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古本夜話1481 片山廣子訳『シング戯曲全集』

 「川田順自叙伝」とある『葵の女』はタイトルが象徴しているように、自叙伝というよりも、徳川の娘を始めとし、「老いらくの恋」に至る川田の女性遍歴、それも遠回しな「ヴィタ・セクスアリス」と読むこともできる。それは川田が明治十五年に、宮中に近い東京の上流階級に生まれ、一高、東京帝大を経て、大阪の実業界というべき住友に入社する一方で、短歌結社たる佐佐木信綱の竹柏園(竹柏会)に入門し、歌人として明治三十一年創刊の『心の花』同人となる文学環境とも重なっている。

 そうした川田を取り巻く環境がこの「自叙伝」の特色であり、そこには明治三十七年に小山内薫や武林無想庵たちと創刊した文芸誌『七人』の同人の女性関係を含むエピソードもつめこまれ、彼らがラフカディオ・ハーンの最後の一年の講義を受けたことなどにも及び、とても興味深い。

 しかし川田の筆致で何よりも異彩を放っているのは片山廣子への言及で、彼女は竹柏園をともにし、川田の兄嫁の友達でもあったし、彼は昭和三十二年三月の彼女の告別式にも参列している。晩年の廣子は武蔵野の下高井戸に閉居していたのである。川田にとって、彼女は「どこから見ても賢明そのもの」で、「表面は静かだが、内面はかなり複雑な女性だつた」のではないかと述べ、続けている。

 あれだけの教養と、あれだけの才分を持ちながら、文学へも狂熱したことはない。短歌が上手(新しかつた)でありながら、没頭しなかつた。アイルランド文学の最初の立派な紹介者(松村みね子)で、鷗外先生を驚かせたのだから、そんじよそこらの婦人達であつたら有頂天になり、文壇へ押し出して男子らを尻目にかけるところだが、それもしなかつた。シングの「海へ騎りゆく人々」「谷のかげ」その他数篇を翻訳して文壇へ紹介すると、やがていつの間にか忘れたやうな顔をして、アイルランドのアも口にしなくなつた。歌壇のいやなところ、文壇のいやなところを知り抜いて遠去かつたのかも知れぬ。それも「かも知れぬ」で本当のことはわからない。佐佐木先生へも好感をもたず、近寄らなかつた。それもなぜか判明しない。どうも底の知れぬ婦人であつた。

 この片山とシングをめぐる川田の回想は何よりも補足説明が必要だし、新潮社の片山廣子=松村みね子訳『シング戯曲全集』も入手しているので、それを書いておきたい。手元にある同書は大正十二年七月初版、十一月四版で、上製フランス装、四〇四ページ、裸本だが、函入だったと思われる。「谷の影」「海に行く騎者(のりて)」などの六編が収録され、これらはシングが短い六年間に書いた戯曲のすべてで、それゆえに『全集』と銘打たれているのである。

シング戯曲全集

 ダブリン生まれのシングはパリで同郷のイエイツと知り合い、アイルランド西端のアラン島に赴き、そこで得た知識や見聞、風物や伝説をもとにして劇作を始め、アイルランド新劇運動に大きく寄与したとされる。

 この六編のうちのどの戯曲を紹介すべきか、最初の「谷の影」は川田も挙げているし、私もそれを選ぶべきか、いささか迷ったのだが、ここではやはりジェイムス・ジョイスも偏愛していた「海に行く騎者(のりて)」をとるべきだろう。これも「アイルランドの西海岸の離れ島」、つまりアラン島を舞台とする一幕悲劇である。老女モーリヤはこれまでに愛する夫や四人の息子たちを海に奪われてしまった。さらに五人目の息子のマイケルも海で行方不明となり、絶望しされている中で、六人目の息子のバアトレイも悪天候にもかかわらず、馬市に出す馬を舟に乗せ、出発するが、海にのまれてしまう。邦訳タイトルの『海に行く騎者(のりて)』とはRiders to the Seaであると同時に、海の中に消えてしまった老女の夫や息子たちの総称となる。それにモーリヤの二人の娘のカスリンとノーラ、近隣の年老いた男女たちも登場し、一幕悲劇は「どんな人だつていつまでの生きてゐるものではない」というモーリヤのセリフに象徴される大団円へと向かっていく。

 片山の訳文は見事にして端正というしかなく、鷗外の賛嘆もよくわかるし、その「底の知れぬ」訳者ぶりもうかがわれる。まずは巻頭に二ページの英文が置かれているのだが、これはイエイツによる原書の序文で、そのサインのwm yeatsは筆記体直筆なので、よく読めない。、どうして片山はこの序文を訳さないで、そのままにしておいたのだろうか。それなのに巻末のただ「訳者」とある付記解題は半分近くが英語の引用と語彙への注釈で、それでいて「谷の影」と「海に行く騎者」にはまったくふれられていない。これもどうしてなのだろうか。

 また川田の誤解を訂正すれば、片山は『シング戯曲全集』の献辞として、「師佐々木博士に」を掲げているし、昭和二年に第一書房の円本『近代劇全集』25の『愛蘭土篇』を一人で引き受け、シングの他にイエーツやダンセニイの翻訳も収録している。私も彼女のことは「片山廣子『翡翠』」(『古本屋散策』所収)を書いているけれど、かぎりなくミスティックな存在のように思える。

(『近代劇全集』25)   古本屋散策


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