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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1497 中央公論社と豪華本児童書

 昭和戦前における児童書の大判化に気づかされたのは、ほるぷ出版による「名著複刻日本児童文学館」第一集、二集(昭和四十九年)を通じてであった。この復刻がなければ、それらの児童書に古本屋で出会うことはほとんどなかったであろうし、実物とたがわぬ一冊を手にする機会は生じなかったはずだ。

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 その判型の大きさをまず実感したのは、第一集の芥川龍之介著、小穴隆一画『三つの宝』(改造社、昭和三年)で、判型は菊倍判、上製二四〇ページ、函入、定価五円、別刷の絵も収録され、これも児童書というよりも、高価な限定版文芸書の趣があった。それに童話集とされていても、「蜘蛛の糸」や「杜子春」も含まれていたからだ。その出版は芥川の死の翌年であり、彼はその死によって文学と時代のアイコンとされたから、文芸書として売れたのではないかとも思われた。芥川の死と文芸ジャーナリズム状況に関しては拙稿「芥川龍之介の死とふたつの追悼号」(『古雑誌探究』所収)を参照されたい。

名著復刻日本児童文学館版 三つの寶  古雑誌探究

 そうした事柄もあって、『三つの宝』の場合、児童書プロパーの問題と見なしていなかった。だが第二集に前回の『新撰童話坪田譲治集』、また川端康成『級長の探偵』、久保田万太郎『一に十二をかけるのと十二に一をかけるのと』(いずれも中央公論社、昭和十二年)、初山滋『たべるトンちゃん』(金蘭社、同十二年)が収録され、川端と久保田の二冊は縦横二十七センチの正方形の造本、初山の一冊はB4判、いずれも児童書とは異なる造型判型で、昭和十二年十二月の刊行である。

   

 それに翌年の『新撰童話坪田譲治集』も続いていたことを考えれば、戦時下の内務省による児童文学改善の指導に加えて、何らかの流通販売の新しい方針が児童書市場に導入されたのではないかとも思われた。しかも『級長の探偵』の装幀と絵はこれも「少年少女小説集」にふさわしい、『新撰童話坪田譲治集』と同じ深沢夫妻によるものだったのである。それに『一に十二をかけるのと十二に一をかけるのと』の場合は、久保田と演劇上でコラボしていた『近代出版史探索Ⅱ』359の伊藤熹朔の手になるもので、この「少年少女劇集」の時代的位相を表象していた。

 『名著複刻日本児童文学館第二集解説』『級長の探偵』において、中央公論社の編集者であった藤田圭雄が次のように述べている。彼は編集者として長きにわたって児童文学に関係し、戦後に大著『日本童謡史』(あかね書房、昭和四十六年)を上梓するに至るが、当時は『婦人公論』編集部から出版部へと移ったばかりだった。

日本童謡史 (1971年)

 始めて単行本を作る今、一つは破天荒な豪華本を作ってやろう考えた。本の形を在来のものでは面白くないと思い、いろいろ工夫した結果、菊判の全紙は普通に折ると三十二頁の菊判の大きさになるのだがそれを二十四頁に折ると、縦横大体二十センチに近い、ほぼ正方形の本ができることに気がついた。そこで今度は内容を考え、鈴木三重吉の『古事記物語』と久保田万太郎の少年少女劇集と、もう一冊、川端康成の少年少女小説集を作ることにした。何しろ、雑誌の経験はあったが、本作りなどは初めてのことで、それがどんなものかということは知らず、ついでに野上弥生子の『虹の花』という、ジェーン・オースチンの自由訳の本も引き受け、四冊を同時にクリスマスに間に合わせることにした。

 つまり「破天荒な豪華本」は「四冊を同時にクリスマス」プレゼント用に企画され、それに見合った配本がなされたと見なせよう。それは金蘭社の『たべるトンちゃん』にしても、翌年の湯川弘文社の『新撰童話坪田譲治集』にしても同様だったのではないだろうか。いずれも年末の発売であったこともそれを裏づけている。

 とすれば、昭和十年代を迎え、児童書のクリスマスプレゼントという習慣が限られた流通販売市場ではあっても、それなりに定着していたことを物語っているように思える。それは丸善や紀伊國屋書店などの大型書店、福音舎や教文館系列の小書店、それに三越書籍部を始めとする百貨店の書店だったのではないだろうか。三越書籍部は『近代出版史探索Ⅱ』289の中村書店のマンガも常備し、そのステータスの向上に貢献したようだし、それは児童書も同様だったと考えられる。

 当時の取次による書店配本を考えれば、その流通は木箱によっていたし、装幀と造本を特徴とする高価な大判児童書はそうした流通システムに不向きで、当然のことながら、書店からの注文を受けての指定、注文配本が主流だったはずだ。それでなければ、流通配本段階において、大型本の痛みを避けられないし、クリスマスプレゼントにふさわしい児童書ではなくなってしまうからだ。そうした昭和十年代の児童書出版社の営業に関して、管見の限り、まったく伝えられていないし、そのことについて、児童書出版史も研究書も何も語っていない。それゆえに、児童書における出版販売史の空白が生じてしまったように思える。


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