『土田杏村全集』第十五巻所収の四十四年という短い「土田杏村年譜」をたどってみると、昭和二年に入って、『日本児童文庫』に関する言及を見出せる。それを順に追ってみる。
(『日本児童文庫』)
二月/アルス『児童文庫』の案を立てる。
三月/この頃『児童文庫』に関する用事多し。
五月/『児童文庫』の少年少女大会岡崎公会堂で開催。講師白秋氏、未明氏、草平氏。
八月/『源平盛衰記物語』(アルス児童文庫の一冊)執筆にかかる。
九月/『盛衰記』七月に書き終る。本文四百二十三枚。巻末文十四枚。
十一月/児童文庫の『源平盛衰記物語』出来。
これを読んで、あらためて杏村も『児童文庫』の著者の一人であり、彼の昭和二年の多くが『児童文庫』のために費やされたことを教えられた。それに彼の旺盛な執筆活動も昭和円本時代と併走していたいことにも気づかされた。
アルスの『日本児童文庫』は端本を数冊拾っているだけなので、『日本近代文学大事典』第六巻所収の全七十六巻の明細リストを確認してみた。すると杏村は35の『源平盛衰記物語』だけでなく、74の訳『八犬伝物語』も担っていたとわかる。確かに昭和五年五、六月には『八犬伝物語』の執筆と送稿が記されている。アルスと杏村の関係は大正十二年の『女性の黎明』を機としていると察せられるが、『日本児童文庫』に至る詳細は定かでない。
(『源平盛衰記物語』)
ただここではこの二冊は入手していないこともあり、児童文学の分野における円本合戦と称された同じ昭和二年の興文社、文藝春秋社の『小学生全集』にもふれてみたい。それはやはり『日本近代文学大事典』に『小学生全集』の明細も挙がっているし、『出版広告の歴史』にも、円本合戦を象徴するように、「日本児童文庫、小学生全集」が一章立てになっているからでもある。
この円本合戦の起因はアルスの『日本児童文庫』企画案が興文社にもれ、文藝春秋社とタイアップして『小学生全集』へと盗用されたというものだった。アルス側には北原鐵雄の兄の北原白秋、興文社、文藝春秋社側には菊池寛が立ち、それは次第に北原白秋と菊池寛の広告批判合戦にまでエスカレートしていた。私は拙稿「芥川龍之介と丸善」「円本・作家・書店」(いずれも『書店の近代』所収)において、芥川の自死が昭和二年であることから、こうした円本時代のトラブルや販売促進のキャンペーンに駆り出されたことも、そのひとつの要因だったのではないかと述べておいた。杏村にしても、先述したように「この頃『児童文庫』に関する用事多し」とか、販売促進のために岡崎の少年少女大会に、白秋、小川未明、森田草平とともに出席しているのである。
(『日本児童文庫』、白秋編『日本童謡集』)
それらはともかく、『日本児童文庫』全七十六巻、『小学生全集』全八十八巻のすべてに目を通しているわけではないけれど、現在から見てどちらに軍配を上げるかと問われれば、著者と内容の多彩さは前者、装幀とビジュアルの楽しさは後者にあるように思える。「日本児童文庫、小学生全集」において、尾崎秀樹が『日本児童文庫』と比較して、「子どもたちらはむしろ『小学生全集』を愛読する者が多いらしく、どこの家でも『小学生全集』のほうが手垢で汚れていた記憶がある」と記しているのはそのことを伝えているのでではないだろうか。
それは最近、浜松の時代舎で入手した『小学生全集』86の『面白絵本』、同48『日本童謡集上級用』にも明らかだ。前者の小学生全集編輯部編著は赤と黄色を基調とするシンメトリカルな武井武雄による装幀で、見返しも同様である。口絵・扉は海野精光が描いたところの「初級生の図書」と「上級生の図画」などで、それに岡田なみぢ、太田勝二、川上千里、江森盛八郎、道岡敏、宮崎ミサヲ、志田嘉明、杉雄二の挿絵が続き、そのまま一冊が瀟洒なイラスト、挿絵、漫画、カリカチュア集ともなっている。
(『面白絵本』)(『日本童謡集』)
後者の西條八十編は初山滋によるエレガントな装幀・口絵、それに見開き二ページに三十五人の詩人による童謡、及び海野精光と川上千里を除いて『面白絵本』とは異なる十余人の挿絵・カットが配置されている。その例はやはり西條の童謡を挙げるべきだろう。よく知られた「唄を忘れた金糸雀(かなりや)は、/後の山に棄てましよか、/いえ、いえ、それはなりませぬ。」と始まる「かなりや」である。その右ページには母娘の姿が描かれ、娘がかなりやを手にし、母に問いかけているシーンが迫ってくる。この挿絵は誰によるのだろうか。
このようにして、ひとつの童謡が挿絵とともに見開き二ページに掲載され、それらはいずれも異なる趣を呈しながらも、そこはかとないノスタルジアを喚起させ、大正に始まり、昭和に至った所謂「童謡の運動」のエトスを伝えているかのようだ。だが西條が「はしがき」において、「北原白秋氏の作品のみは、氏の都合上掲載を遠慮せざるを得なかつた」と付記していることはおかしい。これはもはや説明するまでもないだろう。
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