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古本夜話1453 義和団の乱と大山梓編『北京籠城日記』

 前回、渡正元が普仏戦争とパリ・コミューンに遭遇し、明治四年にその記録が『法普戦争誌略』として刊行され、それが二万部に及んだこと、及び大正三年に第一次世界大戦の勃発を受け、『巴里籠城日誌』として再刊されたことを既述しておいた。

(東亜堂版) 

 だが出版の常として、渡の著書はそれだけで終わったわけではなく、日清、日露戦争においても参照され、広範な影響を生じさせたし、それは義和団の乱の例にも明らかと思われる。その事実にふれる前に、義和団の乱について簡略に示しておかなければならないだろう。

 『20世紀全記録』(講談社)は巻頭の一九〇〇年=明治三十三年六月二十一日のところで、「清の西太后/義和団にあおられ/列強8カ国に戦線布告」との見出しを付し、その前日の出来事について記している。
 
20世紀全記録(クロニック)

 北京の各国公使館の周囲を、「替天行道、扶清滅洋」と大書した紅色の三色旗が埋めつくした。長剣や戟(ほこ)をきらめかせ、紅や黄の巾を身につけた義和団である。彼らは、農民、労働者、職人、官吏、兵士などからなり、みんな一様に若かった。
 義和団は宗教的秘密結社「白蓮教」の分派で、初めは「扶清仇教」を掲げていた。しかし1898年から前年にかけて、欧州列強が強引に中国侵略・分割に乗り出しため、彼らは急速に排外民族主義運動の色彩を強め、「扶清滅洋」を旗印に、列強の支配に苦しむ民衆を巻き込みながら、北京へ向かって進撃してきた。(後略)

 それに対して、北京には日本、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカ、オーストリア、ロシアの公使館があり、西太后による宣戦布告もなされたことで、「列強8カ国」の各公使館員たちは北京に籠城せざるをえなかった。またイギリスやドイツは日本に援軍を求め、七月六日に日本は出兵し、八月十四日に「列強8カ国」連合軍は北京を総攻撃し、籠城していた公使館員たちは解放されたのである。

 当然のことながら、日本公使館の人々も北京に籠城せざるをえなかったのであり、それは当事者だった柴五郎が『北京籠城』と題して、明治三十五年に軍事教育会から刊行し、服部宇之吉は『北京籠城日記』として、帰国直後の三十三年に出版し、大正十五年に還暦記念限定出版に際し、「北京籠城回顧録」などが付されることになった。パリと北京の相違はあるけれど、パリ・コミューンは一八七一年、義和団の北京入場は一九〇〇年で、先行する同様の記録は渡正元の『法普戦争誌略』だったのではないだろうか。しかもその刊行が二万部に及んだということからすれば、柴にしても服部にしても、渡の著書に通じていたと考えられる。

 

 それゆえに二人とも渡の著書が記憶にあったはずだし、その北京籠城も記録しておくべきだという使命感を自覚していたにちがいない。柴は東海散士の弟で、陸軍士官学校を出て、日清戦争時には大尉、少佐、戦後に北京公使館付武官、服部は東京帝大文科大学助教授で、文部省からの北京留学中に日本公使館の警備に従ったのである。服部が『詳解漢和大字典』(冨山房)の著者であることは承知していたが、北京籠城を体験していたことは知らずにいた。

修訂増補 詳解漢和大字典

 それは柴にしても同じで、大山梓編、柴五郎、服部宇之吉著『北京籠城日記』(平凡社、「東洋文庫」、昭和四十年)が刊行されたことによって、二人の北京籠城とその記録を知ったのである。その口絵写真は北京籠城に参加した日本公使館員、水兵、義勇兵の集合写真が掲載され、そこには柴や服部の姿も写っている。
 
北京籠城北京籠城日記

 そして時系列から考えると、柴と服部が渡の『法普戦争誌略』に触発され、北京籠城記をまとめたことになる。だが渡のほうも二人の『北京籠城』『北京籠城日記』の刊行を見て、あらためて『法普戦争誌略』を『巴里籠城日誌』として再版することを決意したのではないだろうか。もちろん第一次世界大戦の勃発もあるけれど、大正三年時における再版は二人の籠城記を抜きにしては語れないように思われる。

 この北京籠城をアメリカ映画に移してみると、一九六三年のマイケル・ワジンスキー監督『北京の55日』が挙げられる。タイトルは六月二十日から八月十四日までを意味しているのだろう。スペインに設けられた大がかりな北京のセットを舞台として、アメリカ軍少佐のチャールトン・ヘストン、イギリス公使のデヴィッド・ニーヴン、ロシア貴婦人のエヴァ・ガードナーに混じって、伊丹一三(後の十三)が日本守備隊長に扮している。思ったほど伊丹の出番が少なかったように記憶しているが、それは柴をモデルにしているように思われるし、その映画エピソードは中学時代に『ヨーロッパ退屈日記』(文春ポケット新書)で読んでいた。だが残念なことに普仏戦争とパリ・コミューンのほうの映画は観るに至っていない。

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