出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1503 藤澤省吾『詩集我れ汝の足を洗はずば』と竹内てるよ『海のオルゴール』

 かつて浜松の時代舎で見つけた無名の詩集に関して一文を草したことがあった。それは「廣太萬壽夫の詩集『異邦児』をめぐって」(『古本探究Ⅱ』所収で、この詩集が鳥羽茂のボン書店の前身である鳥羽印刷所で刷られ、花畑社から昭和四年に刊行されたこと、花畑社は詩誌『花畑』を発行し、廣田がその同人であり、銀座の弥生商会に勤めていたことまではたどってみた。ところが探索はそこで途切れてしまい、『異邦児』を読んだことによって、廣田の詩と時代のコアを浮かび上がらせることを試みるしかなかったのである。

古本探究 2

 しかし『異邦児』の場合、わずかな手がかりをたどって、昭和初年の無名の詩集と詩人と出版社をトレースしていくことは可能だったのだが、かなり長きにわたって手元においても、藤澤省吾『詩集我れ汝の足を洗はずば』はそのアリアドネの糸がまったくつかめない。しかもそれが第一書房から昭和十三年に出された一冊であるにもかかわらず。

(『詩集我れ汝の足を洗はずば』)

 この詩集は新四六判上製三七六ページ、奥付には所刷千部、定価一円五十銭とあり、検印紙には藤澤の押印も認められているので、自費出版ではなく、印税が生じる企画だったと考えられる。ただ第一書房は大正末の創業時代に『佐藤春夫詩集』『上田敏詩集』、堀口大学『月下の一群』、日夏耿之介『黒衣聖母』などの豪華版美本詩集で名をはせ、それは昭和に入っても続いていたけれど、昭和十年代には「戦時体制版」などの印象が強くなっていたと思われる。

(『佐藤春夫詩集』) 堀口大学訳 月下の一群 1926年(大正15年)第一書房刊 函入り、背金箔押し革装、天金  

 そのような時代にあって、長谷川は「詩人の美くしさ」(『第一書房長谷川巳之吉』所収)で、『セルパン』に掲載された竹内てるよの詩を見て引きつけられ、その未知の詩稿を編んだことにふれている。おそらくそれが昭和十五年の竹内の『詩集静かなる愛』『悲哀あるときに』、翌年の『生命の歌』の三冊の出版として結実していったのであろう。

  第一書房長谷川巳之吉 

 竹内は『日本近代文学大事典』において、明治三十七年札幌生まれ、詩人、児童文学者とあり、昭和に入ってから病気と貧困の中で詩作を続け、草野心平の『銅羅』『学校』、秋山清の『弾道』などのアナキズム系詩誌に寄稿し、昭和四年には渓文社を創設し、印刷と出版を手がけたとされる。初期の詩はアナキスチックな思考に立ち、現実への抵抗を歌い上げたが、その後は感傷的ヒューマニズムが表面化し、平明な人生論的詩風に移行したと評されている。確かに渓文社はフランシス・フェレル『近代学校』(遠藤斌訳、昭和八年)が発禁処分を受け、昭和五十五年に創樹社から遠藤による改訳が出された。

近代学校―その起源と理想 (1980年) (創樹選書〈7〉) (創樹社版)

 竹内の第一書房版の三冊の詩集は未見だけれど、時代的にいえば、叛逆の詩から主として平明な人生論風に移行した詩集となっているのではないだろうか。そうした竹内の軌跡もあってか、彼女は『日本アナキズム運動人名事典』『日本児童文学大事典』にも立項されているのだが、戦後になって中原淳一の少女雑誌『ひまわり』の投稿詩欄の選者を務めていたようで、それらも相俟って、人生論の書き手になっていったと推測される。

日本アナキズム運動人名事典  

 それを象徴するのは竹内の自叙伝ともいえる『海のオルゴール』(家の光協会、昭和五十二年)で、藤田弓子主演でテレビドラマ化されている。これは「子にささげる愛と死」とあるように、彼女の多くの人生詩が挿入され、生き別れした息子との再会と死に至る物語に他ならず、叛逆の詩やアナキズムの影はすでに消滅している。だが何気なく「私の好きな作家、アイルランドのシングの『海へゆく騎り手』という作品」、もしくは「私の作品は次第に認められ」、第一書房から刊行された二冊は「総合して『生命の歌』という、戦時体制版というのが、七十八銭でベストセラーとなり」、「苦しかった生活の中の、情けある印税はどんなに助けになったこと」かと記しているのは、かつての彼女の痕跡を伝えているかのようだ。

海のオルゴール 新装版: 子にささげる愛と詩 (新装版)

 詩集を入手していない竹内のほうはこうして戦後までその経路をたどれるのに、藤澤のほうは『我れ汝の足を洗はずば』の一冊を残しただけで、その行方をたどれない。この詩集はこの一冊全体からタイトルの長詩と見なせよう。それは愛人が彼の家を訪れ、その病気も思いので、母親から面会を拒否される会話から始まり、次のように続いていく。

 彼は夢の中で
  彼の愛人に逢ひうつくしい花の
 香りをかいだ そして
  笑つた

 このような夢想的モノローグが一〇七ページまで続き、一〇八ページからはアフォリズム的散文へと移行していく。それも二七八ページまで続き、次からは歌と対話が始まり、『聖書』や『神曲』を彷彿とさせる。藤澤は「あとがき」において、「人の思いは、現実より浪漫へ、浪漫より象徴への道を辿るもののごとくである」と述べているが、それこそはこの詩集の回路を物語っているものであろう。


 [関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら