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古本夜話1461 弘津堂書房と樋口弘、佐々元十共訳『世界を震撼させた十日間』

 ジョン・リードの『世界をゆるがした十日間』は戦前に『世界を震撼させた十日間』として刊行されている。それは昭和四年に樋口弘、佐々元十共訳で、弘津堂書房から出版され、四六判並製四一七ページだが、当然のことながら伏字も多く、戦後の岩波文庫版に見られるビラやチラシなどは収録されていないこともあり、全訳とはいい難い。

  世界をゆるがした十日間〈上〉 (岩波文庫)   世界をゆるがした十日間〈下〉 (岩波文庫)

 とはいっても私は幸いにして入手しているけれど、ただちに発禁とはなったようなので、この本邦初訳は古書市場にも見出すことが難しいのかもしれない。国会図書館編『明治・大正・昭和翻訳文学目録』の場合、ノンフィクションゆえなのか、ジョン・リードは短編「革命の娘」(鎚田研一訳『新興文学全集』14所収、平凡社、昭和四年、平林初之輔訳、『不思議な恋人』所収、新潮社、同六年)が挙げられているだけである。また城市郎の『発禁本』(『別冊太陽』)シリーズにも見当たらず、版元名も含めて掲載されていない。

   

 こうした同時代のロシア革命ドキュメント『世界を震撼させた十日間』の翻訳出版をめぐる事実は、大正から昭和初期にかけての社会主義文献収集の困難の一端を伝えているのであろう。それは出版社にしても同様で、弘津堂書房は小石川区大塚上町に位置し、発行者の樋口弘の住所も同じだが、そのプロフィルは定かでない。『世界を震撼させた十日間』には他の出版物の広告は掲載されておらず、樋口はその共訳者ゆえに自宅をそのまま使っているのかもしれない。そのように推測するのは奥付検印紙に樋口と佐々の印が打たれていることで、樋口のほうは社印の代用とも思えるからだ。ただこの樋口は出版関係者として発見できないが、佐々のほうは思いがけずに『日本近代文学大事典』に立項されているので、それを引いてみる。

 佐々元十 ささ・げんじゅう 明治三六・一・二四~昭和三四・七・七(1893~1959)映画運動家、編集者、広島県生れ。本名佐々木高成。三高を経て東大仏文科中退。昭和二年、プロレタリア劇場映画班として九ミリ半のカメラでメーデーを撮影した。これを契機に翌年六月の「戦旗」に論文「玩具・武器―撮影機」を発表して映画運動を呼びかけ、岩崎昶、北川鉄夫らと四年二月に日本プロレタリア映画同盟(プロキノ)を創立し、みずからその製作、上映運動の先頭に立った。弾圧のため九年に同盟が消滅したあとは、評論活動のほか、雑誌「文化映画」編集長、映画日本社調査部長などをつとめた。

 この立項によって、佐々がナップ(全日本無産者芸術連盟)に属し、その機関誌『戦旗』に寄稿し、プロキノを創立し、映画運動に携わっていたとわかるし、リードの翻訳もその産物だったと見なせよう。『近代出版史探索Ⅶ』1256で『戦旗』とメーデーに関して既述しているが、佐々もその渦中にいたことになる。

 その事実をふまえて『世界を震撼させた十日間』に戻ると、「訳者序」は佐々の名前で記されているので、それをたどってみる。すると同書がリードの「心血を濺いだ革命実見記であり、その最も生々しい文献、最も正確な記録としてすでに人類歴史に於ける重要な記録の一つ」という言に続いて、次のように述べられている。

 本書の全訳は紐育、国際出版所の一九二六年版によつた。かつて第一章は雑誌プロレタリア芸術第五章は文芸戦線に訳載されたことがある。アメリカでは一九一九年本書が一たび出版されるや汎く一般読者階級の熱狂裡にまたゝく間に数十万部を売り尽し、さらに本書の舞台である××の祖国ソヴィエツト・ロシアに出版されるや、全ロシア労働者農民の歓呼の只中に数百万部も発行され、昨秋の××十週年に際しては鬼才エイゼンシユタインによつて映画化され、メイエルホルドは、この一篇をモスコーで脚色上演した。
 其他、殆どすべての世界各国語に翻訳されてゐるのであるが、我国では不幸にして今日の日まで本書の全訳をみなかつた。今、ロシア××十一週(ママ)年に際して本書の全訳を出版するに至つたのは、本書がもつ真の国際的使命を信ずるからである。

 伏字の「××」は「革命」で、同書の目次も含め、「××」だらけだといっても過言ではない。ここにロシア革命十周年に連動してのエイゼンシュタインによる映画化と十一周年記念としての『世界を震撼させた十日間』の全訳出版の意義が宣言されていることになる。なお前者は『戦艦ポチョムキン』をさしているのだろうが、それは日本で上映禁止だったのである。そのためにこの翻訳出版はナップ絡みの出版社や関係者の総出のプロジェクトにして、発禁覚悟の出版だったのではないかと考えられる。しかもその一方で、使命感にも駆られるゆえか、それらの事情や関係者たちの名前も列記され、翻訳出版刊行に至る経緯とバックヤードを浮かび上がらせている。

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 それらを出版社から示せば、『近代出版史探索』65の南宋書院と世界社で、当初ほとんどの訳は佐々によっていたし、彼を通じて、この二社による共同出版予定だった。ところがこの『世界を震撼させた十日間』の第一、二章が樋口訳だったことから、彼が弘津堂を名乗り、自ら刊行する次第となったようだ。その他にも、おそらく版権などの原書問題とその交渉、翻訳出版に関して、佐々木孝丸、村山知義、中野重治、佐野硯、小野宮吉、松崎啓次、堺利彦、佐野袈裟美、加藤峯男、内藤民治、木部正行への謝辞がしたためられている。

 佐々木や堺などは本探索でお馴染みなので、あえて言及しないが、これまでふれてこなかった小野宮吉は当時日本プロレタリア劇場同盟(プロット)幹部で、村山や佐野とともにその執行委員、松崎啓次はプロキノのメンバーで、その理論的指導者の一人、木部正行は日本プロレタリア美術家同盟の中央委員で、同書の装幀などを担当している。内藤民治は総合雑誌『内外』主幹、加藤峯男は不明だが、彼らに類する人物と見なせよう。つまり前述したように、『世界を震撼させた十日間』はナップのプロキノ関係者たちが総出演するかたちで、翻訳刊行された出版プロジェクトだったことになろう。

 それもあって、通常の出版社・取次・書店という近代出版流通システムに重きを置かず、『近代出版史探索Ⅶ』1257のような独自のルートで流通販売されたはずだが、ただちに発禁となったにちがいない。だが原光雄による初めての完訳とされる岩波文庫版にしても、その「訳者のことば」によれば、昭和十九年の訳稿を二十一年に三一書房から刊行しているが、その翻訳タイトルは『世界を震撼させた十日間』としてなので、弘津堂版が範となっているとわかる。おそらく原もそうだったように、樋口、佐々共訳は戦前において長きにわたり、秘かに読み継がれていたのではないだろうか。


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