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古本夜話1452 渡正元『巴里籠城日誌』

 かつて拙稿「農耕社会と消費社会の出会い」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)で、久米邦武編『特命全権大使 米欧回覧実記』(岩波文庫)に言及している。岩倉使節団がフランスを訪れたのは、普仏戦争とパリ・コミューンの余燼さめやらぬ1872年であり、それゆえに久米の記述はパリ・コミューンにも及んでいることにもふれておいた。

郊外の果てへの旅/混住社会論  特命全権大使 米欧回覧実記1 (岩波文庫 青141-1)

 ところがその後に知ったのだが、一八七〇年から七一年にかけてパリに滞在し、普仏戦争とパリ・コミューンを記録した日本人がいたのである。それは渡正元で、一八六九年=明治二年に仏学を修めた留学生として、三十歳で横浜を出帆し、翌三年二月に英国からパリに移った。そして七月に始まった普仏戦争に遭遇し、パリ・コミューンにも立ち合うことになった。彼の証言にあるように、普仏戦争視察員として大山弥助(巌)などの日本軍事施設団がドイツを経てフランスへ派遣されてきたので、そこでその記録は提出された。それは使節団帰国後の明治四年に太政官によって『法普戦争誌略』として刊行された。

 立命館大学編『西園寺公望伝』(第一巻、岩波書店)によれば、同じくフランス留学中の西園寺の普仏戦争とパリ・コミューンについての情報と知識は渡の見聞に基づくものであった。また日本での普仏戦争への関心は高く、『法普戦争誌略』は二万部刊行され、その影響力はきわめて大きかったとされている。その刊行部数がどのような資料データによるのか不明だが、明治維新期における日本とヨーロッパ、フランスとドイツの関係から考えても、肯えるように思われる。

 一方で渡は三・シール陸軍学校を中退し、明治七年に帰国し、陸軍少佐、元老院議官などを歴任し、二十三年には帝国議会開設に伴う勅撰の貴族院議員となり、大正十三年に死去している。その間の大正三年の第一次世界大戦の勃発に際し、『法普戦争誌略』を『巴里籠城日誌』として再版刊行に至る。版元は『近代出版史探索Ⅱ』220の『全訳ドン・キホーテ』、『同Ⅵ』1187の『全訳ボワ゛リー夫人』、『同Ⅵ』1197の『全訳カンタベリ物語』の東亜堂で、出版者の伊東芳二郎に関しては拙稿「幸田露伴と東亜堂『日本文芸叢書』」(『古本屋散策』所収)でふれているが、その明確なプロフィルはつかめていない。

(東亜堂版)

 少しばかり前置きが長くなってしまったけれど、実は渡の曽孫にあたる横堀恵一によって、校訂現代語訳『巴里籠城日誌』(同時代社、平成二十八年)が刊行され、版元から恵送されている。『法普戦争誌略』はもちろんだが、東亜堂版『巴里籠城日誌』も稀覯本であり、ずっと読めない一冊だったので、本当に新たな校訂現代語訳の刊行は幸いであった。それに「解題」は鹿島茂が担い、また校訂現代語訳は丹念で、懇切丁寧だし、東亜堂版で読むよりもリーダブルであることは僥倖ともいえた。
 
校訂現代語訳 巴里籠城日誌 (同時代社版) 

 渡の明治四年付の「仏国パリ城北部の学校内で記す」とある「付言」と「跋」に明らかなように、自らの見聞と記録、パリ市内で毎日刊行された新聞を収集しての抄訳からなり、さらに普仏戦争に至る歴史と開戦経緯、フランスの敗北とパリ・コミューンに及ぶ分析までも行なっているし、それらはそのまま大正三年の『巴里籠城日誌』でも語られ、その「小序」でも述べられている。

 顧みれば、今を去る四五年前、私は、偶然、学生として仏国のパリにいた。その時、普・仏両国間の平和な国交が破れ、両軍が戦場で対峙するという騒乱となった。私は、この機会を捉え、両国の戦闘の形勢と仏全国の様子、それにパリ市内の状態とを視察するため、なおもパリに留まり、籠城し、その講和開城の日まで約八カ月間を過ごした。その間に、日夜、見聞する概要を記録し、また官報、新聞の要点を取り纏め、溜めた結果、数冊の日誌となった。そこで内心、これを完成させ、帰国後に政府に進呈するか、また追加訂正しようかと、考えていた。 

 普仏戦争は一八七〇年に始まり、パリ・コミューンは七一年、ゾラが「ルーゴン=マッカール叢書」第十九巻として、普仏戦争とパリ・コミューンをテーマとする『壊滅』を刊行するのは一八九二年、私による本邦初の全訳は二〇〇五年であるので、一世紀以上を経て、ようやく『壊滅』は日本語で読むことができるようになった。だが渡がゾラにも先駆けて、『法普戦争誌略』=『巴里籠城日誌』を上梓していたことになり、翻訳に際して、渡の著書を読んでいれば、普仏戦争に対するパースペクティブがまったく異なっていたように思われる。

壊滅 (ルーゴン・マッカール叢書)  

 前回示しておいたように、パリ・コミューン関連書は多く翻訳されていても、まとまった普仏戦争文献は見当たらず、私にしても、その攻防地図も含めて、普仏戦争とパリ・コミューンの同時代的クロニクルに他ならない『マルクス・エンゲルス全集』(第十七巻、大月書店)と十九世紀フランス史概説に頼るしかなかったのである。

 この校訂現代語訳『巴里籠城日誌』の刊行もあってのことだと考えられるが、『壊滅』の読者にして、フランス史研究者から手紙が寄せられてきた。私の「訳者あとがき」において、どうして大仏次郎の『パリ燃ゆ』への言及がないのかという問い合わせであった。それに対し、私は『壊滅』『パリ燃ゆ』は別に考えたいし、後者にはあらためて言及するつもりだと返信しておいたのだが、言外に大仏が参照している『巴里籠城日誌』の校訂現代語訳の出版も含めてのものだったようにも思われる。そうした意味において、この校訂現代語訳の歴史的資料価値はリアルな臨場感に富んでいるし、鹿島茂と同じく、仏訳版の刊行も望みたいところである。

新装版 パリ燃ゆ I

 
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