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古本夜話1507 室生犀星『愛の詩集』と感情詩社

 前々回の新潮社の「現代詩人叢書」に室生犀星の『田舎の花』が含まれていることを示したばかりだが、これも犀星が萩原朔太郎と同じ詩話会で『日本詩人』の編集に携わっていたこととリンクしていよう。

 

 しかし犀星の処女詩集『愛の詩集』は朔太郎の『月に吠える』がそうだったように、大正七年に感情詩社から刊行されている。それらの経緯と事情を記せば、同五年に朔太郎と犀星は詩雑誌『感情』を創刊し、八年まで全三十二冊が出された。発行兼編輯人は室生照道=犀星で、感情詩社からの発行だった。それもあって、犀星の『抒情小曲集』と『第二愛の詩集』も続刊され、感情詩社は所謂プライベートプレスにすぎなかったけれど、これらの詩集を出版したことは近代詩史上において、特筆すべきだ。ちなみにこれらの詩集が自費出版だったことはいうまでもないだろう。

  (『月に吠える』)

 犀星の詩にあって、第二詩集『抒情小曲集』の冒頭の「小景異情」にみられる「白魚はさびしや/そのくろき瞳はなんといふ」、及び「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」といったフレーズはよく知られている。だがここではその複刻が出されていることもあり、『愛の詩集』のほうを取り上げることにする。

   愛の詩集―室生犀星第一詩集 (1981年) (名著複刻詩歌文学館―石楠花セット) (復刻)

 この詩集も朔太郎の『月に吠える』と同じく、犀星が満を持して刊行した処女詩集と見なすことができる。判型こそ『月に吠える』の一回り小さい四六判だが、やはり恩地孝四郎の装幀で、北原白秋の「愛の詩集のはじめに」という序がある。その巻頭には献辞として「みまかりたまひし/父上におくる」が掲げられ、その後に「私の室に一冊のよごれたバイブルがある」と始まる一文が引かれている。それは「わがなやみの日/みかほを蔽ひたまふなかれ/われは糧をくらふごとく灰をくらひ/わが飲みものに涙をまじへたり」とある。さらにドストエフスキイの言葉や萩原朔太郎の詩、自らの「序詩」、これらに白秋の序が続いていく。

 そこで白秋は「愛の詩集一巻。これは何といふ優しさだ、率直さだ、気高さ、清らかさだ。さうして何といふ悲しさ、愛らしさ、いぢらしさだ。おお、ここにはあらゆる人間の愛がある」とのオマージュを記し、「私たちは同じ神の声を同じ母胎の中で聴」くとも述べている。これらの白秋の言に至る様々な献辞や引用などは、まさに大正時代における詩の霊感的背景とでも称していいキリスト教と『聖書』、すなわち神と愛がポリフォニックに形成されていたことになるのだろうか。

 犀星もその「自序」で書きつけている。

 詩は単なる遊戯でも慰藉でも無く、又、感覚上の快楽でも無い。詩は詩を求める熱情あるよき魂を有つ人にのみ理解される囁きをもつて、恰も神を求め信じる者のみが理解する神の意識と同じい高さで、その人に迫つたり胸や心をかきむしつたり、新らしい初初しい力を与へたりするのである。はじめから詩について同感し得ない人や、疑義を有つ不信者らにとつて、詩は存在し得ないし永久に囁くことが無いであらう。

 ここでは詩が「恰も神を求め信じる者のみが理解する神」のような高みに位置し、大正時代を迎え、近代口語自由詩が一挙に臨界的状況へと達したことを暗示しているのかもしれない。それはさらに前々回もふれてきた詩話会と新潮社のコラボレーションによって加速していくだろうし、感情詩社による『月に吠える』と『愛の詩集』の出版は、その触媒の役割を果たしたようにも思える。

 やはりその発端は犀星の、北原白秋の『朱欒(さぼん)』への「小景異情」の発表、それに感激した手紙、及び犀星の翌年の前橋への朔太郎訪問にある。そして二人に山村暮鳥が加わり、人魚詩社から詩誌『卓上噴水』を創刊、続いて五年には朔太郎と犀星により、感情詩社が設立され、同じく詩誌『感情』も創刊されていく。そうした流れにあって、六年二月に朔太郎の『月に吠える』が上梓されたのである。その発行人は室生照道=犀星に他ならず、『月に吠える』の成功を目の当たりにして、彼もまた処女詩集の刊行を夢みていたにちがいない。

(『朱欒』)(『卓上噴水』) 

 それは「自序」にも示され、「自分は永い間これらの詩をまとめて世に送り出すことを絶えず考へてゐたけれど、まだ充分な力が無かつたり、これらに値する資力を欠いてゐたために」、上梓が遅延してしまったことにふれている。やはり何よりも問題だったのは「これらに値する資力」で、それが六年九月における養父の僧侶室生真乗の死によって家督相続することになり、翌年の『愛の詩集』五五〇部の自費出版用に恵まれたのである。このことが「みまかりたまひし/父上におくる」という献辞に表出しているといえよう。

 そして「桜咲くところ」から始まる五十二編を収録した『愛の詩集』の掉尾を飾るのは朔太郎の「愛の詩集の終わりに」で、二人の関係を「主として運命は我等を導いて行つた」と述べ、「私の友、室犀星は生れながらの愛の詩人である」と記している。『愛の詩集』のそれぞれの詩にふれられなかったけれど、ここに朔太郎の犀星へのあふれる真摯なオマージュは、二人の出会いとこれらの二冊の詩集によって、これまでと異なる口語自由詩の誕生の自負を秘めているように思われてならない。


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