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古本夜話1488 岡田正三、田中秀吉、全国書房『プラトン全集』

 これは後述するつもりだが、第一書房の『土田杏村全集』の全巻校正は岡田正三が担っていた。ただ彼は『日本近代文学大事典』などには見えていない。ところが『第一書房長谷川巳之吉』所収の「第一書房刊行図書目録」にはふたつの『プラトン全集』の訳者として目にすることができる。これらの『プラトン全集』は昭和八年の小型版全五冊、同十七年からのA5判全十二冊であり、前者の『メノン編』は浜松の時代舎で入手している。

  第一書房長谷川巳之吉   

 先の一冊に池田圭「私と第一書房本」という回想が寄せられ、この『プラトン全集』に関するくだりがあり、私などでは書けない言及が示されているので、それを引いてみよう。

 最近は装釘のやわらかく軽い本を選ぶことの方が多い。例えば背皮、丸背袖珍の天金本、天漉き和紙の『プラトン全集』などである。如何に難解な書物と雖も、カバー函を眺め、背を撫で、バンドに蝕り、ひらの壁紙に眼をうつし、コーネル皮に指先を置く。そして見返し、数枚の余白を通って、クローム・グリーンの丸みを持ったアンティック活字、木版画の鳩の姿のある扉を開くとプラトンの世界である。
 本文は明朝8ポ、11行30字詰で対話者はアンティック活字で綴られ、それが行間に点在して第一書房本特有の階調をなしている。のどに寄せた下段のノンブルの打ち方、下欄のテキスト本のページの□の中の筋も程よい位置を保っている。ギリシヤ文字が絵模様のように鏤められ、七号の*約物も眼を楽しませて呉れる。

 まさに愛書家らしき、『プラトン全集』小型版に関する装幀、造本、活字、印刷などのすべてにわたる穿った言及で、私などはとても真似のできない記述である。池田の他に野田宇太郎が第一書房廃業に際し、河出書房に移籍するに当たって、長谷川から土産として『プラトン全集』出版権を挙げようといわれたエピソードを語っているだけだ。訳者の岡田については誰もふれていないが、「出版目録」からは昭和八年に岡田訳『詩経』が刊行され、それが『プラトン全集』へとリンクしていったと推定できる。

 その岡田は漢文研究者にしてギリシア哲学にも通じ、土田杏村が第一書房の顧問的立場にあり、彼もその近傍にいたと思われる。それが『土田杏村全集』の校正の仕事へとつながっているのであろう。

 しかし戦後になって岡田訳『プラトン全集』が刊行されたのは河出書房ではなく、全国書房からだった。全国書房版は買い求めていないけれど、古本屋で何度も見ているし、どうして第一書房の『プラトン全集』が全国書房から出版されるようになったのかは不明であった。
 
 (全国書房版)

 ところが意外なところにそれを見出したのである。拙稿「岩谷書店と『別冊宝石』」(『古雑誌探究』所収)において、岩谷書店は明治半ばの有名な岩谷天狗煙草の孫である岩谷満によって、昭和二十一年に設立され、城昌幸を編集長として、『宝石』を創刊したことにふれている。またそこで「探偵小説の一大宝庫」である「岩谷選書」の横溝正史『本陣殺人事件』、城昌幸『若さま侍捕物手帖』、高木彬光『刺青殺人事件』などのラインナップも示しておいた。

 古雑誌探究

 しかし戦後の出版社の御多分に洩れず、昭和三十年代に入ると、『宝石』の発行所は岩谷書店から宝石社へと代わり、岩谷一族は身を引いたようだ。だが『宝石』創刊間もない頃には、岩谷の親族に当たる杉山信夫が岩谷書店と『宝石』の販売を手伝い、京都に帰って、昭和二十三年に出版社を興すことになる。それはミネルヴァ書房である。

 その杉田が全国書房と『プラトン全集』に関して証言している。全国書房の創業社田中秀吉は税務関係者で、第一書房の著者でもあり、それで『プラトン全集』の出版権を得て、戦後数次にわたって刊行したが、結局のところ、出版社としては立ち行かなかったと。そこで「第一書房刊行図書目録」をたどってみると、昭和十二年六月のところに田中秀吉『印紙税法の起源と其史的展開』が見つかった。第一書房としても異色な一冊といえるだろうし、おそらく田中は、長谷川が第一書房の社業が好調ゆえに、税に関係の助言を求めて知り合った人物で、その関係から第一書房の出版物からは逸脱する一冊を刊行するに及んだのではないだろうか。

 そして田中は戦後の出版ブームの中で、長谷川から『プラトン全集』の出版権を得て、数次の出版を試みる。『全集叢書総覧新訂版』を見ると、昭和二十三年だけでも、いずれも十二巻の『プラトン全集』と『プラトーン全集』の二種類が出ているし、昭和四十六年にも『プラトーン全集』が再刊されている。それゆえに、私も何度も古本屋で見かけているのだろう。しかし昭和二十九年には弘文堂の『プラトーン著作集』などの新訳も出始めていて、戦前の岡田訳は苦戦を強いられたと想像するしかない。

全集叢書総覧 (1983年)  (全国書房版) (弘文堂版)


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