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古本夜話1517 小学館版『萩原朔太郎全集』と版画社『定本青猫』

 萩原朔太郎は昭和十七年に亡くなり、その翌年から十九年にかけて、小学館から『萩原朔太郎全集』十二巻が刊行されている。

 (第三巻『詩の原理』)
 この出版に関して、『小学館五十年史年表』(小学館社史調査委員会編輯・発行、昭和五十年)はその第三巻『詩の原理』の書影を挙げ、その内容明細もトレースしているけれど、全十巻と誤記し、十一冊までがたどられているだけだ。そうした記述や言及は大東亜戦争下の出版の事実の確認の難しさを伝えているし、それもあってこの時代における小学館版『萩原朔太郎全集』の企画や編集の実態は判明していない。『小学館の80年』(平成十六年)では言及すらもない。

 それでも「同年表」からわかるのは、敗戦後の昭和二十年十月から朔太郎の『郷愁の詩人与謝蕪村』『恋愛名歌集』を始めとして、『月に吠える』などの詩集も次々に刊行され、戦時下の『萩原朔太郎全集』出版が小学館の戦後の始まりとも密接にリンクしていたのである。それはまた企画編集者も続けて在籍していたことを示していよう。 

 (『郷愁の詩人与謝蕪村』)  (『月に吠える』)

 この『萩原朔太郎全集』第二巻の『詩集下』だけは手元にある。菊判函入、恩地孝四郎の装幀で、さすがに用紙は上製とはいえないけれど、昭和十九年の刊行だとは思えない造本となっている。さらに、売価は税込三円九十銭、発行部数は八〇〇〇部と奥付に明記され、これもまた詩人の個人全集の刷り部数とは信じられない数字として映る。

 しかし国策取次の日配は昭和十八年から書籍の買切制を実施していたことからすれば、これだけの部数を買切で配本できるシステムを構築していたと推測される。もちろん本探索で何度も既述してきたように、それは満州、朝鮮、台湾などの植民地の外地書店を含めてであった。そうした事実は学年誌をメインとする小学館にとっても、このような詩人の個人全集が本来の出版ビジネス外の重荷だったどころか、かなりの利益をもたらす出版に他ならなかったと見なすこともできよう。

 著作権者は戦後に『父・萩原朔太郎』(筑摩書房)を上梓する長女の萩原葉子、編集代表は室生犀星である。発行者は相賀ナヲで、小学館創業者の相賀祥宏が昭和十三年死亡以来、その夫人が発行名義人を務めていたことになる。この第八回配本は『青猫』『蝶を夢む』『定本青猫』『郷土望景詩』『氷島』などが収録され、月報にあたる 「附録」には堀辰雄がほぼ四ページのすべてにわたって、「『青猫』のことなど」を寄せていて、戦前の詩の時代を想起させてくれる。

父・萩原朔太郎 (1959年)  

 そこで堀は山の療養所から出てきたばかりの昭和十年の春先に、銀座の裏通りで、朔太郎にばったり出会った。

 「ちやうど好かつた。君はまだ山のほうかと思つてゐたんだがね・・・」
 さう云はれながら、萩原さんは、その裏通りに面して出窓に版画などを並らべた小さな店へと私を連れてはひられた。その店はこのごろ詩学の出版などもやり、ちやうど萩原さんの「青猫」の édition definitive ができたところで、それへ署名に来られたのだつた。
 「君にも上げたいと思つてゐたのだ。」
 萩原さんはさういふと、最初手にとられた一冊に無ざうさに署名をして私に下すつた。それから店の主人などを相手に他の本へ署名をせられたりしてゐたが、その傍らで、私はいただいた本を披らいて、なにげなさうにそのなかの挿絵を見たりしてゐた。

 この店こそは『定本青猫』を刊行した版画荘で、すでに『近代出版史探索Ⅲ』459などでこの出版社には言及してきたが、こうして具体的に描かれているのは初めて目にするものだ。

 それらはともかく、この堀の文章は「『青猫』のことなど」のさわりのところで、さらに同巻所収の「思想は一つの意匠であるのか」や「海鳥」なども引用され、まだまだ続いていくのだが、最後の部分の『定本青猫』の「挿絵」に留意してほしい。言外に堀は『青猫』初版の「もつとちぐはぐな挿絵」と比較し、「こんどの本のほうが前のよりもずつと一巻の詩集として『青猫』のさうあるべき姿に近づいてゐる」との判断に至る。それに『定本青猫』に新たに加えられた詩は「郵便局の窓口で」と「時計」の二編だけで、それほど重要だとは思えない。とすれば、「挿絵」の相違と『定本青猫』に新たに加えられた「自序」と「定本『青猫』所載木版画に付せられた註」ゆえと考えていい。しかし小学館版の『詩集下』には「自序」と「同註」があるだけで、「挿絵」はなく、それは『青猫』も同様である。

(『青猫』)  (版画荘版『定本青猫』)

 それらを比較するためには、版画荘版『定本青猫』を入手すべきだが、それは難しいので、筑摩書房版『萩原朔太郎全集』第一二巻によらなければならない。第一巻には『青猫』、第二巻には『定本青猫』の挿絵、また後者にはその函に「6 illustrations」の一枚がくっきりと刷りこまれている書影の口絵写真もある。朔太郎は『定本青猫』の「自序」の最後に「挿絵について」を付記し、それらの停車場、ホテル、海港、市街、時計台の図が明治十七年の『世界名所図絵』から採録だと述べ、「無意識で描いた職工版画の中」にある「不思議に一種の新鮮な詩的情趣」を通じての「古風で、色の褪せたロマンチックの風景」を見ている。

 (第一巻)

 そして次のように続けるのだ。おそらく私がそうだったように、堀もこの「挿絵」に『定本青猫』の特有のアウラを感じたにちがいない。もっとも私の場合は『現代詩人全集』の萩原朔太郎の巻においてだったのだが。朔太郎の「挿絵について」こそは『定本青猫』そのもののみならず、彼の詩の世界のすべてを語っているようにも思われるのだ。少し長いが、それを味わってほしい。

 見給え。すべての版画を通じて、空は青く透明に晴れわたり、閑雅な白い雲が浮かんでゐる。それはパノラマ館の屋根に見る青空であり、オルゴールの音色のやうに、静かに寂しく、無限の郷愁を誘つてゐる。さうして舗道のある街街には、静かに音もなく、夢のやうな建物が眠つてゐて、秋の巷の落葉のやうに、閑雅な雑集が徘徊してゐる。人も、馬車も、旗も、汽船も、すべてこの風景の中では「時」を持たない。それは指針の止つた大時計のやうに、無限に悠悠と静止してゐる。そしてすべての風景は、カメラの磨硝子に写つた景色のやうに、時空の第四次元で幻燈しながら、自奏機(おるごをる)の鳴らす侘しい歌を唱つてゐる。その侘しい歌こそは、すべての風景が情操してゐる一つの郷愁、即ちあの「都会の空に漂ふ郷愁」なのである。


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