出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1450 ステプニャーク『地下ロシア』とゾラ『ジェルミナール』

 『ある革命家の思い出』に述べられているように、クロポトキンは前回ふれた一八七二年のスイスにおける国際労働者協会(第一インターナショナル)の歴史と活動への注視、及びジュネーブ統一支部での国際労働者運動の実態を知ったことで、ロシアに帰ると、チャイコーフスキー団に参加することになった。

  

 当時のロシアは「ヴ・ナロード!」(人民のなかへ!)を合言葉とする青年たちの多くの小さなグループが形成され、医者、教師、看護婦としてばかりか、労働者としても農村に向/かい、民衆の生活のために役立とうとする運動が最高潮に達していた。チャイコーフスキー団もそのひとつで、中心メンバーはチャイコーフスキーを始めとして、ステプニャーク・クラフチンスキイ、ソフィーヤ・ペローフスカイヤ、ドミートリイ・クレーメンツたちだった。クロポトキンは「団の最初の会合で知り合った数十名の男女ほど道徳的にすぐれた人々に、かつてどこででも出会ったことはなかった」と記している。

 しかしこのようなチャイコーフスキー団に対しても国家警察による弾圧が始まり、メンバーの逮捕は続き、クロポトキン自身もサンクト・ペテルブルグの要塞監獄へ投獄され、二年間を過ごし、脱走へと至り、亡命者としての生活が始まっていくのである。その一方で、「親友」といえるステプニャーク・クラフチンスキイは、一八七六年にナロードニキの非合法組織「土地と自由」を結成し、七九年に分裂した「人民の意思」党はテロルを闘争の武器として、多くの暗殺計画を実行し、八一年にはアレクサンドル二世も暗殺に至るのである。

 「このようにして、アレクサンドル二世の人生の悲劇は終わった」とテロルに関わっていなかったクロポトキンは書いているが、そのために亡命先のスイスから追放されざるをえなかった。それはステプニャークも同様だった。荒畑寒村が『ロシア革命運動の曙』(岩波新書)を著わすのは昭和三十五年のことで、これは「はしがき」に示されているように、クロポトキンの『ある革命家の思い出』やステプニャークの『地下ロシア』を参照して書かれている。後者はその後、三一書房からやはり『地下ロシア』(佐野努訳、同四十年)として翻訳されている。

 しかしステプニャークの翻訳はこれが初めてではなく、『地下ロシア』は新聞記者、政治小説家の宮崎夢柳によって翻案され、『虚無党伝記鬼啾啾』(自由燈出版局、明治十八年)として刊行されたが、宮崎は出版条令違反となり、下獄している。また『断頭台に上るまで』(水上一枝訳、昭文堂、大正十五年)、『恋の革命家』(同前、成光館、昭和二年)『新しき改宗』(山内房吉訳、金星堂、同五年)の翻訳が伝えられているが、これらは未見である。ただ『虚無党伝記鬼啾啾』は未読なので、これは私の推測になるが、ナロードニキの物語として、チャイコーフスキー団というよりも、「人民の意思」党によるテロルに焦点が当てられ、それが『近代出版史探索Ⅶ』1219の自由党と自由民権運動に重ねられ、出版条令違反へと結びついていったのではないだろうか。

虚無党実伝記鬼啾啾 (リプリント日本近代文学 81)

 さて前置きが長くなってしまったけれど、ゾラの『ジェルミナール』はステプニャークの『地下ロシア』を参照し、亡命ロシア人で炭坑の機械操作係のスヴァーリンを造型したと思われる。『地下ロシア』の最初のイタリア語版が刊行されたのは一八八二年、「地下フランス」の物語に他ならない『ジェルミナール』は八五年であり、『地下ロシア』の「訳者あとがき」で、佐野努はゾラがそれを読み、翻案するつもりでいたとして、『ジェルミナール』の「ロシア人革命家は、ステプニャークとクロポトキンがモデルである」との風説を紹介している。そのスヴァーリンを拙訳で紹介しよう。

ジェルミナール

  スヴァーリンはトゥーラ県のある貴族の末っ子だった。サン≂ペテルブルグで医学を修め、当時のロシアのすべての若者を突き動かした社会主義の情熱によって、彼は民衆の中へ入り、彼らを知り、同胞として彼らを助けるために、機械技術の仕事を手職として身につける決意をした。だからロシア皇帝の暗殺に失敗し、逃亡した後、今やこの仕事で暮らしていたのだ。一ヵ月間彼は果物屋の地下室に潜み、通りを横断する坑道を掘り、家ごと吹き飛ばされる危険に絶えずさらされ、爆弾を仕掛けたのだった。

 このスヴァーリンのプロフィルはクロポトキンとステプニャークのアマルガムのようであり、ロシア皇帝暗殺の失敗は『地下ロシア』における「革命家の生活」のエピソードの翻 案のように思える。だがスヴァーリンのインターナショナル批判と破壊への情熱はバクーニンに由来しているのだろうし、そのようにしてスヴァーリンは炭坑を崩壊させようとするのだ。

 それゆえに私も「訳者あとがき」で、スヴァーリンはバクーニンの影響を受け、アレクサンドル二世を暗殺するに至った「人民の意思」党のメンバーをモデルとして造型されたのではないかと既述しておいた。そして『ジェルミナール』における炭鉱ストライキが不可視の資本に対する労働の側からの戦いで、そこに十九世紀後半のヨーロッパ社会主義の潮流が投入され、それがロシア・ナロードニキの流れからプルードン主義、革命的集産主義、サンディカリズム、マルクスの思想といった第一インターナショナルと連動しているのではないかとも述べておいて。それはあらためて、クロポトキンの『ある革命家の思い出』、及びステプニャークの『地下ロシア』を読むことで確認されたように思う。

 なお同時代にステプニャークの『ツァー権力下のロシア』(漆原隆子訳、現代思潮社、昭和四十三年)も出版されたことを付記しておく。


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら