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古本夜話1475 スタインベック、新居格訳『怒りの葡萄』

 パアル・バック『大地』の訳者新居格はもはや忘れられたジャーナリスト作家、評論家だと思われるが、『日本近代文学大事典』にはほぼ二段、半ページに及ぶ立項が見出される。それを要約すれば、明治二十一年徳島県生まれ、七高、東大政治家卒業後、『読売新聞』『東京朝日新聞』などの記者を経て、文筆生活に入り、文学評論、社会時評、風俗批評に腕をふるう一方で、アナキズム思想家としての活動もあったとされる。そして関係した多くの大正から昭和戦前期のリトルマガジンが挙げられ、それらとパラレルなかたちで、新聞、総合雑誌、婦人誌にも寄稿し、モボ(モダンガール)、モガ(モダンボーイ)の造語者でもあり、次々に評論、随筆集が刊行されたことを伝えている。

 また『近代日本社会運動史人物大事典』『日本アナキズム運動人名事典』の新居格の立項は一ページが当てられ、クロポトキン『ロシヤ文学・その理想と現実』(春陽堂)、『近代科学と無政府主義』(『社会思想全集』29、平凡社)も挙がっている。それらに加えて、両事典が紙幅を多く割いているのは、新居が大正末頃から協同組合運動に参加し、城西消費組合組合長、戦後はただちに東京西部協同組合連合会理事長に就任し、昭和二十二年には日本一の文化村をめざして杉並区長に立候補し、当選したことである。ただ翌年健康問題と区議会や行政への失望から辞任している。それに新居が賀川豊彦の従兄弟で、和巻耿介『評伝新居格』(文治堂、平成三年)があることを教えられる。

近代日本社会運動史人物大事典 日本アナキズム運動人名事典  評伝 新居格 (1991年) (文治堂書店) [古書]

 これらの新居のプロフィルのラフスケッチから判断すると、彼は『近代出版史探索Ⅶ』1217などの堺利彦や『同Ⅲ』538などの高畠素之と同じようなポジションにあったのではないだろうか。つまりジャーナリズムから協同組合運動に至る広範な分野において、新居をめぐる特有の人脈が集積、形成され、それが戦後の杉並区長といった動向へともリンクしていったと推測される。そのように考えてみると、パアル・バックの翻訳者の深沢正策が『近代日本社会運動史人物大事典』において、城西消費購買組合の杉並地区内組合員として立項されていたことの背景が了承されるのである。深沢と新居は翻訳のみならず、消費購買組合運動でもコラボレーションしていたことになろう。

 そしてここに新居が昭和十五年に第一書房から刊行したスタインベック『怒りの葡萄』の翻訳を置くべきだと思われる。ただ留意すべきは、これが『怒りの葡萄』の本邦初訳ではあるけれど、その前年に四元社という版元から出されていて、第一書房版はその再版と見なせよう。そのことを示すように、新居による「序文」は十四年十月付で書かれている。

 その前にJulia Warol Hower のBattle Hymn of the Republic の楽譜と歌詞が口絵写真として示され、その the grapes of wrath からタイトルがとられ、『怒りの葡萄』として邦訳されたことに関しても。だが私は拙稿「アメリカの農業の機械化と綿産業」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)で、すでに『怒りの葡萄』を論じているので、ここではその翻訳をめぐる書誌などを考えてみたい。

郊外の果てへの旅/混住社会論

 新居の「序文」は『怒りの葡萄』の四元社版の上巻のために書かれ、引き続き下巻も刊行予定だと記されている。『明治・大正・昭和翻訳文学目録』を繰ってみると、『怒りの葡萄』は一冊しか出されていないのだが、念のために笠原勝朗『英米文学翻訳書目』(沖積舎)も参照すると、こちらは上下巻となっている。だが『アメリカ文学案内』(朝日出版社)に至ってはスタインベックの戦前の翻訳は掲載されていない。

アメリカ文学案内 (1977年) (世界文学シリーズ)

 ここからは私の推測だが、第一書房版『怒りの葡萄』上巻の刊行は十五年六月、下巻も同年九月であることからすれば、四元社は上巻を刊行しただけで行き詰まり、下巻を出すことができなくなった。そこで新居が『大地』のベストセラー翻訳者という立場もあり、やはり春山行夫を通じて第一書房に『怒りの葡萄』の出版を委託したのではないだろうか。それに四元社にしても、『怒りの葡萄』の翻訳にしても、新居の特異な人脈が絡んでいたと考えられるのである。それならば、笠原の『英米文学翻訳書目』の上下巻記載はということになるのだが、ここが書誌の難しいところで、笠原は第一書房上下巻から判断して、四元社版も上下巻が刊行されたと見なしたのではないだろうか。

 それと翻訳に関してだが、新居は次のように述べている。

 わたしはこの書の翻訳に当つて厄介に思ったことは、田舎言葉であつた。西南部並に中部アメリカの西方部の移住農民達の言葉は読むに楽なものではなかつた。鄙語、俗語、地方語といつたものが実に多いからだ。それだのに、いやそれ故に、如実の度を強めてアツピールするところが深いのであつた。ただそれを訳出するのに、どの程度の、或はどの地方の田舎言葉にしたならばいゝかといふことだつた。それと、わたしの訳語が多少とも都会労働者の調子の消し兼ねたところがあつたのではないかとも思ふがその点はわたしの力の不足である。

 私はゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」の農村小説『大地』の訳者でもあるので、この新居の述懐がよくわかる。たまたま私は昭和三十年代を農村少年として過ごしたこともあり、そこ見ていた風景や農民たちを思い浮かべながら『大地』を翻訳した。それゆえにフランス文学者たちの翻訳とは一線を画すべき翻訳に仕上がったという自負もある。

大地 (ルーゴン=マッカール叢書)

 おそらく新居はアメリカの同時代の農業を見ておらず、そこに翻訳リアリティの問題を察知していたと思われる。そして「田舎言葉」「鄙語、俗語、地方語」の問題は前回ふれた南部黒人のスラングが専門家とされる深沢正策のような代役者の存在をも想起させるのである。太平洋戦争が近づいている中でのアメリカ文学の翻訳出版も、必然的に様々な問題を抱えながら刊行されていたったことを示しているのだろう。

 
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