これは古本屋で偶然に入手し、その「序」を読むまで知らなかったのだが、堀口大学訳詩集『空しき花束』は『月下の一群』の続編として刊行されていたのである。それは大正十五年十一月で、前年九月の『月下の一群』に続く訳詩集であることからすれば、当然のように思われがちだけれど、手元にある。だが『月下の一群』(講談社文庫、平成八年)所収の堀口大学の「年譜」(作製・柳沢通博)を見ても、『空しき花束』出版の記載はない。やはり多大な影響を及ぼした名訳詩集『月下の一群』の背景にあって、埋もれてしまった気配が感じられる。
しかし『空しき花束』にしても、判型は『月下の一群』と異なる四六判でありながら、紛れもない第一書房の詩集特有の豪華本に相当する『近代出版史探索』135の『三富朽葉詩集』の例から考えれば、函もあったと思われる。私はこの分野に関して、まったくの門外漢だけれども、その天金革背の造本、表紙の灰色の格子状に主として赤と青の花をあしらった装幀はエレガントな趣を呈し、愛でるにふさわしい一冊となっている。それに大学のいう「収むるところ二十九家の詩品長短二百篇」の「訳者の好み」による「仏蘭西近代詩の選集」は本文五二七ページで、読者をその世界へと誘うようにゆったりと組まれ、選ばれた用紙とともに、「テクストの快楽」をも喚起させてくれる。
『空しき花束』は初版千五百部、定価は三円五十銭である。すでに昭和円本時代は始まっていたし、それに抗するように「豪華版」は出されたといえよう。「豪華版」とは長谷川巳之吉の造語で、未見だが、昭和三年の『萩原朔太郎全集』において、その「詩集の装幀美」は確立したとされる。『空しき花束』の巻末広告に同じ四六判「背皮金泥美本」として、『上田敏詩集』など四冊が掲載されている。それらも『空しき花束』に準じているはずだ。それならば、長谷川はそうした「装飾美」の範をどこに求めていたのであろうか。の範をどこに求めていたのであろうか。
(『萩原朔太郎詩集』)
気谷誠『愛書家のペル・エポック』(図書出版社、平成五年)などによって、同時代のフランスが「装幀美」を誇っていたことを知っている。だが長谷川は『第一書房長谷川巳之吉』所収の「年譜」で見る限り、ヨーロッパには出かけていない。とすれば、彼はそれらの「豪華版」を直接取り寄せていた、もしくは大正になって盛んになった洋書輸入専門書店を使っていたということになるのだが、それらの証言は残されていない。ただそれよりも確実に言えるのは、第一書房のパトロンである大田黒元雄の影響である。これは拙稿「第一書房と『セルパン』」(『古雑誌探究』所収)で林達夫の証言を引いておいたけれど、大田黒はロンドン留学時代に日本での出版を志していたと思えるほど造本などに詳しく、第一書房の初期の刊行本には大田黒好みが色濃く投影されていたとされる。
確かにその林の証言を肯うように、『空しき花束』の巻末広告には大田黒の『洋楽夜話』などの著者が八冊、『近世音楽の黎明』といった訳書が四冊並んでいる。残念ながらこれらは一冊も入手していないが、長谷川は大田黒が持ち帰ったイギリスの「豪華版」を範として、「装幀美」を学び、それを詩集へと応用していったのではないだろうか。大田黒のことも『日本近代文学大事典』から引いておこう。
(『洋楽夜話』)
大田黒元雄 おおたぐろもとお 明治二六・一・一一~昭和五四・一・二三(1893~1979)音楽評論家。東京生れ。明治四五年イギリスにわたりロンドン大学に学ぶ。大正四年『バッハよりシェーンベルヒ』を処女出版、翌年小林愛雄とともに雑誌「音楽と文学」を発刊して、文学との関りにおいて西欧近代、現代音楽の紹介につくし、国際演劇協会常任理事をつとめた。主要著訳書に『洋楽夜話』『歌劇大観』、ロラン『近世音楽の黎明』、ストラヴィンスキー『自伝』などがある。
しかしこの立項には著訳者の版元名もなく、第一書房との関係がまったくふれられていないし、画竜点晴を欠くの感を否めない。文学事典は出版に冷たいといった山本夏彦の言を思い出す。
それから最後になってしまったけれど、『空しき花束』は『月下の一群』以上に口訳自由詩訳の色彩が強く、それは昭和に入っての翻訳にも大きな影響を与えたのではないだろうか。その典型は『近代出版史探索Ⅱ』のボードレール、矢野文夫訳『悪の華』だったと推測される。堀口の口語自由詩訳は冒頭のマラルメ「扇子」にも顕著なので、それをそのまま全文引いてみる。
とざされて
私は
あなたの
指のあひだで
王の笏。
美しい女あるじよ
この王位に安んじて
どうか
私をひらかずに
おいて下さい
もしも
私が
このたびごとに
あなたの微笑を
かくさねばならぬなら。
これがマラルメのどの詩に当たるのかを筑摩書房の『マラルメ全集』Ⅰの『詩・イジチュール』を繰ってみた。すると『詩集』に「扇 マラルメ夫人の」(松室三郎他訳)と「別の扇 マラルメ嬢の」と「扇 メリーローランの」の三編は見つかるものの、堀口訳「扇」に照応する詩句には出会えない。それはこの一巻を通読しても同様である。堀口は何をテキストとして「扇」を訳したのであろうか。
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