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古本夜話1472 大柴四郎と梅原北明、杉井忍訳『露西亜大革命史』

 大正時代はロシア革命とその関連書出版がトレンドであったと見なせるけれど、その全貌は定かではない。だがそれは『近代出版史探索Ⅱ』203の左翼系出版社ばかりでなく、様々な版元が参入し、発禁処分も相次いでいたと思われる。そうした一冊として、大正十四年に朝香屋書店から刊行された『露西亜大革命史』を挙げることができよう。
 

 同書はアメリカ人のエ・エル・ウイリアムスを著者とし、梅原北明、杉井忍訳として刊行され、ただちに発禁になったとされる。梅原に関しては『近代出版史探索』15、16、17、18などで既述しておいたように、「昭和艶本時代」の立役者にして、多くのアンダーグラウンド出版のオルガナイザーでもあり、その時代の「珍書関係者系譜」(『発禁本』所収、「別冊太陽」)にそれらの版元と多彩な人脈が示されている。しかし杉井の名前は見当たらず、プロフィルも判明していない。

発禁本―明治・大正・昭和・平成 (別冊太陽)

 その始まりは『近代出版史探索』18の『全訳デカメロン』の刊行だが、大正十四年における『文藝市場』創刊の発端は『露西亜大革命史』の翻訳出版に他ならなかった。それに版元の朝香屋自体が『全訳デカメロン』や『露西亜大革命史』の出版とは異なる医学書を手がけていたのである。『出版人物事典』から創業者を引いてみる。

(『全訳デカメロン』) 出版人物事典―明治ー平成物故出版人

 [大柴四郎 おおしばしろう』一八五六~一九二九(安政三~昭和四)朝香屋創業者。大分県生れ。一八八三年(明治一六)上京、東京稗史出版社につとめた後、八六年(明治一九)神田鍛冶町に朝香屋を創業、初めは三遊亭円朝の口述講談本などを出版したが、翌年から医学書の出版を専門とした。九二年(明治二五)、一専門分野の団体として最も早くできた医書組合の初代組長をつとめたほか、東京書籍出版営業者組合協議員を経て、一九一〇年(明治四三)から一五年(大正四)まで東京書籍商組合組会長をつとめた。また、日本書籍株式会社取締役、東京書籍株式会社常務取締役などもつとめた。朝香屋は昭和初期閉店した模様。

 この朝香屋は『出版人物事典』には立項されていないのだが、『近代出版史探索』17の伊藤敬次郎(後の竹酔)が勤め、出版と編集を体得し、一旦は独立する。しかし大正十三年頃に朝香屋へ戻り、大柴から二代目含みの支配人として出版をまかされるのである。そして梅原北明と知り合い、『全訳デカメロン』を刊行する。それはおイタリア大使を担ぎ出した、派手な宣伝を伴う出版イベントによって、版を重ねるベストセラーとなったようだ。その後に『露西亜大革命史』も続いた。

 それは函入四六判、上製三二二ページで、装幀と造本は誰が担ったのか不明だが、機械函に貼られた絵はロシア革命の内実を浮かびあがらせるようなイメージで迫ってくる。これは本書の赤色農民、兵士、労働者がコサックに向かって、資本家や地主のほうにつくのかと問うているプロパガンダポスターの転載だ。そして口絵にはロシア語の「戒厳令」を始めとするポスターとその翻訳が掲載され、いずれも銃殺されんとする白軍と赤軍の捕虜たちの写真が続き、革命が迫り、そのどよめきが伝わり、民衆蜂起が描かれていく。

 民衆はペトログラードのツァーがドイツのカエサルよりも責むべきだと感じた。苦渋のコップは溢れてゐる。彼らは一切を終決せしめる為に宮殿へ進んだ。先づ第一にヴィヴォルグ地方から労働婦人がパンを叫び求め乍ら、やつて来た。それから労働者の長い列が。(中略)
 だが労働者はコサック兵の看視にも拘らずニューフクスキー通りを進行した。彼等は機関銃隊から立ち昇る煙に面しても進んだ。彼等は町通りが彼等の死屍で蔽はる迄進んだ。尚も彼等は歌ひ続けて進んだが、遂に兵士及びコサック兵が彼等の味方となつて、三月十二日には、三百年間ロシヤを支配したロマノフ王朝は運命の底に粉砕した。ロシヤは歓喜に狂ひ乍ら行進し、全国民はツァーの転覆にどよめき立つて、拍手喝采した。
 革命を作つたのは主として労働者と兵卒であつた。彼等は其の為めに血を流した。

 この「緒論」シーンに続いて、一九一七年六月のペトログラードの革命ドキュメントがレポートされていく。著者のウイリアムスはアメリカのジャーナリストにして、社会主義者だと思われる。ジョン・リードやアーサー・ランサム、さらに日本のジャーナリストの他にもロシア革命を目撃していた人物がいたのだ。それは彼らばかりでなく、多くの外国人が立ち合い、また『露西亜大革命史』のようなルポルタージュが書かれ、世界各地で出版されていったのだろう。だがこの革命の始まりにおいて、七十年後の一九八九年にあってのソ連邦崩壊を誰も予測していなかった。

 それにウイリアムの『露西亜大革命史』にしても、ページ毎に削除と空白処理が施されたにもかかわらず、写真、ポスター、文書はカラーも含んで四十ページを超え、革命の臨場感はリアルに伝わってくるし、それらはアンバランスな刺激を与えたと推測される。私が入手したのは十四年五月の初版だが、発禁処分を受けたことによって、修正重版は出されず、いうなれば、洛陽の紙価を高めたとも考えられる。

 しかしそれだけでなく、この『露西亜大革命史』の出版は伊藤や梅原と、本探索でも馴染深い新鋭左翼文学者の金子洋文、今東光、村山知義、佐々木孝丸たちとの『文藝市場』創刊の触媒のような役割を果たすことになる。なお『文藝市場』については稿をあらためたい。


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