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古本夜話1468 ジョン・リード『反乱するメキシコ』

 ジョン・リードの『反乱するメキシコ』(野田隆、野村達朗、草間秀三郎訳、筑摩叢書、昭和五十七年)は『世界をゆるがした十日間』に比して遅れ、最初の邦訳は昭和四十五年に小川出版から刊行されたが、それもほどなく絶版となっている。この小川出版の一冊は未見で、編集者の赤坂嘉治のことも知らないけれど、筑摩書房版はこの全面改訂の再刊であるから、それが刊行されていなければ、邦訳はさらに遅れたとも考えられる。ウォーレン・ビューティ主演・監督の映画『レッズ』にしても、『反乱するメキシコ』の時代はまったく描かれていなかったのである。

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 それはタマーラ・ハーヴィ『時代の狙撃手―ジョン・リード伝』(飛田勘弐訳、至誠堂)にしても、『反乱するメキシコ』に一章が割かれているのだが、『世界をゆるがした十日間』以前の習作といった印象が強い。確かにロシア革命という大事件を描いた『世界をゆるがした十日間』に対して、メキシコ農民革命のルポルタージュ『反乱するメキシコ』は、パンチョ・ビリャとサパタなどのゲリラたちの戦いに終始するものだった。だがリードはロシア革命よりも身近にゲリラたちに寄り添い、その反乱と併走していたといえる。そしてそこにリードは巨大な壁画のような風景と音楽までも忘れることなく、書きこんでいく。


 夕暮の陽光に砂漠は燃え立つように輝いていた。われわれは静まりかえった素晴しい大地に馬を進めた。さながら海底の王国だ。あたりは一面海底のサンゴのように赤、青、紫、黄色に彩どられた巨大なサボテンだった。
 われわれをあとにして西に向かう馬車が、あたかもヘブライの予言者エリアの馬車のように砂塵の光輪の中を進んでいった……。東方、すでに暮れなずんで星の輝く空の下に、ひだの多い山が見えていたが、マデーロ派革命軍の前進基地ラ・カデナは、その彼方にあった。ここメキシコは愛するに値する国、命賭けて戦うに値する国であった。バラードの歌い手たちは、突然「闘争」という長々しい語り歌(コリード)を歌い出した。政府軍の首領は雄牛で、マデーロ派の将軍は闘牛士(トレロス)としてうたわれている。この勇壮な戦いのために幾多の生命と楽しみを犠牲にしてきたこの陽気で愛すべき素朴な人びとを見た(後略)。

 これは第1部の「砂漠の戦争」から任意に引いたのだが、『反乱するメキシコ』にはこのような絵画的シーンと音楽とが重なるようにして繰り返し描かれ、ラテンアメリカならではの農民革命の光景を浮かび上がらせてくれる。しかし一九一三年に『メトロポリタン』に連載され、翌年に出版された『反乱するメキシコ』は、後にルポルタージュやラテンアメリカを舞台とする小説や映画に、『世界をゆるがした十日間』に劣らぬ影響を与えたと思われる。

 例えば、ゲバラも読んでいたにちがいないし、スメドレーの『中国の歌ごえ』にしても、それはタイトルや内容からも明らかだろうし、映画も同様で、マカロニウエスタンの一部の作品やサム・ペキンパーの『ワイルドバンチ』『ガルシアの首』なども、『反乱するメキシコ』を淵源としているのではないだろうか。

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 日本において、最も『反乱するメキシコ』の影響を受けたのは船戸与一で、小川出版版を読み、豊浦志朗名義で発表された『叛アメリカ史』(ブロンズ社、昭和五十二年、後ちくま文庫)の「チカーノ=混血(メステイーソ)の回帰点」で「E・サパタの息子たち」が論じられている。しかも処女作『非合法員』(講談社)もメキシコから始まるのだ。それは必然的に彼の「ラテンアメリカ三部作」である『山猫の夏』『神話の果て』『伝説なき地』へと向かうスプリングボードとなったのである。
 
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 しかし「E・サパタの息子たち」はそれらだけで終わりはしない。『叛アメリカ史』から二十年後に上梓された船戸名義の『国家と犯罪』(小学館、平成九年)において、「幾たびもサパタ」として変奏され、また「サパタの息子たち」も再録されている。前者は「メキシコ南東部ゲリラ紀行」とサブタイトルにあるように、一九一〇年代ならぬ九〇年代の「反乱するメキシコ」ルポルタージュに他ならない。

叛アメリカ史   国家と犯罪(小学館文庫)  

 まず船戸はメキシコの地図を示した上で、次のように始めている。「ブロック経済下における国家と民族の関係がどのような進展を見せるかを論じるにあたっては、いささか旧聞に属するとは言え、とりあえずメキシコ南東部チアパス州で一九九四年一月に何がどんな具合に起こったかからはじめなければなるまい」と。それはマヤ系先住民たちの蜂起であり、彼らはサパティスタ民族解放軍(EZLN)を名乗り、市役所やラジオ局を占拠し、「いまわれわれは宣言する、もうたくさんだ」という、これまで類例のない「ラカンドン密林宣言」を発表する。

 それに船戸は、マヤ系先住民が四分の一を占めるチアパス州がメキシコ最貧の州で、「忘れられた土地」とされているが、地下資源や電力、コーヒーなどの農作物、木材などを産み出す豊饒な大地であることを指摘する。これらの事実にグローバリゼーションという国家の選択が重なり、EZLNの硝煙が立ちこめることになったのだ。

 その一月のEZLNの蜂起の実態を知るために、船戸は市民を撮影したVTRを観るとともに、証言者たちに質問を重ね、チアパス州の山間部にある解放区にいるEZLNの幹部にも長く待たされながらもインタビューしていく。それは副司令官のマルコスではなく、司令官のタショであったが、船戸はEZLNの保持する自動小銃AK47の入手経路に関し、軍事秘密だと見なし、質問しなかった。おそらく旧ソ連製のAK47はキューバ経由で激しい内戦が続いていたグアテマラへと流れ、それがラカンドン密林地帯の闇ルートでEZLNの手に渡ったと類推する。それもまたEZLNと武器を巡るグローバリゼーション化といえるだろう。

 船戸は九五年十二月に先住民とEZLNの祭典を取材し、そこで先住民たちが「サパタは生きている! エミリアーノ・サパタはいまも生きている!」と叫び続けていることを記している。それに船戸は次のような問いをオーバーラップさせている。「新自由主義と名づけられた市場経済一辺倒論は辺境で暮らす先住民たちに何を齎すのか? 弱肉強食の論理だけがいまや世界の供通認識となろうとしているが、そんなことを受け入れるのか? チアバスで発せられているのはそういう問いなのである」と。

 なお白夜書房の『バースト』(2001年5月号)が釣崎清隆の「巻頭海外ルポルタージュ」として、メキシコシティに現われた「メキシコ反政府ゲリラ指導部二十四名サパティスタ突入」を写真入りでレポートしていることを付記しておこう。


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