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古本夜話1486 志水松太郎『出版事業とその仕事の仕方』

 十年ほど前に『日本古書通信』の樽見博編集長からクリスマスプレゼントとして、『出版事業とその仕事の仕方』を恵送されたことがあたった。この本は知らなかったが、元版はかなり売れたようで、写真が豊富だし、何らかの参考になればという添え書きとともに。それもあって、いつか書かなければと思っていたにもかかわらず、時が流れてしまった。本探索1483で『編輯著述便覧』を取り上げているので、ここで続けて言及してみたい。

 『出版事業とその仕事の仕方』は著者兼発行者を志水松太郎として、昭和十三年に豊島区雑司谷町の大日本出版社峯文荘から刊行されている。発売所は取次の栗田書店と東京堂で、その事実は『編輯著述便覧』が「非売品」扱いだったことに比べれば、多少異なるにしても、所謂「業界本」として刊行されたと考えられる。菊半裁判、三九三ページの一冊である。

 志水と大日本出版社峯文荘はここで初めて目にするが、巻末広告を観ると、市川源三『母の書』の他に、「新刊」として市川盛雄『新時代の広告文学』、松本清『日本倉庫史』、後藤朝太郎『茶道支那行脚』、豊田実『戦争と株式と人物』を刊行しているとわかる。何ともとりとめがないといっていいラインナップなので、これらの書影を通じて、志水とその版元のプロフィルは掴めない。著者の口絵写真は見ることができるけれども。

 それは『出版事業とその仕事の仕方』を読むことで、浮かび上がらせていくしかないだろう。志水は「序」において、同書の上梓理由を次のように語っている。大規模出版社であれば、編集、営業、宣伝といった分業的な仕事、小規模出版社においてはそこの主人がすべての任に当っているので、「一般出版事業に従事の諸君」はそれらをひととおり心得ていないし、自分もそうだった。「其処で本書が出来た事になつた訳である」と。ところがそれが予想外に売れてしまったようだ。

 本書は囊に四六判二百二十七頁九十五銭の小冊として提供した処、忽ち一千部売切れの歓迎を受け、其の後改定増補の筆を加へて、本書と同版を上製四六判一円八十銭として売出した処、之亦一千二百部が非常な歓迎を受けたのであつた。本書の内容は、勿論それだけ歓迎を受けるだけの必要な事柄と話してあるのだが、それでも筆者として、斯くまで広く読まれる事を、意外とも思ひ、光栄とも感じて居る所である。其処で前書の残り幾何も無い今日、奉仕廉価として茲に普及版を提供する事にした。

 そして志水は「前書を刊行した頃は、東京の某出版社に勤務の身であつたが、其後理想に向つて躍進努力すべく、今出版の道に自から総てを手掛けて行くべき立場になつた」と述べている。それが巻末広告の各「新刊」書籍のことが了承される。またさらに読者に向け、「諸君、大いに共に出版界に活動しようではないか」と呼び掛けている。それならば、同書の内容と「歓迎を受けるだけの必要な事柄」がどのようなものであるのかをたどってみなければならないだろう。

 その内訳を示せば、三部仕立てで、第一は「仕事(市場へ出すまでの話)」である。それは出版の定義と種類から始まり、編輯者の心得、著者との関わりとその問題、原稿の整理とその方法、原価計算、印刷と用紙、校正、製本、広告などにも及び、出版社における編輯者の立場から見た、主として書籍の生産の実際といえるであろう。この第一だけで三〇〇ページ近くが占められているので、志水がその時代の大手出版社の現役の書籍編集者だと推定できる。

 第一も多くの現場の写真や図版、表などを配置し、リアルなレポートとなっているのだが、それ以上に興味深いのは第二の「取引(売行成績の実例談)」である。それは昭和十年の『出版事業とその仕事の仕方』の初版、つまり第一版の流通と販売の実際を語っているからである。その第一版は共同印刷で製作され、当初はすべてを無償頒布するつもりでいたが、負担が重すぎたので、勤務先の社長の許可を得て、書店での販売も試みることにした。取次は栗田書店で、当時の四大取次店は、それに東京堂、東海堂、大東館、北隆館であった。そのために第二版から東京堂にも口座を設けたことになろう。

 ここでは栗田書店の写真も掲載され、その委託正味が七半掛け、つまり定価一円であれば七十五銭、三カ月後の精算となる。これも色々と細部まで言及していけば、専門的になりすぎてしまうので、これ以上立ち入らないが、現在の小出版社の取引条件は実質的に六掛け、六ヵ月後の精算であることを考えると、昭和十年代はまだ取次との取引条件は恵まれていたことになろう。

 志水にとっても、栗田書店からの最初の支払い、それは百円の小切手であったけれど、記念すべきもので、栗田雄也の自筆署名入りの第一銀行丸之内支店の峯文荘宛小切手の写真を掲載している。

 取次口座開設と書店販売に伴う新聞広告、注文と売れ行きの実際、書評なども転載され、峯文荘と『出版事業とその仕事の仕方』のデビューをリアルに伝えていよう。すでに支那事変は起きていたが、同書の売れ行きからすれば、昭和十年代には出版事業を志す人々が多く存在していたことになるし、本探索で取り上げてきた文芸書の小出版社なども、そのようなトレンドの中で創業されていったと思われる。


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