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古本夜話1457 新日本文学会と中野重治『話四つ・つけたり一つ』

 昭和十年代後半の戦時下と同様に、戦後の昭和二十年代前半の出版業界も不明な事柄が多い。その背景には国策取次の日配の解体に伴う東販や日販などの戦後取次への移行、出版社・取次・書店間の返品と金融清算、三千社以上に及ぶ出版社の簇生と多くの倒産などの錯綜する出版状況がある。

 その一方で、前回の大西巨人『精神の氷点』を出版した戦前の大手出版社の改造社は解散し、消滅してしまった。そうした事情ゆえに改造社は社史も全出版目録も刊行されておらず、『改造』の内容の明細も含め、出版物の全容は明らかでないし、みすず書房による『精神の氷点』新版が刊行されなければ、この小説が改造社から既刊であったことも知らずにいただろう。

(みすず書房版) (改造社版)

 それは戦後設立の出版社にしても同じで、例えば、新日本文学会の中野重治戦後短篇集 『話四つ、つけたり一つ』も入手するまでは刊行を知らずにいた一冊である。昭和二十四年二月刊行、B6判上製といっても、粗末な用紙による一五〇ページの薄い短篇集で、とくさ色の表紙に黒抜きの著者名と白抜きのタイトルが縦書きで記され、それに加えて村雲大樸子による扉装幀が中野らしさを彷彿とさせている。

 

 この短篇集はタイトルに示されているように、「軍楽」「おどる男」「太鼓」「五勺の酒」「街あるき」の五作を収録しているが、中野の戦後最初の小説でよく知られている「五勺の酒」が 『話四つ、つけたり一つ』に収録されているとは思っていなかった。ちなみにこの短篇は一人の老中学校長の述懐を通じ、戦後に日本共産党の政治主義を批判し、また天皇制と日本人の問題と倫理にも及んでいたのである。それはこの短篇が筑摩書房の『展望』に掲載されたこともあり、後に『中野重治全集』を刊行する筑摩書房の単行本に収められた作品だと錯覚していたのである。

中野重治全集〈第1巻〉詩集 春さきの風

 ただここではこれ以上 『話四つ、つけたり一つ』に踏みこまず、同書を出版した新日本文学会が書籍ではなく、雑誌『新日本文学』を長きにわたって発行していたにもかかわらず、戦後の出版社としてはまとまった言及を見ていないからでもある。ただそうはいっても『日本近代文学大事典』第四巻「事項」、同じく『日本近代文学大事典』第五巻「新聞・雑誌」に新日本文学会も『新日本文学』も立項と解説が寄せられているので、まずそれらを抽出し、ラフスケッチしてみる。

  (創刊号)

 新日本文学会は昭和二十年十二月三十日に創立大会が開かれ、それに先立つ創立準備委員会において、「帝国主義戦争に協力せずこれを抵抗した文学者」を発起人とすることで、秋田雨雀、江口渙、蔵原惟人、窪川鶴次郎、壺井繁治、徳永直、中野重治、藤森成吉、宮本百合子が選ばれた。この九人の他に小田切秀雄、平野謙、平林たい子、岩上順一などを中央委員二十一人として発足に至り、『新日本文学』も二十年三月に創刊されていく。

 一月の創刊準備号には宮本百合子の評論「歌声よ、おこれ―新日本文学の由来」が発表され、「民主なる文学といふことは、私たち一人一人が、社会と自分との歴史のより事理に叶つた発展のために献身し世界歴史の必然の動きを誤魔化すことなく映しかへして生きていくその歌声」とされる。

 新日本文学界の賛助会員として、志賀直哉、野上弥生子、広津和郎、正宗白鳥、上司小剣、室生犀星、谷崎精二、宇野浩二、豊島与志雄も挙げられていた。だが創刊号に「会はプロレタリア団体の単なる復活ではない」とあるにしても、創立発起人の九人がすべてプロレタリア作家同盟のメンバーであった。それは新日本文学会の初期会員の多くが共産党員で、そのことは日本共産党との蜜月を意味していた。そうした事実は当然のことながら賛助会員たちの離反を招いたであろうし、多くの問題を露出させていったと想像するに難くない。

 その先駆ける兆候が『新日本文学』ではなく、『展望』に発表された中野の「五勺の酒」だったと思われる。当時の『新日本文学』編集発行人シフトを確認してみると、昭和二十一年創刊号から三号までは蔵原惟人、四号から二十三年六月号までは壺井繁治、その次号からは編集人が窪川鶴次郎、発行人が壺井、二十四年から編集人は中野となっている。『話四つ、つけたり一つ』の発行者は新日本文学会代表壺井と記載されているので、この出版当時の新日本文学会は壺井と中野体制になっていたことから、『アカハタ』を批判する「五勺の酒」を含めた中野の短篇集の刊行が実現したと推測できよう。それに『近代出版史探索Ⅶ』1257などで見てきたように、壺井は戦前にプロレタリア文学運動機関誌としての『戦旗』の経営に携わり、雑誌の流通販売のメカニズムにも通じていたので、中野との連携は強力であり、 『話四つ、つけたり一つ』も送り出すことが可能だったのであろう。

(創刊号)

 昭和三十年代前半の新日本文学会と『新日本文学』にしかふれられなかったが、それ以後、後者には島尾敏雄「ちっぽけなアヴァンチュール」、井上光晴「書かれざる一章」、金達寿『玄界灘』、西野辰吉『秩父困民党』などが掲載及び連載され、昭和三十五年には大西巨人の『神聖喜劇』の連載も始まっていたのである。だが新日本文学会が刊行した全書籍に関してはその明細が判明していないと思われる。

  神聖喜劇 全5巻セット


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