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古本夜話1429 長谷川潾二郎画文集『静かな奇譚』

 本探索において、前回の長谷川四郎で長谷川四兄弟のうちの三人は取り上げてきたので、もう一人の次兄である潾二郎にも言及しておくべきだろう。前回は画家と紹介しておいたけれど、彼は『探偵趣味』や『新青年』に地味井平造のペンネームで「煙突綺談」などのミステリーを発表している。それは長兄の海太郎(谷譲次)が潾二郎をジミーと呼んでいたことに由来するし、その名前は『日本ミステリー事典』(新潮社)でも立項を見ている。作品のほうはミステリー文学資料館編『「探偵趣味」傑作選』(光文社文庫)といった各種アンソロジーに収録されている。

日本ミステリー事典 (新潮選書)  「探偵趣味」傑作選―幻の探偵雑誌〈2〉 (光文社文庫)

 潾二郎がミステリーを発表したのは兄の影響もさることながら、『近代出版史探索』864の水谷準が函館中学の同窓で、『探偵趣味』や『新青年』の編集長だったからである。それに上京後は水谷の下宿に同居していた。ちなみに『同Ⅴ』899の久生十蘭も同窓だったし、海太郎は『同』99の松本泰、恵子夫妻の奎運社と『探偵文芸』執筆人脈に属し、松本恵子も函館出身であった。潾二郎は大正十三年に上京し、そのような環境下で、川端画学校で学び、後に油彩画を独学し、昭和六年にはパリに向かい、一年間を過ごし、帰国後、画家の道を歩んでいくことになる。

 といっても、戦前から画家として知られていたわけではないし、私などにしても画家としての長谷川を認識したのは、洲之内徹の『気まぐれ美術館』『絵のなかの散歩』(いずれも新潮社)においてで、彼が語る神田の古道具屋での「薔薇」との邂逅や「猫」のエピソードを通じてだった。その一方で、長谷川の小規模な展覧会はいくつも開かれていたようだが、作品の多くは公開されないままで、昭和六十三年に八十四歳で亡くなっている。

気まぐれ美術館 (新潮文庫) 絵のなかの散歩 (新潮文庫)

 大規模な回顧展が開催されるのは今世紀に入ってのことで、二〇一〇年(平成十二年)に「長谷川潾二郎展」が平塚市美術館、下関市立美術館、函館美術館、宮城県立美術館と巡回され、その公式図録兼書籍として、長谷川潾二郎画文集『静かな奇譚』(求龍堂)が刊行される。そうしてようやく長谷川の「画文」を合わせて目にし、味わうことができるようになったのである。それは洲之内が言及した「猫」を表紙に用い、また「薔薇」のほうもカラーで収録されている。これらの二作も含め、A4判変形の大きな図録で、長谷川の多くの作品を見るのは初めてだったが、そこに引かれていた「私の中には詩人と職人の二人が住んでいる。/詩人の言うことをきいて職人が働くのだ」(「感想録」)という彼の言によって、風景画にしても静物画にしても、そのようにして描かれたのだと納得させられる。

長谷川〓二郎画文集 静かな奇譚

 ここでは風景画のことを書いてみる。私は郊外研究者でもあるので、関東大震災後の東京の郊外を描いた「やぐらのある風景(1930・40年代)」「荻窪風景」「晩秋風景」「武蔵野風景」、戦後の「荻窪風景」「早春」に心を惹かれるものがある。またパリ時代の「巴里郊外」「道(巴里郊外)」「モンルージュ付近 ヂプシーの馬車」「ガソリンスダンド」には、拙稿「エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)のホッパーと共通するニュアンスを覚える。ホッパーも「ガソリンスタンド」と題する絵を描いている。また長谷川への影響をいうのであれば、ただちにアンリ・ルソーが想起されるけれど、私もドアノーの写真集『パリ郊外』を論じた「原風景としての『ゾーン』」(同前)において、その住民であるルソー自身を召喚しておいたのである。

 郊外の果てへの旅/混住社会論  パリ郊外 ドアノー写真集 (4)  エドワード・ホッパー《ガソリンスタンド》キャンバスプリントアートワーク抽象絵画絵画キャンバスウォールアート寝室ホームオフィスの装飾85x119cm 33"x47" フレームなし

 だが長谷川にしてみれば、やはりその「原風景」は函館に求められるし、『静かな奇譚』にしても、「ハリスト正教会への道」「函館風景」「ハリスト正教会」「私たちの部屋」「図書館 於函館」「函館風景」が巻頭に措かれている。それは潾二郎のみならず、長谷川兄弟にとっても同様だと思われる。それは昭和のミステリー、水谷準の『新青年』、久生十蘭の特異な文学世界、松本恵子の翻訳にしても、函館を「原風景」としているのかもしれない。四郎も前回の『長谷川四郎全集』第一巻の「ガンガン寺の鐘」(作者のノート・1)において、ガンガン寺として知られる函館ハリストス正教会のすぐ近くで生まれたと述べ、次のように続けている。

 長谷川四郎全集〈第1巻〉 (1976年)(『長谷川四郎全集』)

 ガンガン寺というのは、このお寺の鐘がガーン、ガーンと鳴ったからである。この鐘は鐘楼のてっぺんの部屋につるされていた一個の大きな鐘で、鐘の内側には「舌(ヤズイク)」と呼ばれるものがぶらさがっており、舌につけられたロープのはじっこを地上の鐘鳴らし男がひっぱって鳴らすのである。ロシア語で鐘のことをコーロコルというが、このコーロコルはコロコロではなく、ガーン、ガーンと鳴りひびいた。

 潾二郎の「ハリストス正教会への道」「ハリストス正教会」にも、そうした想いが反映されているのだろう。また松本恵子がユゴーの『ノートルダムのせむし男』の訳者であることも想起してしまう。それに長谷川家のあたりは国際的な「寺町」のようなトポスで、ハリストス正教会の下手にはフランス天主教の寺、家の下には大きな本願時、少し↑には英国の聖公会牧師館もあったが、残っているのはガンガン寺だけで、その他は火事で焼けてしまったという。

 ハリストスはロシア語でキリストを意味し、函館館ばかりでなく、北海道全域、さらに全国にも及んでいるという。私が繰り返し見ているハリストス正教会は豊橋に位置しているのだが、ずっと閉館状態が続いている。次に目にする機会があれば、その事情を確認してみよう。

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