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古本夜話1444 誠文堂新光社、小川誠一郎、玉川大学出版部『玉川百科大辞典』

 続けて『釣りの四季』『シャボテン』と誠文堂新光社の趣味実用書といっていい「豪華版」を取り上げてきたが、これらの企画者と思われ、奥付発行者とある小川誠一郎は言及してこなかった。誠文堂新光社の小川菊松の長男の誠一郎は菊松の『出版興亡五十年』において、「長男誠一郎の召時の社前の光景」が掲載されていたし、昭和十六年の中国での自動車事故で重傷を負い、その後戦地にいかずにすんだことが語られていた。それに彼は『出版人物事典』でも立項されていたのである。

   出版人物事典―明治ー平成物故出版人

小川誠一郎 おがわ・せいいちろう]一九一三~一九七七(大正二~昭和五二)誠文堂新光社社長。慶大卒。誠文堂新光社創業者の父・小川菊松が一九四六年(昭和二一)公職追放により社長を退いたあとを受け二代目社長に就任。以来、玉川大学との提携による『玉川百科大辞典』『玉川こども百科』や『世界地理風俗大系』などの大企画をはじめ、歴史・化学・児童・教養・園芸・商業経営など幅広い分野の書籍・雑誌を出版した。六二年(昭和三七)洋画・日本画の複製絵画を制作販売する大日本絵画巧芸美術株式会社を創立。また、国際文化交易会社をつくり、印刷を通じて日韓親善に尽くした。文化産業信用組合理事長、日本書籍出版協会常任理事、日本出版クラブ理事などをつとめた。

 ここで小川が『玉川百科大辞典』などに関係し、現在の大日本絵画の設立者であり、しかも昭和三十年代にビジュアル本の『世界地理風俗大系』などを刊行していたことを教えられた。

  (『玉川百科大辞典』)世界地理風俗大系 12 西アジア (『世界地理風俗大系』)

 それだけでなく、植田康夫『「週刊読書人」と戦後知識人』(「出版人に聞く」17)において、植田が中学時代に『出版興亡五十年』と同じく、『玉川学習大辞典』を愛読していたことを知った。その際には『玉川学習大辞典』(全三十二巻、昭和二十六年)が戦前の『児童百科大辞典』をベースにしているのではないかと述べておいた。後者は『近代出版史探索Ⅳ』627で、玉川学園創立者小原国芳が全三十巻で刊行したものだと指摘したのだが、入手できず、代わりに昭和三十三年の『玉川百科大辞典』を古本屋の均一台で三冊拾っていたのである。

『週刊読書人』と戦後知識人 (出版人に聞く)   (『玉川学習大辞典』)(『児童百科大辞典』)

 それらは全三十一巻のうちの12「哲学・宗教・道徳」、16「西洋文芸」、20「音楽・舞踏・演劇・映画」だった。植田が中学の図書室で見出し、日本文学の知識を得るためにうってつけの辞典が『玉川学習大辞典』の「文学篇」であったというので、こちらの「西洋文芸」を見せると、「そうそう、この日本文芸版です」との答えが返ってきた。
 
 植田は戦前の昭和十四年生まれで、戦後生まれの私より一回り年上だが、その気持はよくわかる気がする。まったく知ることのなかった知識と情報が百科辞典に詰めこまれ、それと出会うことは衝撃であった時代が確かに存在したのだ。それは確実の昭和三十年代までは続いていたのである。

 佃実夫、稲村徹元編『辞典の辞典』(文和書房、昭和五十年)は「百科辞典」のグループに属するものとして「学習用の百科事典」を挙げている。

辞典の辞典 (1975年)  

 この分野でもっとも定評のあるものは『玉川百科大辞典』である。各巻を数学、植物、文芸、経済などの部門別に割りあて、内容は中学から高校の各教科にそって大系的にくわしく解説したもの。ちょうど二〇代後半から三〇代の人たちなら、学生時代の自習に、よく利用した辞典として懐かしい思い出があるはず。だが、すでに絶版であり、再版あるいは改訂の計画もない由なので、公共図書館や学校図書館のものを利用するほかない。

 先述したように、植田の場合は年齢的にいって、その前身の『玉川学習大辞典』だったことになる。あらためて、その16を見てみると、編集は玉川大学出版部、編集者は小原国芳、発行が誠文堂新光社、発行者は小川誠一郎と明記されている事実から判断すれば、編集を玉川大学出版部が受持ち、販売は誠文堂新光社が担ったことを示唆している。それは玉川大学出版部が図書館も含めた営業販売に通じておらず、流通や販売促進に優れた誠文堂新光社に委ねたことを意味していよう。おそらくそれは小川菊松が戦後に設立した全国図書販売株式会社ともリンクしているはずだ。

 もう少し詳しく述べれば、監修者は小川ゆえか検印紙には小原の印が打たれ、印税が彼に支払われる実態を告げている。また16の編集は外国文学者の小津次郎、土居寛之、富士川英郎、山室静となっていて、彼らを含めた三十余名が執筆者だとわかる。また実際の編集者としては田口迪太郎、伊東祐信の名前が挙がっている。この二人は玉川大学出版部の編集者だと考えられる。やはり戦前の『児童百科大辞典』の系譜上にある編集者だと見なすことができよう。


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