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古本夜話1474 パアル・バック『大地』と深沢正策

 第一書房が新潮社、改造社に続いて、前回の『文藝年鑑』の版元を引き継いだのは、昭和六年の『セルパン』の創刊、及び拙稿「第一書房と『セルパン』」(『古雑誌探究』所収)で書いているように、同十年の春山行夫の招聘による総合雑誌としての成功によることが大であろう。

古雑誌探究

 それとパラレルに、第一書房はベストセラーも生み出していたのである。『第一書房長谷川巳之吉』(日本エディタースクール出版部)はそのことを次のように記している。

第一書房長谷川巳之吉

 第一書房が営業面で大成功をおさめ、出版界における地位を不動のものにしたのは、翌昭和十(一九三五)年九月に出版したパアル・バック、新居格訳『大地』であった。これは、三部作であって、第二部『息子達』(昭和11・6)、第三部『分裂せる家』(昭和11・12)とともに超ベストセラーになり、合計三百万部以上を売り尽くしたといわれている。中国を題材としてこの三部作は、昭和十二(一九三七)年七月七日の盧溝橋事件を契機として始まった日中戦争、翌年におけるパアル・バックのノーベル文学賞受賞、時を同じくしてアメリカ映画「大地」の移入・上映という背景もあって、爆発的に売れ、読書界に一種の『大地』ブーム減少をまき起こしたのである。勢いの赴くところ、パアル・バックのものならば何でもよいとされ、第一書房では、『パアル・バック代表選集』全六巻を刊行するに至った。
 『大地』三部作によって、第一書房は好調の勢いに乗ると共に、莫大な利益を得、(中略)同時に、名実ともに有数の出版社となり、(中略)ここに黄金時代を迎えたのであった。

(『分裂せる家』)

 ここで新潮社のナナ御殿ならぬ、第一書房の『大地』神話も樹立され、外国文学の翻訳のベストセラー化という出版の伝説も長きにわたって引き継がれていったのである。確かに『大地』は日中戦争=支那事変の始まりと中国への関心、ノーベル文学賞受賞、映画化の三拍子が揃った翻訳出版であったけれど、パアル・バックは著名ではなく、『大地』もまた中国の大地を愛し、苦闘する貧農の王竜夫婦と子供たちを描いたもので、春山によれば、『大地』は訳者の新居格が上海で見つけ、その仲間の一人に翻訳させ、大手出版社に持ちこんだところ断わられ、そのために春山を通じて、第一書房からの刊行にこぎつけたのである。

(戦時体制版)

 そしてベストセラー化に至った事情に関しては石川弘義、尾崎秀樹の『出版広告の歴史』『大地』の項によると、昭和十二年刊行の『パアル・バック代表選集』に収録され、大々的な宣伝がなされるようになってからだった。この『選集』は『戦へる使徒』『母』『母の肖像』『東の風 西の風』からなる七巻で、これらの訳者はいずれも深沢正策である。『出版広告の歴史』は実際にその『大地』の六種類の新聞広告を示し、映画とも、時局ともタイアップしている事実を伝え、時局との関係もプロパガンダしているコピーも引いている。それは次のようなものだ。「北支は明朗となった。上海に続いて忽ち南京が没落した!! 支那と日本との関係は愈々深く密接になる。日本人が支那及び支那人を理解する必要に迫られて来るのは之れからだ!!」

   (『パアル・バック代表選集』、『母』)

 また昭和十三年九月には「戦時体制版」へと移行し、さらに版を重ねていった。手元にあるのはその「戦時体制版」の『大地』第一部で、その最後のページと奥付には詳細な重版データが記載されている。それをたどっていくと、昭和十年九月初版三千部でスタートし、千部の重版を三回、「選集版」は十二年十月に五刷の五千部から始めて、さらに年内に一万七千部、十三年八月には三三刷六万部に達している。確かに『出版広告の歴史』がいうように、「選集版」になってから急速に売れ始めたことが伝わってくる。

 そして昭和十三年八月の「戦時体制版」に至って初版一万部となり、まさに飛ぶような売れ行きだったとわかる、ただここで留意しなければならないのは新居が「序文」で、「本書の訳出については深沢正策氏の努力に負うところが多く」と述べられていることだ。『パアル・バック代表選集』の四冊の翻訳が深沢による事実は先述しておいたけれど、春山の証言と照らし合わせても、『大地』もまた深沢によっていると判断すべきであろう。

 それに深沢は昭和十三年の「戦時体制版」のマアガレツト・ミツシエル『風と共に去る』の翻訳者でもあり、同書も長きにわたって探しているけれど、入手できていない。同時代に三笠書房から大久保康雄訳『風と共に去りぬ』の刊行もあり、翻訳権の問題も含め、比較検証してみようと思っているのだが、いまだ実現していない。先に新居の関係から『近代日本社会運動史人物大事典』を繰ったところ、生没年不詳で、城西消費購買組合の杉並地区内組合員とあった。これも当たっているのではないかと思ったが、幸いなことに、深沢は『日本近代文学大事典』に立項を見出せたのである。

近代日本社会運動史人物大事典  

 深沢正策 ふかざわしょうさく 明治二二・二・二二~昭和四七・一〇・一〇(1880~1972)翻訳家。神奈川の学校を経て、アメリカの諸大学で学ぶ。専攻は生物学その他。理学博士。南洋庁勤務、新聞記者を経て、日本読書協会で英文の翻訳に従事するかたわら、アメリカ文学の紹介に力をつくす。パール=バック紹介の第一人者。(後略)

 さらに訳書としてバックの『母』と『戦へる使徒』などの紹介もあるのだが、それは重複するので省略した。

 これに『大地』を巻末の『風と共に去る』の一ページ紹介の中での深沢への言及を加えれば、彼は「かつてアメリカ南部に滞在され、特に南部黒人の俗語に関しては他の追随を許さざる専門家」という評が寄せられている。これらを通じてパール・バック翻訳者、消費購買組合員、南部黒人のスラング専門家ということになるのだが、何かちぐはぐな印象をも受ける。もう少し調べてみるつもりでいる。

 
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