出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1459 マイエンブルグ『ホテル・ルックス』

 ここで少し趣向を変えてみる。本探索の目的のひとつは近代の出版を通じて、どのようにして「想像の共同体」が形成されていったか、またそこに集ったインターナショナルな人々の出会いはどのようなものだったのかを浮かび上がらせることにある。そのような典型的なトポスとして、『近代出版史探索Ⅶ』1290などで、パリのシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店を挙げてきた。だがさらに広範な人々が邂逅したトポスも存在し、戦争と革命の二十世紀の謎と秘密に包まれ、その名前を歴史にとどめ、そこには本探索に登場する人々も、一堂に会していた。

 それこそ本探索のアグネス・スメドレーやゾルゲから『近代出版史探索Ⅶ』1289のエマ・ゴールドマン、同1291のボリス・スヴァーリン、ヴィクトル・セルジュ、同1300のビル・ヘイウッド、さらに同1298の片山潜、同1288の田口運蔵、同1299の近藤栄蔵に至るまでがロシア革命後の異境のホテルで暮らしていたのである。このほかにも多くの人々が宿っていた。

 それはモスクワのホテル・ルックスで、片山はその長年の住人だったし、昭和八年の死まで住み続け、ロシアを訪れた多くの日本人が片山に会うために、このホテルを訪ねたはずだ。また周恩来、ホー・チ・ミン、ティトー、トリアッティたちも滞在していたし、二十世紀前年の革命史に寄り添っていたホテルだったといえよう。

 そのホテル・ルックスは長きにわたって謎めいた伝説のトポスのように存在していたが、昭和六十年にルート・フォン・マイエンブルグの『ホテル・ルックス』(大島かおり訳、晶文社)が翻訳刊行され、サブタイトルの「ある現代史の舞台」の内幕を垣間見ることができるようになった。それとともに見返しカバー写真で、初めて景観を目にした。だが現在はホテル・ツェントラールと呼ばれている、その物語を始めるにあたって、マイエンブルグは「伝説化した家を甦らせることのむずかしさについて」を最初の一章におき、一九三八年から四五年にかけて七年間を過ごしたホテルを語ることの難しさをまず告白している。

ホテル・ルックス―ある現代史の舞台 (晶文社アルヒーフ)

 それはホテル・ルックスの場合、「魔法がかけられ、呪われた」家のようで、エピソードや人名の他には「なにひとつ秘密を洩らそうとはしなかった」という特質を秘めていたからだ。それならば、ホテル・ルックスはどのようにして成立したのかという前史から始めなければならないし、それを簡略にたどってみる。その誕生は第三インターナショナル、つまり一九一九年のモスクワでのコミンテルン創立大会に端を発している。

 モスクワのゴーリキー通りの七階建のホテルは革命前に有名な大手パン業者で企業手腕のあるフィリッポフが建てたもので、パン屋の上にある高級ホテルで、最初の名前は「フィリッポフスキー・ノメラー」(フィリッポフの家)だった。知事官邸の筋向かいという立地もあって、最初から歴史に名を残すべく運命づけられていた。ところが一九一七年の革命の最初の銃撃線はこの「フィリッポフスキー」から始まったこともあり、革命政権がパン業者から没収し、高級ホテルと異なる収容施設へと変えられ、第二の名前のホテル・ルックスとなったが、それらの事情は定かでない。マイエンブルグはそれからの推移を次のように述べている。

 この第二の、本来の語義からして光と贅沢さを約束している「ホテル・ルックス」という名のもとで、この家は伝説的なものになっていった。トヴェルスカヤ街三六番地―のちにゴーリキー街一〇番地と改称―の家が「ルックス」とよばれていたころの、あの記憶すべき歳月を歴史的に回顧しているほとんどすべての伝記、回想録などの著作が、少なくとも事のついで程度にはこの家に言及している。基本的には第三共産主義インターナショナルの歴史と重なり合う年月のあいだに、革命的闘争によかれ悪しかれ身をささげた数千に及ぶ人びとが、ここを宿としたのだった。その中には、歴史の歩みに影響を与え、世界を変え、我々の時代の相貌をつくりあげるのに決定的に関与した多くの著名な男女がいた。
 四半紀にわたってルックスはコミンテルンの共同住宅だった。世界革命司令部の宿舎だった。
 宿主がコミンテルンだったことが、この家に特異な性格を与えた。ルックスは陰謀の巣、内部に対しても外部に対しても陰謀をこととするホテル―秘密を背負った家だった。宿泊者名簿も死亡者名簿も、だれがいつここに住んでいたかを知る手掛りを与えてくれない。投宿退去者の記録でも、ほとんどの場合、旅券名と個人名は一致せず、その個人名は党での名前とも、しょっちゅう変わる変名や呼び名とも一致しなかった。

 それは七回のコミンテルンのうちの五回の大会で、ルックスが外国代表たちの宿舎となり、世界各国の共産党の合法、非合法の使者、亡命者、政治家、密使たちが去来し、多彩な言語が飛び交っていたのだ。当然のことながら陰謀と悲劇もつきまとっていた。このように政治に取りつかれ押しひしがれたホテルは歴史の中でも孤立し、二度と現れることのない存在だともいえる。

 それらに加え、ホテル・ルックスはねずみと南京虫が跋扈し、売春婦たちがむらがり、レストランは毎晩ジプシー楽団が演奏し、歌っていたのである。フェリーニの映画のようなシーンを思い浮かべるのは私だけだろうか。それはまた失われてしまった香港の九龍城をも想起させる。グレッグ・ジラード、イアン・ランボットの『九龍城探訪』(尾原美保訳、イースト・プレス、平成十六年)のような一冊は「ホテル・ルックス」に期待できないけれど、そのカバー見返しの小さな写真だけでは物足りないからだ。こちらも「魔窟」に他ならない『ホテル・ルックス写真集』はどこかにないだろうか。

九龍城探訪 魔窟で暮らす人々 - City of Darkness   (ホテル・ルックス)

[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら