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古本夜話1454 世界評論社、小森田一記、尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』

 これは戦後を迎えてのことだが、ゾルゲ事件で獄中にあった尾崎秀実が妻の英子と娘の楊子に宛てた書簡集『愛情はふる星のごとく』がベストセラーになっている。それは昭和二十一年からのことで、出版ニュース社編『出版データブック1945~1996』のベストセラー表をたどってみると、昭和二十一、二十二年、いずれも第二位、二十三年が第一位で、トータル部数は定かでないけれど、二十一年は十二、三万部の売れ行きだったとされる。ちなみに同時代のよく知られたベストセラーは太宰治『斜陽』(新潮社)、永井隆『この子を残して』(講談社)である。

   

 手元にある『愛情はふる星のごとく』は昭和二十二年十一月第四刷で、B6判並製、二八三ページの一冊だ。本体も疲れ、背もはがれ、印刷にしても用紙にしても粗末であり、戦後の混乱期の出版に他ならないことを伝えている。版元は世界評論社、発行者は小森田一記である。編輯は『世界評論』の松本慎一、後に本探索1429の『尾崎秀実伝』を著わす風間道太郎で、宮本百合子が帯文を寄せているようだが、帯が欠けているために、それは確認できない。

 ただここでは尾崎と『愛情はふる星のごとく』の内実やベストセラー事情ではなく、世界評論社と小森田に言及してみたい。小森田のことはまず『出版人物事典』の立項を引いてみる。

出版人物事典―明治-平成物故出版人

 [小森田一記 こもりだ・かずき]一九〇四~一九八八(明治三七~昭和六三)世界評論社創業者。熊本県生れ。早大政経学部卒。中央公論社第一出版部長、同盟通信社出版部長などを歴任。横浜事件で投獄されたが敗戦とともに釈放され、一九四五年(昭和二〇)九月世界評論社を創業。四六年一月『世界評論』を創刊、新しい総合雑誌の型を作ることに努めた。四六年九月、尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』、四七年五月、河上肇『自序伝』全四巻を刊行、いずれもベストセラーとなる。しかし、『世界評論』は廃刊、五〇年(昭和二五)経営不振となり、出版を中止。一時、熊本放送の東京代表をつとめたが、七三年(昭和四八)社旗思想社社長に迎えられ、『教養文庫』の活発化などに努力した。

 やはり本探索1417で、戦後に高杉一郎『極光のかげに』のベストセラーを出したが、倒産してしまった目黒書店にふれているけれど、ふたつのベストセラーを有した世界評論社も同じだったことになる。そうした倒産は戦後の混乱期の出版業界において、それこそ昭和二十年代には日常茶飯事のように起きていた出来事だったと推測される。そのような出版状況において、出版金融を担う高利貸の存在は必要不可欠のものであった。みすず書房の小尾俊人にしても、運転資金を市中金融にたよらざるを得ず、 『本は生まれる。そして、それから』で、闇金融の王様だった森脇将光に会いにいったところ、月二割の利子に驚き、借りるのを止めたと証言している。だが当然のことながら、森脇の闇金融は出版社を顧客としていたのである。

( 目黒書店版) 本は生まれる。そして、それから (『本は生まれる。そして、それから』)

 ただもはや森脇のことはほとんど忘れられているはずなので、『[現代日本]朝日人物事典』の前半のところを引いてみよう。

 森脇将光 もりわき・まさみつ 1900・1・17~1991・6・2 金融業者、島根県生まれ。慶大経済学部中退。戦後の混乱期に、トイチ(10日で1割の利息)の高利で暴利を得て、1948(昭23)年度の長者番付で第1位に躍り出たが、50年には国税滞納額もトップとなって話題を呼んだ。金融業者として独自の調査能力を誇り、54年日本特殊産業社長・猪股功らとの紛争に絡んで公表した「森脇メモ」が造船疑<獄の火つけ役となったほか、「メモ」は、58年の千葉銀行事件、59年のグラマン機選定問題などにも関連して登場した。(後略)

 それだけでなく、森脇は出版金融も手がける一方で、昭和三十一年に森脇文庫という出版社も設立していたし、闇金融の王様にしても、出版社は魅力的な装置と思われていたのだろう。そのことに関して、私も「森脇文庫という出版社」(『古本探究Ⅱ』所収)を書き、森脇が出版した自著の正続『金権魔者』、小尾が挙げていた『2時55分のお客』などを取り上げている。しかも森脇の周辺を探っていくと、千葉銀行事件をめぐって、これも戦後に創刊された総合雑誌『潮流』、『女性線』(吉田書房、潮流社、女性線社)が絡み、同じく森脇が関係していたようなのだ。

古本探究 2  金権魔者 (1958年)  2時55分のお客 (1957年)   (創刊号)

 それは小森田の『世界評論』と世界評論社も同様で、『金権魔者』に寄せられた全国教育図書社長の三浦宗正の言によれば、実質的に世界評論社を設立して『世界評論』を創刊し、尾崎秀実の「獄中書簡」を『愛情はふる星のごとく』のタイトルとして刊行したのも、森脇の発想によるものだとされている。この証言の真偽のほどは確認できていないけれど、少なくとも森脇が世界評論社のスポンサー、もしくはある時期において、金主であったことは間違いないように思われる。

 このような森脇の出版に対する奇妙な情熱は彼の事業家としての始まりが関東大震災における記録パンフレットの発行にあると伝えられているが、何と昭和三十四年には『週刊スリラー』を創刊している。そして高木彬光の『黄金の死角』(後に『白昼の死角』、カッパ・ノベルス)を連載し、そこには金森光蔵という高利貸が登場し、卓抜な高利金融論を披露しているが、これは明らかに森脇がモデルであろう。

(創刊号) 

 拙稿を書いてから五年後に、『週刊スリラー』の編集長が宗田理で、彼は『金権魔者』などの森脇五部作のゴーストライター兼編集者だったことを知った。そのトップ屋が清水一行たちで、森脇を通じて裏情報が多く集まったことから、それらの情報によって、梶山季之の『黒の試走車』(カッパ・ノベルス)、また宗田のアイディアから清水の『動脈列島』(同前)が生まれたという。

黒の試走車 

 『週刊スリラー』は昭和三十四年に創刊され、翌年に八十二冊刊行したところで、森脇の「出版業は飽きた」との一言によって廃刊になってしまったようだ。それはともかく、昭和三十年代半ばまでの出版業界は高利貸、出版社、週刊誌という三大噺も成立していたようで、魑魅魍魎とした世界であったことを物語っていよう。


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