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古本夜話1443 龍胆寺雄『シャボテン』と誠文堂新光社

 本探索1440の『釣りの四季』と同じく、誠文堂新光社から昭和三十八年に龍胆寺雄の『シャボテン』が刊行されている。これも函入B4判で「豪華版」と銘打たれ、定価は二四〇〇円である。

 

 昭和三十年代に釣りとシャボテンの豪華本が出版された事情は分かるような気がする。それは釣りだけでなく、シャボテンもブームであり、私などにしてもその栽培を試みていたし、どこの家でもシャボテンを見かけたりしていた。それからもうひとつのトレンドが鳩を飼うことで、私はそうではなかったけれど、これも見慣れた光景だった。しかし川釣りもシャボテンも鳩を飼う光景も、いつの間にか身近なものではなくなり、消えてしまったのである。そうした鳩のことは、後年に大島渚の映画『愛と希望の街』(松竹、昭和三十四年)を観て思い出したのである。この大島のデビュー作は当初『鳩を売る少年』というタイトルだったが、会社の方針で改題されたという。

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 さて『シャボテン』も同様だったが、龍胆寺のほうは『近代出版史探索Ⅱ』217で、昭和初期のモダニズム作家、戦時下の民族文学者としてふれているけれど、ここで『日本近代文学大事典』 の立項を引いてみる。

 龍胆寺雄 りゅうたんじ・ゆう 明治三四・四・二七~平成四・六・三(1901~1992)小説家、茨城県生れ。本名橘詰雄。慶大医学部中退。昭和三年、「改造」創刊一〇周年記念の懸賞小説に『放浪時代』が当選、ひきつづき同誌に『アパアトの女たちと僕と』(昭三・一一)を発表、昭和初頭のモダニズム文学流行の波にのって、いちやく文壇に登場。芸術派十字軍を名のる十三人倶楽部に参加(昭四)。ついで『近代生活』(昭四~七)の同人に加わり、ここを拠点に新興芸術派倶楽部を結成(昭五)。浅原六朗、久野豊彦らとともにこの派の中心的な作家とみられた。浅原、久野との共同制作に『1930年』(「中央公論」昭和五・一〇)がある。当時の代表作『魔子』(「改造」昭和六・九)では都会の享楽生活のなかで「没落」する女性を描いて時代相をとらえているのだが、『M・子への遺書』(「文芸」昭和九・七)で文壇の派閥性を攻撃したことから、その地位をうしなった。(中略)なおシャボテンの栽培、研究では国際的に知られ、日本沙漠植物研究会を主宰、『シャボテン幻想』(昭和四九・六 毎日新聞社)などの著がある。 

 さらに龍胆寺の文学者としての軌跡をたどりたい誘惑に駆られるが、それは別の機会に譲り、ここではシャボテンに限るしかないだろう。先の文学者の立項としては異例の国際的なシャボテンの栽培、研究者という紹介は『シャボテン』に目を通すと納得がいく。三年に及ぶ執筆、写真撮影、編集を経て、上下二段組四三二ページに五百枚の写真が収録され、それに二三ページの索引も付され、英語タイトルもCacti & Succulentsとあるように、当時としては国際的な大著と自負することもできたのではないだろうか。

 冒頭に「シャボテン幻想」と題する詩が置かれ、その一連目は「故郷は遥かかなた/肩には袋ひとつ/シャボテン曠野に/われ一人立てり」と始まっている。それに続く「序にかえて」で、近代文学史でもよく知られた「ある魔障のために」、流行作家として「故意に埋没抹殺された」が、シャボテンによって救われたと述べている。そこに至る経緯と事情は詳らかでないけれど、それをたどってみると、写真にも示されているように、篠崎雄斎というシャボテンの先達の手ほどきを受けたことがきっかけであるようだ。その篠崎の温室である紅南園はシャボテン・マニアの聖地にして思い出のトポスであり、それを範として龍胆寺のシャボテン温室も設営されていったと思われる。そして昭和五年からシャボテンの研究を始め、先の立項にあった日本沙漠植物研究会を創立し、月刊誌『シャボテンと多肉植物』を発刊し、十一年には『シャボテンと多肉植物の栽培智識』を刊行している。この雑誌と書籍は前回の資文堂によって担われたのではないだろうか。

(『シャボテンと多肉植物の栽培智識』)

 一方で誠文堂新光社との関係だが、小川菊松の『出版興亡五十年』には資文堂も龍胆寺も出てこないけれど、前回の資文堂の「最新園芸叢書」の著者の石井勇義が登場している。石井は『近代出版史探索Ⅵ』1119の原田三夫の紹介で、大正十五年に『実際園芸』を創刊し、その主幹となり、昭和十六年の『園芸大辞典』へと結びつき、『実際園芸』のほうは戦後に『農耕と園芸』と改題され、誠文堂新光社の九大雑誌のひとつとなっている。

  農耕と園芸 2023年 秋号[雑誌]

 原田のプロフィルは拙稿「原田三夫の『思い出の七十年』(『古本探究Ⅱ』所収)を参照されたい。また『シャボテン』の奥付は裏広告にあるように、石井は『原色園芸植物図譜』全六巻を編み、同じく資文堂の『園芸年間行事四季の園芸』などの著者の浅山英一も『趣味の草花』『球根草花』を刊行し、龍胆寺の『シャボテンと多肉植物』『シャボテン新入門』と並んでいる。

原色園芸植物図譜〈第1-6巻〉 (1930年)  シャボテン新入門 (1961年) (『シャボテン新入門』)

 このような事実から推測すれば、資文堂の園芸書の著者とシリーズは誠文堂新光社へと引き継がれ、そうした関連から龍胆寺の豪華版『シャボテン』も上梓にいたったのではないだろうか。


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