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古本夜話1485 竹柏会と「心の花叢書」

 本探索1481の片山廣子の歌集『翡翠』を入手し、そこに収録された「ゆめもなく寝ざめ寂しきあかつきを魔よしのび来て我に物いへ」という一首を示し、彼女に言及したことがあった。

(『翡翠』)

 その際に片山の『翡翠』の他に二冊の歌集も拾っていたことを思い出し、探してみると、九条武子『金鈴』と石井衣子『波にかたる』が出てきたので、これらも書いておきたい。ちなみに前者は大正九年初版、昭和四年十版、鮮やかなクロムイエローがまた保たれている函入り、後者は大正十四年初版の裸本、いずれもB6判上製である。『翡翠』と同じく、両書の発行所は竹柏会、発売所は東京堂書店となっている。それは竹柏会が発売と取次を東京堂に委託していることを物語っている。

(『金鈴』)(『波にかたる』)

 竹柏会は明治三十二年に設立されている。それは歌人佐佐木弘綱の号である竹柏園(なぎその)にちなみ、息子の信綱もその号を継承し、竹柏会を主宰することになった。その前年に創刊された『心の花』は単なる短歌雑誌というよりも多彩な文芸雑誌の趣があったが、三十七年に石樽千亦が編集に専従し、竹柏会の機関誌へと移行した。

 『心の花』発行だけでなく、竹柏会は主として大正時代に多くの歌集を収録した「心の花叢書」を刊行している。残念ながら、歌集ということもあってか、紅野敏郎『大正期の文芸叢書』には見出せないけれど、『金鈴』の巻末広告に「竹柏会同人著作著目」として「歌集」がリストアップされているので、それらが「心の花叢書」と見なせよう。それを引いてみる。なお番号は便宜的にふったものである。

1 佐佐木信綱 『改訂おもひ草』
2   〃   『新月』
3   〃   『常盤樹』
4 石樽千亦 『鷗』
5 白蓮 『踏絵』
6 津軽照子 『野の道』
7 釈宗演 『楞伽窟歌集』
8 木下利玄 『一路』
9 福原俊丸 『雲』
10 富岡冬野 『微風』
11 石井衣子 『波にかたる』
12 小金井素子 『窓』
13 安廣花子 『ひなげし』
14 秋元松子 『黄水仙』

(『一路』)

 また別刷一ページに九条武子歌集『薫染』がその諸感随筆集『無憂華』と並んでいるし、その裏ページには佐佐木信綱博士編『九条武子夫人書簡集』も挙がっている。当然のことながら『金鈴』にしても、『薫染』にしても、「心の花叢書」に含まれるものであろうが、『無憂華』二百版、『九条武子夫人書簡集』十五版との記載は彼女が歌集とは別に、竹柏会にとってのベストセラー歌人であったことを示唆していよう。彼女が『近代出版史探索Ⅶ』1377の大谷光瑞の妹であることは承知しているが、あらためて『日本近代文学大事典』を確認してみる。

 (『薫染』)(『無憂華』)(『九条武子夫人書簡集』)

 九条武子くじょう・たけこ 明治二〇・一〇・二〇~昭和三・二・七(1857~1928)歌人。京都西本願寺に大谷光尊の次女として生れ、明治四二年男爵九条良致と結婚。ともに渡欧したが翌年単身帰国、以来十年余独居生活。幼児から歌を習い大正五年佐佐木信綱に師事、憂愁にみちた作品は世の同情を集めた。歌集『金鈴』(大九・六 竹柏会)『薫染』(昭三・一一 実業之日本社)『白孔雀』(昭和五・一 太白社)、書簡集『無憂華』(昭二・七 実業之日本社)、戯曲『洛北の秋』などのほか、改造社版『九条武子集』、信綱編『九条武子書簡集』などがある。

 この立項を読んで、あらためて『金鈴』を繰ってみると、扉には「心の花叢書」と赤く銘打たれ、彼女の深窓の令嬢的なものから、現在の「面影」に至るまでのポートレートが収録され、彼女へのオマージュ的な佐佐木の序文が続いている。それは彼女の「単身帰国、以来十年余独居生活」にふれたもので、「泰西に研学にいそしまる背の君を待ちつつ」、「その折々の思ひはあふれて、数百首のうた」となった。「この金鈴一巻よ、世にうつくしき貴人(あてひと)の心のうつくしさ、物もひしづめる麗人(かたりびと)の胸のそこひの響を、とこしへに伝ふるなるべし」と結んでいる。

 おそらく九条は先の立項に象徴されているように、西本願寺の娘として生まれ、男爵と結婚して渡欧し、夫の研学のために単身帰国し、長きにわたってその帰還を待ちわびているというイメージによって、時代のアイコンになったのではないだろうか。彼女の歌を一首だけ引いてみる。「みわたせば西も東も霞むなり君はかへらずまた春や来し」。

 先の立項は彼女の昭和三年の死を知らせているけれど、夫と再会できたのであろうか。竹柏会の二百版『無憂華』の惹句は「麗人逝いてまた帰らず、されど夫人の霊は厳として我等がうつし世に残されたり」とある。

 またさらに石井衣子の『波にかたる』にもふれるつもりでいたが、九条のことだけで紙幅がなくなってしまった。だが石井のほうも『日本近代文学大事典』には立項され、やはり早くから佐佐木に師事し、歌集として『波にかたる』が挙げられている。彼女のほうは貿易商の夫とともに長くアルゼンチンに在住し、戦後になってかの地で没したようだ。こちらも「心の花叢書」印が打たれ、佐佐木の序文が寄せられているので、石井のアルゼンチンの風景を詠んだ一首を引いておこう。

 「ミモサの花黄にうちけむり/春の陽の/照り曇らへる果なき大野」


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