出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1498 ウスヰ書房、城左門『終の栖』、臼井喜之助『京都味覚散歩』

 本探索1495で、湯川弘文社の「新詩叢書」に城左門の『秋風秘抄』が収録されていることを挙げておいた。

 私などの戦後世代にとって、詩人の城左門は馴染が薄く、「若さま侍捕物帖」シリーズの作者としての城昌幸のほうに親しんできた。それは昭和三十年代の東映時代劇全盛時の大川橋蔵主演「若さま侍捕物帖」シリーズをよく観ていたからだし、性懲りもなくその一作である長編『月光の門』(講談社ロマン・ブックス)を拾い、つい読んでしまったばかりだ。

若さま侍捕物帖 [DVD]  月光の門 若さま侍捕物手帖 (ROMANBOOKS)

 それからしばらくして、初めて城左門詩集『終の栖』を見つけたのである。和本仕立ての帙入りの一冊で、定価は二円八十銭、昭和十七年に京都市左京区のウスヰ書房か刊行され、ちょうど湯川弘文社の『秋風秘抄』の一年前に出されたとわかる。奥付裏の広告を見ると、ウスヰ書房は『終の栖』と同じ造本、定価で三好達治詩集『覊旅十歳』、丸山薫詩集『涙した神』も出版していて、これらは湯川弘文社の「新詩叢書」に類するシリーズだったのではないかと推測される。戦時下において、大阪や京都において、このような詩集シリーズ出版の試みがなされたことの経緯は詳らかにしないけれど、それなりの出版事情が秘められているのだろう。

   

 城も巻末に「詩集『終の栖』覚書」を付し、『終の栖』は「詩的精神成長上に於る、その第四期」詩作集で、その三期にあたる詩集は『近世無頼』(第一書房、昭和五年)、『槿花戯書(はちすざれがき)』(三笠書房、同九年)、『二なき生命』(版画荘、同十年)の三冊が挙げられている。それならば、城が至った「詩的精神成長上」の「第四期」とはどのようなものであるのかが問われなければならない。その「終の栖」の表象とでもいうべき「夕餉の歌」の中の「現在」と「過去」の対照的な四連を引いてみる。

  

 ああ、我が家に事は無かり、
 我が妻は我を愛す、
 王侯の食卓に比す可くはあらねど、
 心足らへる我とわが妻の宴ぞ、

 曾て此の身、八千衢(やちまた)にさまよひ出て、
 放縦と無頼と廃頽を賞でて、
 灯取虫のごとく宵宵の燈を慕ひ、
 爛酔して、戻りて長恨を事とす、

 かの長恨は貪婪(どんらん)と我が心を啄み、
 我は亡びんとして懸崖の悲みに狎れたり、
 求むるは下賤の生活(たつき)が彼岸(かなた)に在り、
 我が夢は日毎の後に来ると――

 今宵しも、妻と食卓を囲み、
 妻が手作りに腹を鼓(う)つて哄笑す、
 昨の我や非なりしか、あはれ!
 今(こん)の我の是(ぜ)なるや、あはれ!

 ここでイロニーとしての「あはれ!」が反復され、城の「終の栖」のイロニーそれ自体も浮かび上がってくることになろう。それは翌年の『秋風秘抄』において、どのような境地へと達したのか、気になるけれど、読む機会を得られるであろうか。

 さてここで発行者の臼井喜之助にもふれておかなければならない。彼は『出版人物事典』にも立項されているので、それを引いてみる。

出版人物事典: 明治-平成物故出版人

 [臼井喜之助 うすいきのすけ]一九一三~一九七四(大正二~昭和四九)白川書院創業社。京都市生れ。京都二商卒。星野書店につとめたが、一九四一年(昭和一六)ウスヰ書房(のち臼井書房)を開き、小売のかたわ出版をはじめ、詩の雑誌や随筆書などを出すが、四三年戦時中の企業整備により河原書店に統合、戦後、四六年(昭和二一)四月再開、五〇年白川書院と改称。『詩風土』『京都』『嵯峨野』などの雑誌を出し、京都ブームの種を蒔き、また単行本で多くの詩人や作家を育てた。著書に『ともしびの歌』『京都文学散歩』『京都叙情』『京都歳時記』などがある。

 臼井の著書はここに挙げられた『京都文学散歩』(展望社、昭和三十五年)の他に『京都味覚散歩』(白川書院、同三十七年)を拾っているので、後者にふれてみたい。同書は三七四ページの文庫本であり、タイトルどおりの「京都食べ歩る記」といっていいし、豊富な写真もすべて臼井によるものだ。京都ならではのきわめて早い料亭と飲食店ガイドと見なせよう。臼井によれば、『カメラと詩歌・京都』(現代教養文庫、社会思想社)を上梓したところ、好評を得て、読者から「京名物食べ歩る記」も書くようにとの多くの手紙をもらい、それで『京都味覚散歩』の刊行に至ったという。昭和三十年代の現代教養文庫に関しては、かつて「現代教養文庫と旅行ガイド」(『文庫、新書の海を泳ぐ』所収)で、当時の旅行ブームに伴う多くの文庫本を刊行していたことを既述している。

   文庫、新書の海を泳ぐ: ペーパーバック・クロール

 臼井の白川書院のほうは後日譚があり、それは井家上隆幸『三一新書の時代』(「出版人に聞く」16)で語っている事柄だが、彼の友人の田辺肇が『近代出版史探索Ⅵ』1115の『世界画報』を発行する国際情報社にいた。その仲間の編集者やカメラマンの中に臼井の息子がいて、そこで取次の休眠口座となっていた白川書院の名義を借り、昭和四十年代後半に、田辺を中心として東京白川書院を立ち上げる。そして井家上を編集者とする竹中労の『傾向映画の時代』『異端の映像』『山上伊太郎の世界』『聞書アラカン一代―鞍馬天狗のおじさん』などの映画書を出していくのだが、これはまた別の出版史ということになろう。

 三一新書の時代 (出版人に聞く 16)  鞍馬天狗のおじさんは ~聞書アラカン一代~


 [関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら