海坂』は『馬酔木』の同人だった相生垣瓜人と百合山羽公によって、昭和二十五年に創刊された俳誌である。ちなみに相生垣はその名前ゆえに、文学事典類を引くと、かならずその第一ページ冒頭に掲載されていて、『新潮日本文学辞典』も同様で、「庭前の草木鳥虫を相手に、季節の推移の中に、漢学素養のにじみ出た独特の俳諧を創始した」とある。おろらく『海坂』の俳句もそのような基調に措かれていると見ていいだろう。

新潮日本文学辞典

 昭和三十一年十二月号には「海坂会員名簿」が「付録」としてつき、主宰者の相生垣と百合山を始めとする三百人の名前が掲載されている。二人が浜松在住で、発行所も静岡市であることから、会員は大半が県在住で、県外の者は一割ほどである。残念ながら藤沢が『海坂』に投句していたのは昭和二十八年春から三十一年春にかけてで、三十年四月郷には県外会員のところ名前があったというが、この名簿にはもはやない。

 藤沢は「一茶という人」「小説『一茶』の背景」(『周平独言』所収、文春文庫)や「『海坂』、節のことなど」「稀有の俳句世界」(『小説の周辺』所収、文春文庫)などで、『海坂』や主宰者の相生垣、百合山にふれている。そのことについて、「一茶という人」で、藤沢は書いている。

周平独言 (文春文庫)  小説の周辺 (文春文庫)

 二十代の後半ごろに、私は北多摩のある病院に入院していた。そこで病気を治療してもらうかたわら、私は病院の中の俳句会に入っていたが、その俳句会はあるつながりから、作品を静岡の俳誌『海坂』に送り、指導を受けることになっていた。
 『海坂』は、馬酔木の同人である百合山羽公、相生垣瓜人両先生が主宰する俳誌である。私はすぐれた俳人であり、また篤実な両先生を敬愛し、熱心に句作した。(中略)「海坂」に出句していた当時は多少本格的な勉強をしたような気がしている。

 俳句の勉強だけでなく、結核療養所は藤沢自らが言うように「私にとって一種の大学」(『小説の周辺』)であり、病気と入院が彼を後年の小説家とならしめるトポスでもあった。そして『海坂』に投句する一方で、歳時記や季寄せ、俳句雑誌、現代俳句、芭蕉や蕪村や一茶の作品、評論に親しみ、それが『一茶』や小説長塚節としての『白き瓶』(いずれも文春文庫)へと結びついていくのである。

新装版 一茶 (文春文庫)  新装版 白き瓶(かめ)―小説長塚節 (文春文庫)

 『海坂』への投句は彼の没後に『藤沢周平句集』(文藝春秋)に収録され、そこには五十句余が編まれている。私が藤沢らしいと思う一句と彼が『海坂』でほめられた一句を挙げてみよう。

藤沢周平句集

  「蝶生れし青畑朝の日が射せり」

  「軒を出て狗寒月に照らされる」

 だが『海坂』と藤沢の関係は数年間の会員と投句だけで終わったわけではない。彼の愛読者であれば、周知のことに属するが、藤沢の物語世界の主要な舞台は海坂藩なのである。それは当然のことながら藤沢の故郷の山形県の庄内地方、江戸時代の荘内藩をモデルとしている。

 藤沢は「『海坂』、節のことなど」で、海坂藩という名前について、「『海坂』は、過去にただ一度だけ、私が真剣に句作した場所であり、その結社の親密な空気とともに、忘れ得ない俳誌」であり、「『海坂』借用の裏には言葉のうつくしさを借りただけでなく、そういう心情的な懐かしさも介在している」と述べ、その意味に言及している。

 海辺に立って一望の海を眺めると、水平線はゆるやかな弧を描く。そのあるかなきかのゆるやかな傾斜地を海坂と呼ぶと聞いた記憶がある。うつくしい言葉である。

 このような述懐から察せられるのは、藤沢にとって療養所での俳誌『海坂』との出会いがかけがえのない重要な体験に他ならず、そこでの作句がベースとなり、伏線となって、新たな時代小説家の誕生へと至ったのだとわかる。そして彼の結核療養所での俳句との出会いは、私にもう一人の作家のことをオーバーラップさせる。それは結城昌治である。

 勇気も戦後に清瀬の結核療養所に入り、そこで石田波郷に出会い、俳句を詠むようになる。偶然のことながら、石田も『海坂』の相生垣たちと同様に『馬酔木』の同人だったのである。とすれば、藤沢も結城もその簡潔にして喚起力の強い彼ら特有の文体は、『ホトトギス』や『馬酔木』に連なる近代俳句のエッセンスを吸収することで成立したといえるかもしれない。結城も句集『歳月』(未来工房)を晩年に上梓している。

歳月―結城昌治句集 (1979年)

 そしてこの二人はさらに同じアメリカのハードボイルド小説の影響を受け、ミステリの連作を書いている。藤沢にあっては『消えた女』(新潮文庫)に始まる「彫師伊之助捕物覚え」シリーズ、結城は『暗い落日』(中公文庫)などの私立探偵真木三部作で、これらが時として詩に至るまでの散文家であるロス・マクドナルドの影響下に書かれたのは明白で、これもまた偶然ではないように思われる。藤沢と結城は同じく昭和二年に生まれ、結核療養所、俳句、ハードボイルド小説を通じて、同じような軌跡をたどったまさに同時代の文学者だったことになる。それらに関しては「ゾラからハードボイルドへ」(『近代出版史探索外伝』所収)を参照されたい。

消えた女―彫師伊之助捕物覚え (新潮文庫)  暗い落日 (中公文庫)  近代出版史探索外伝

 またかつて「藤沢周平、『海坂』、相生垣瓜人」(『古本屋散策』所収)も書いていることも付記しておく。

古本屋散策


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