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古本夜話1479 野口米次郎『歌麿北斎廣重論』

 前回、「野口米次郎ブックレット」の第十三編『小泉八雲伝』を取り上げたばかりだが、続けて静岡のあべの古書店で、もう一冊見つけてしまった。ところがそれは「同ブックレット別冊」と表記された第七編『歌麿北斎廣重論』で、四六判のブックレットとは体裁を異にする函入菊判上製仕立てであった。

 そのことは巻末の「野口米次郎ブックレット」一覧を見ると了解される。そこには大正十五年二月時点で、十一冊が出されていたことを示しているので、それらの明細を挙げてみる。

 1『芭蕉論』
 2『光悦と抱一』
 3『松の木の日本』
 4『能楽の鑑賞』
 5『米国文学論』
 6『光琳と乾山』
 7『歌麿北斎廣重論』
 8『春信と清長』
 9『写楽』
 10『蕪村俳句選評』
 11『芭蕉俳句選評』

(『光悦と抱一』)

 この明細の下に「此叢書は著者の定本全集なり約二十冊の予定」とある。そのために昭和二年までにさらに増巻され、全三十五巻が刊行されたことになるのだが、昭和十八年に春陽堂から『野口米次郎選集』全四巻は試みられているけれど、戦後に及んでも全集は刊行されていない。それゆえにこの「野口米次郎ブックレット」を「定本全集」と見なすべきだと思われる。
 

 本来であれば、全三十五巻の明細も挙げるべきだが、それは前回と同様に『第一書房長谷川巳之吉』所収の「第一書房刊行図書目録」にまかせ、先のリストによってあらためて気づいたことを記してみる。野口はこれも巻末に『表象抒情詩』を始めとする『野口米次郎定本詩集』全六巻の刊行が予告されているように、アメリカやイギリスにあって英詩詩集を上梓し、欧米でも認められた詩人のイメージが強かった。ところがこのリストを見ると、2、6、7、8、9は日本美術論であり、野口は詩人としてばかりでなく、海外で日本美術論者、紹介者としても知られていたことを告げていよう。そのように考えると、『近代出版史探索Ⅱ』372の野口私家版『鳥居清長』の刊行も想起されるし、納得できるのである。

  第一書房長谷川巳之吉  野口米次郎定本詩集 (第1巻)   (私家版『鳥居清長』)

 それは『歌麿北斎廣重論』にも顕著で、他の「ブックレット」の定価は五十銭、六十銭とされているのだが、この一冊だけは特別に「菊判特製美本写真三十二葉」と銘打たれていることもあって、一円六十銭という高定価となっている。ただ残念なのはそれらの浮世絵「写真三十二葉」が一ページ別刷りにもかかわらず、モノクロであることだ。そのことに加えて、主として言及している浮世絵の掲載もない。最初の「歌麿論」を例にすると、野口は大英博物館所蔵の歌麿の三枚続大判物「婦人泊り客図」から始めている。野口の友人の英国人美術家はこの浮世絵を「霊肉合致の情緒」で「私共は夢路に誘はれてゆく」と絶賛し、野口もそれに同意し、「婦人泊り客之図」に関して、次のように述べている。

 (「婦人泊り客図」)

 何たる美の表現であらう。夏の蚊帳一張は繊細な描線から出来てゐる。この完璧に近い芸術的効果は肉筆では到底得られない、全く版画の力だ。内と外とに各三人の女が立ってゐる……内の女は青い蚊帳のため一層白く浮いて見える。外に立つてゐる女共の着物を見よ、特に最初の一枚の右端に立つて着物を袖畳みしてゐる女に注意せよ。これ等の女のいづれも、恰も夏の夜の夢のやうに、一つは微かに離れ他は極めて近く、二つの混合した感覚を貫く豊饒な情調の印象を私共に与へるであらう。これが即ち歌麿情調だ。再び見給へ、この画面を蔽ふ大きな青い蚊帳の影のなかに、水中から浮かび上る花のやうに三人の女が坐つてゐる。また見給へ、外に立つ三人の女のその麗しい配置を。これら六人の女は豊麗な情調の音律に生きるではないか。

 野口のオマージュはまだまだ続いていくのだが、ここで止める。そして野口は大英博物館「珍蔵」の「一品」が「鶴屋版寛政七八年頃の作品」で「歌麿」の「活動の黄金時期」の制作だと判断している。またその後日本の歌麿展覧会で、「婦人泊り客之図」を再見するに及んで、「まだ日本にあることを喜んだ」のだが、それは「憐れにも褪色」し、「艶麗な調色」は失われていたのである。また当時の浮世絵収集は個人を中心としていたようで、「挿絵はみな松方根本中村三原諸氏の所蔵品である」との断わり書が示されていることにも明らかで、それらの中にも「婦人泊り客図」はなかったと考えられる。それが掲載されなかった理由となろう。

 そこで『歌麿』(『浮世絵大系』5、集英社、昭和五十年)を繰ってみた。さすがに半世紀を閲しての出版であり、そこには「婦人泊り客之図」三枚が見開きページに並んでいて、大英博物館所蔵のものとの「調色」比較はできないけれど、高橋コレクションと明記されている。おそらく高橋は監修者の高橋誠一郎と考えられるし、野口の『歌麿北斎廣重論』以後に入手に至ったのだろうし、参考文献として同書もリストアップされていることを付記しておく。また野口私家版『鳥居清長』は『歌麿北斎廣重論』のモノクロ刷りに対して、カラー刷りの試みだったように思われる。


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