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古本夜話1451 ルイーズ・ミッシェル『パリ・コミューン』とゾラ『壊滅』

 クロポトキンは『ある革命家の思い出』において、もう一度反復すれば、十九世紀後半の政治状況を次のように分析している。国際労働者協会(第一インターナショナル)は万国の労働者の連帯と団結に基づき、資本と戦うという思想によってヨーロッパで隆盛を迎えていた。だが普仏戦争はその成長をはばみ、文明と人間の進歩をとどめさせ、パリ・コミューンの敗北とドイツの圧倒的勝利は異常な状況を生み出し、軍国主義の時代へと追いやったと。その上で、「パリ・コミューンは、理想をまだ十分に明らかにしないうちに勃発してしまった恐ろしい例である」と述べている。
 
  

 そのような十九世紀フランスの歴史、すなわち第二帝政時代を描いたのがゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」で、とりわけその第十九巻の『壊滅』はまさにその普仏戦争とパリ・コミューンをテーマとしているのである。第九巻の『ナナ』のクロージングは普仏戦争の始まりを告げ、第十五巻の『大地』の主人公ジャンが、『壊滅』においてはフランス軍伍長として出現し、普仏戦争のみならず、パリ・コミューンに対するヴェルサイユ軍の一員として若き戦友を殺害してしまうのである。またこれは最終巻の『パスカル博士』で明かされるのだが、前回の『ジェルミナール』の主人公エチエンヌはパリ・コミューンに加わり、敗北し、流刑に処せられたとされる。ちなみにジャンとエチエンヌはルーゴン=マッカール一族において、伯父と甥の関係にある。

壊滅 (ルーゴン・マッカール叢書) ナナ (ルーゴン=マッカール叢書) 大地 (ルーゴン=マッカール叢書) パスカル博士 (ルーゴン=マッカール叢書) ジェルミナール

 しかしこのような『壊滅』をめぐる事実はほとんど知られていなかったといっていい。『近代出版史探索』196で既述しておいたように、『壊滅』は入手困難な戦前の抄訳しかなく、「ルーゴン=マッカール叢書」全二十巻はすべてが邦訳されていなかったことにその理由が求められる。それに加え、翻訳出版が繰り返され、誰もが知っている『居酒屋』『ナナ』の物語世界の大団円が、普仏戦争とパリ・コミューンをテーマとする『壊滅』へと向かっているとはほとんど想定外だったと思われる。それをふまえ、これも『近代出版史探索』192でふれておいた論創社版「ルーゴン=マッカール叢書」は企画され、同時期に刊行され始めた藤原書店の「ゾラ・セレクション」と合わせ、ようやくすべてを新訳で読むことができるようになったのである。

居酒屋 (新潮文庫)
 さてその『壊滅』だが、これはゾラの小説とは思われないほど戦闘や銃撃シーンが多く、それらは本探索1427の船戸与一の文体を擬して翻訳しているし、またそのためにパリ・コミューン文献も参照し、その臨場感を再現するつもりで翻訳を進めている。そうした試みが成功しているかは読者の判断にゆだねるしかないが、それもすでに十年以上も前のことで、船戸も鬼籍に入ってしまったことを考えると、感無量の思いに捉われる。その際に参照したパリ・コミューン文献も挙げておこう。

1 マルクス 『フランスの内乱』 村田陽一訳、『マルクス=エンゲルス全集』第17巻所収 大月書店
2 ルイーズ・ミッシル 『パリ・コミューン』 天羽均、西川辰夫訳 人文書院
3 リサガレー 『パリ・コミューン』 喜安朗、長部重康訳 現代思潮社
4 ルフェーブル 『パリ・コミューン』 河野健二、柴田朝子訳 岩波書店
5 M・バレス 『パリ・コミューン』 谷長茂訳、「世界の文学」25 中央公論社
6 G・プルジャン 『パリ・コミューン』 上村正訳、文庫クセジュ 白水社
7 大仏次郎 『パリ燃ゆ』   朝日選書
8 柴田三千雄 『パリ・コミューン』   中公新書
9 桂圭男 『パリ・コミューン』   岩波新書
10 磯見辰典 『パリ・コミューン』 「ドキュメンタリー・フランス史」  白水社

(現代思潮社) パリ・コミューン(上) (岩波文庫) パリ・コミューン (1961年) (文庫クセジュ) 新装版 パリ燃ゆ I
 
 ここでは2の『パリ・コミューン』を取り上げたい。(以下『ある革命家の思い出』におけるルイズ・ミシェル表記を採用―引用者注)。それはクロポトキンも彼女とジュネーブで出会っているし、『近代出版史探索Ⅶ』1325のエリゼ・ルクリュを含め、パリ・コミューンの亡命者たちがそこに揃っていたのである。また『エマ・ゴールドマン自伝』においても、ロンドンで彼女を含めたフランス人アナキストたちからエマは歓迎され、ルイズからの「希望と励まし」を受けたことを語っている。エマも『パリ・コミューン』を読み、その不屈の精神にオマージュを捧げ、彼女の生涯を跡づけてもいるからだ。

  エマ・ゴールドマン自伝〈上〉 エマ・ゴールドマン自伝〈下〉

 労働者の血にまみれたコミューンで、彼女は死の瀬戸際に立ちながら、コミューンの最期の拠点のペール・ラシェーズのバリケードで最も危険な持ち場にとどまり、法廷でも同じ立場を保った。そしてニューカレドニアへ流刑となったが、特赦によるフランスへの帰還は民衆の歓呼によって迎えられ、まもなくアンリヴァリッド広場へ向かう飢えた失業者のデモの先頭に立ったのである。だがパリ・コミューンは紛れもない「一女性革命家の手記」であり、また彼女の『壊滅』に他ならない。そこには十万人を超える死者たちへの追悼がこめられ、「あたかも墓名を掘りおこすように、くられたページからは、使者たちの思い出がよみがえってくる」のだ。

 ルイズ・ミシェルもまたエマと並んで、アナキズムのミューズであり、大杉栄がエマと同じく、娘にルイーズと命名したことはそれを象徴していよう。


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