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古本夜話1460 ジョン・リード『世界をゆるがした十日間』

 前回のモスクワの「魔窟」のようなホテル・ルックスだが、『エマ・ゴールドマン自伝』の最も長い三〇〇ページ近くに及ぶ第52章「ロシア一九二〇-二一年」において、誰が滞在していたのか、あらためて確認してみた。するとエマたちは訪れているけれど、実際に宿泊していたのはアストリアホテルで、ホテル・ルックスに滞在しているとはっきり書かれていたのは『近代出版史探索Ⅶ』1300のビル・ヘイウッドとIWW関係者、特恵扱いの各国派遣団の人々だった。

  エマ・ゴールドマン自伝〈上〉 エマ・ゴールドマン自伝〈下〉

 ただエマがアメリカを追放され、ロシアに着いたのは一九二〇年二月のことだった。彼女は書いている。

  ソヴエトロシア! 聖なる地、魔法の民! あなたは人類の希望を象徴するためにやってきた。あなただけが人間を解放するよう運命づけられている。私はあなたに仕えにやってきた。愛する「母なる大地」。私を胸に抱き、あなたの中に流し込み、私の血をあなたの血と混ぜ合わせ、あなたの英雄的闘争の中に私の場所を見つけて下さい。極限まであなたの要求に身を捧げるつもりだ。

 そしてペトログラードに着くと、彼女たちは帝政時代の一流ホテルで、かつて貴族階級の娘の寄宿学校でもあったアストリアホテルに案内された。現在はソヴエト会議場も兼ねていた。そこには他のアメリカ追放者たちもいたが、まだエマはプロレタリア独裁の真実を知らされていなかった。アナキストと左翼社会革命党はボルシェヴィキから弾圧され始めていた。

 エドマンド・ウィルソンの『フィンランド駅へ』(岡本正明訳、みすず書房)によれば、一九一七年四月、レーニンは亡命先のスイスから封印列車でペトログラードのフィンランド駅まで戻り、駅前を埋めた数万人の労働者を前にして演説し、プロレタリア革命を宣言する。「われわれは議会制民主主義を必要としていない。いかなるブルジョワ的民主主義も必要としていない。われわれは、労働者・兵士・農民の代表からなるソヴィエト以外のいかなる政府も必要とはしていない!」と。

  フィンランド駅へ 上

 ジョン・リードは一九一七年八月にアメリカの雑誌『ザ・マッセズ』特派員としてロシアに入り、十月革命に遭遇し、それをルポタージュ『世界をゆるがした十日間』(原光雄訳、岩波文庫、昭和三十二年)として一九年に発表する。だがその翌年、モスクワで彼は三十三歳で急死する。この初版になかったが、後の版にはレーニンによる、この書物は「プロレタリア革命とプロレタリアート独裁の真相を、理解するのにきわめて重要な諸事件の真実にして最も生き生きとした説明をあたえている」という「序文」が付されている。

  世界をゆるがした十日間〈上〉 (岩波文庫)   世界をゆるがした十日間〈下〉 (岩波文庫)

 エマは書いている。その「ジョン・リードがいきなり差しこむ光線のように、私の部屋に飛びこんできた。ジャックは根っからの楽天的で冒険好きな人物であり、合衆国では親しくしていた」のだった。そしてジャックはエマに、反革命家と見なされた五百人が死刑撤回命令が出される前夜に銃殺されたと語る。それを聞いて、エマは「革命の名を借りた卑劣な犯罪、最悪の反革命的残虐行為と呼ぶわ」と応じた。

 エマは革命の状況を明らかにするためにモスクワへと向かう。同行者にはゴーリキーと取り巻きの女性たちもいた。ゴーリキーはいった。ロシアの大衆は野蛮で文明化されておらず、レーニンこそが「十月革命の生みの親であり、それは彼の才能によって構想され、彼のビジョンと信念によって育てられ、彼の先見性と忍耐に満ちた努力によって成熟がもたらされた」のだと。ロシアの民衆蜂起によって十月革命に生命を吹きこまれたのは自明であり、これまでの偶像でもあったゴーリキーの弁明はエマを失望させた。

 だがモスクワはジョン・リードがいったように、軍服の男たちと非常委員会の人間があふれる武装キャンプの様相を呈していた。ジョンの『世界をゆるがした十日間』はペトログラードからのレポートだったが、その第十章だけはモスクワからのもので、彼は大きなホテル「ナチオナーリ」に宿泊したのだ。だがエマに約束されていたはずのナショナルホテルはなかった。同志のアレクサンダー・バークマンはハリトネンスキーの「ソヴエトの家」にいて、そこには十月革命の成果の学習と故国への支援を求める日本人、中国人、ヒンドゥー教徒たちがいた。

 エマの「食べ物を目前にしての飢え」や「住居状況における情実」の記述からすると、モスクワ滞在者たちにも食と住居に関する格差があり、ホテル・ルックスに宿泊できるのは限られた人々で、彼女はその近くのアストリアホテルにいたとされるが、それはペトログラードと同名なので、エマの記憶ちがいかもしれない。しかし彼女の著名なアナキストというポジションによって、ホテル・ルックスには滞在しておらず、隔離されていたことだけは確実だ。

 さてジョン・リードの一九二〇年の死を先述したが、『エマ・ゴールドマン自伝』は「ジャック・リードの死についての話」まで書きこまれ、彼がバクーにアメリカ共産党代表として送られ、チフスにかかり、モスクワで死亡したことまでたどられている。妻のルイーズ・ブライアントによれば、今際の言葉は「罠にかけられた。罠にかけられた」と言い続けていたとされる。

 なおジョン・リード『世界をゆるがした十日間』、ルイーズ・ブライアント、エマ・ゴールドマンをめぐる物語は一九八一年=昭和五十六年に、ウォーレン・ベィティ制作、共同脚本、主演、監督で『レッズ』として映画化されている。ルイーズはダイアン・キートン、エマはモーリン・ステイプルトンが演じ、さらに「生き証人」としてヘンリー・ミラーを始めとする三十二人の実在の人物たちが登場し、証言が挿入されることで、『世界をゆるがした十日間』『エマ・ゴールドマン自伝』を補足し、併走する映画となっている。ウォーレン・ビューティはこの『レッズ』によって、アカデミー賞監督賞を得ていることを付記しておく。

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