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古本夜話1456 『世界評論』創刊号と大西巨人『精神の氷点』

 続けてふれてきた小森田一記が手がけた『世界評論』創刊号は手元にある。それは例によって近代文学館の「復刻日本の雑誌」(講談社)の一冊としてで、WORLD REVIEWという英語タイトルも付され、昭和二十一年二月一日発行のA5判一一二ページ仕立てである。

(創刊号)

 表紙目次は巻頭対談として、細川嘉六と堀江邑一の「世界史の動向と日本」、特輯は「日本民主革命の基本問題」で、その内容は表2の目次によって、山川均「天皇制と新憲法」、向坂逸郎「日本経済における封建的基盤」、大河内一男「国民生活の民主化」の三本だとわかる。それに尾崎秀実「遺書」、川上肇「自叙伝」も示され、ここに『愛情はふる星のごとく』『自叙伝』の出版企画も芽吹いている。

   

 また対談の「世界史の動向と日本」は横浜事件の発端となった昭和十七年の『改造』論文と同じタイトルであり、そこに同じく横浜事件で検挙された『世界評論』創刊号で編輯発行人の小森田一記の思いがこめられているはずだ。それは細川たちも同様で、この『世界評論』の対談のテーマは敗戦後の「世界史の動向と日本」に他ならず、細川は「現在日本国民は、重大なる危局に耐へて、どん底から改革しなければならぬ状態に立到つてゐる。勿論日本は、世界の一国であつて、世界の動きから離れてゐる訳には行かない。日本の改革も世界的な潮流から離れて出来るものではない」と始めている。

 それを受けて、堀江は続けている。「今度の敗戦の悲惨な事実」の中にあって、「世界の事象は日本人或は日本の指導者が、どう考へてるかといふことは関係なく、又どう欲すると否とに頓着なく、一定の方向に進んでゐる」し、「我々は、その世界史の動向がどうあるかを、本当に科学的に突き詰めて、その線に従つて『物』を考へ、また見透を立てゝ行かなければならない」と。

 細川は横浜事件釈放後に日本共産党に入党し、昭和二十二年に参議院議員、堀江はその後日ソ親善協会副会長やアジア問題研究所理事を務めているので、この対談において、二人の戦後の始まりのポジションが表象されていることになる。また特輯「日本の民主革命の基本問題」の寄稿者たちもそのライン上に位置づけられよう。その「世界史の動向」は表3の「世界重要日誌」にも投影され、『世界評論』創刊までの前史である昭和二十年後半の出来事がたどられている。それは「一九四五・八・一一 天皇の統治大権を変更する要求を含まざるものとの諒解の下に、日本、ポツダム宣言受諾通信。」から「一二・二〇 マ司令部、政治犯人たりしすべての者に選挙権並に公職を保持する権限を復活せしめるべき旨指令。」に至るクロニカルである。

 それらをふまえて、「編輯後記」は次のように記されている。これは小森田、もしくは同じく横浜事件に連なり、『世界評論』初代編輯長となった青木滋、後の青地晨によるものだろう。これも戦後の総合雑誌の始まりを表象しているで、全文を引いてみよう。

 本誌の出来栄えについては、読者の公平な評価に俟つほかないが、われわれ編輯同人が常に念願におき且つそこに一切の努力を傾注したところのものは世界民主化といふこの世界史的動向をあらゆる取材、角度から解明し、われわれを今次敗戦に導いたところの島国的井蛙的独善の迷蒙より脱却し、より広くより高き世界史的展望の明眼を獲得せん、ことであつた。われわれは、今後とも、各号の編輯実践を通して、この指標を固く把持し、執拗に追求する覚悟である。

 こうした『世界評論』の編輯方針がどのような回路をたどったかは確認できていないけれど、『日本近代文学大事典』第五巻「新聞・雑誌」には半ページほどの解題があり、昭和二十五年五月まで刊行され、創刊号に続く特集として、「民主人民政府の構想」「中国民主革命と世界政治」「不安とその克服」「共同研究日本資本主義分析の新しい課題」などが組まれたとされる。だがその休刊が朝鮮戦争の起きる一ヵ月前であることは、これも象徴的だというしかない。

 それらのことはひとまずおくにしても、宮本顕治、百合子『十二年の手紙』、野間宏『崩壊感覚』、神崎清『革命伝説』の連載も始まっていたようだ。神崎の大逆事件ドキュメント『革命伝説』(全四巻、芳賀書店)も連載が『世界評論』で始まったのは、小森田たちの横浜事件が重ねられていたのであろう。しかしそれらよりも注目すべきは大西巨人の『精神の氷点』が昭和二十三年五月から七月にかけて連載されたことで、この小説は翌年に改造社からもうひとつの短編を含め、同タイトルで刊行されている。これは当初『煉獄の門』であったが、同時期に田村泰次郎『肉体の門』が世俗の評判となっていたことから、青木滋による改題の勧めを受け、『精神の氷点』として上梓となったのである。

十二年の手紙〈その1〉一九三四年より一九三八まで (1950年)  

 この『精神の氷点』は大西の処女作にして、著者の言に従えば、「この未完成の異様なもの」「将来に亙る諸作品」などの「本源」にあたる。まさに『世界評論』創刊時代の戦後社会状況の中で書かれた復員文学、つまり戦地や植民地から帰ってきた者たちの敗戦物語であり、それは先の「世界重要日誌」の最初の記述「天皇の統治大権を変更する要求を含まざるものとの諒解の下に、日本、ポツダム宣言受諾通信。」を背景として、この小説は展開されていくことになる。だが長きにわたって、『精神の氷点』は大西の「まぼろしの作物」と化し、読むことができるようになったのは、平成十三年のみすず書房による新版刊行によってであった。


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