出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1539 『詩・現実』第一冊と淀野隆三

 前回の三好達治が詩を寄せていた『詩・現実』全五冊は、発行所を教育出版センター、発売所を冬至書房新社として、昭和五十四年に復刻されている。これも本探索1516、1492などの『生理』『四季』と同様に「近代詩誌復刻叢刊」シリーズである。

   

 もっとも『近代出版史探索Ⅵ』1008などで『詩・現実』にふれた際にはその復刻を知らずにいて、古書目録で見つけ、購入するに及んで、ようやく実物を手にしたことになる。限定七五〇部のNo369で、頒価三万円だが、古書価は四五〇〇円だった。渋谷の古書一路から送られてきたそれを確認すると、横浜国大図書館蔵書印があり、除籍本だとわかった。

 以前にも近代文学館復刻の梅原北明たちの『文芸市場』を買い求めたことがあって、実はこれも早稲田大学文学部のある研究室からの放出処分によるものだった。これらの復刻も近代文学研究の隆盛、原本の入手難、古書価の暴騰という資料をめぐる三拍子揃った時代になされたと考えられるけれど、こうした除籍や放出はそれらの三位一体が崩壊してしまった現在を象徴していることになるだろう。

 

 それらはともかく、『詩・現実』を見るのは初めてだが、菊判という判型、『近代出版史探索Ⅴ』924の神原泰などによる表紙、古賀春江と阿部金剛の本文カットは明らかに『詩と詩論』の向こうを張っているとわかる。同誌に関しては拙稿「春山行夫と『詩と詩論』」(『古雑誌探究』所収)を参照されたい。

 古雑誌探究

 その内容にしても、第一冊を紹介すると、「評論」はピエエル・ナヴィル「文学とインテリゲンチヤ」(北川冬彦、淀野隆三訳)を始めとして四編、「作品」は横光利一「油」、梶井基次郎「愛撫」、ジャン・コクトオ「グランテカール断章」(堀辰雄訳)といった詩や小説からなる十九編、「研究・紹介」は渡辺一夫「ヂェラァル・ド・ネルヴァルの『十六世紀詩人論』」、伊藤整「ジェイムズ・ジョイスのメトオド『意識の流れ』に就いて」などの九編、「展望」は小宮山明敏「最近のソウェート文壇の動勢」他四編、「批評」は飯島正「『映画監督と映画脚本論』(ブドォフキン著)』などの四編に及んでいる。これらの多彩な内容からわかるように、寄稿者は延べにして四十人を超え、『詩・現実』の創刊にあっての意気込みが伝わってくるかのようだ。

 昭和五年六月発行の『詩・現実』第一冊は編輯者を淀野隆三、発行所を武蔵野書院として刊行されている。武蔵野書院は『近代出版史探索Ⅵ』1006で示しておいたように、淀野訳のプルースト『スワンの方』を刊行する関係であった。そのことはひとまずおくとして、「編輯後記」は次のように述べている。

 我々は現実を観なければならぬ。芸術のみが現実よりの遊離に於いて存在し得るといふのは、一つの幻想に過ぎない。現実に観よ、そして創造せよ。――これが、我々現代の芸術に関与する者のスローガンであらねばならない。
            *
 現実は、しからば如何にして把握されるか。この問題に就いての回答は、「詩・現実」の寄稿諸家が夫々それを示すであらう。だが、我々は、現実が歴史の把握なしに究明されようとは信じない。「詩・現実」は現代芸術の創造と批判を目的とするが、この意味に於いて我々は歴史を重視する。従つて、古典への反省・研究はここに重大なる役割を取る。
            *
 また現代は一国の文化の独立を不可能にする。国文学は世界文学の一領域としてますますその意義を倍加する。世界文学への我々の不断の展望と検討とは愈閉却してはならない。
 「詩・現実」の「詩」は所謂ポエムを意味しない。それは芸術といふ意味に解すべきだ。世界各国の文化芸術が一連の関係に立つと同様、我々の芸術の各部門は相互に相関々係に立つ。それら各部門のあらゆる交流と衝激、これが、我々の芸術各部門をして夫々益々独自の境地に向はしめる。            *
「詩・現実」はかゝる立場に立つて出発する。

 全文ではないけれど、『詩・現実』の昭和五年におけるポジション、『詩と詩論』と異なる視座を表明したものといえるので、長く引用してみた。これを書いたのは奥付に編輯者として記されている淀野隆三だと見なしていいだろう。しかも淀野こそは『詩・現実』をともに創刊した北川冬彦以上に昭和初期時代状況において、「我々は現実を観なければならぬ。芸術のみが現実よりの遊離に於いて存在し得るといふのは、一つの幻想に過ぎない」と自覚していた文学者だったからだ。それは淀野が『日本近代文学大事典』だけでなく、『近代日本社会運動史人物大事典』にも立項されていることにも明らかである。それらを要約してみる。

 近代日本社会運動史人物大事典

 淀野は明治三十七年京都に生まれ、三高を経て、昭和三年東京帝大仏文科卒業。大正十四年に梶井基次郎たちの同人誌『青空』に参加し、昭和四年には『近代出版史探索Ⅵ』1006のプルースト『スワン家の方』を『文学』に訳載し、また『詩と詩論』などにもフランスの詩や詩論を翻訳している。その一方で、昭和五年に『詩・現実』を創刊し、やはり同年にプロレタリア科学研究所に入り、『マルクス・レーニン主義芸術学』の編集に携わり、日本プロレタリア作家同盟に参加し、崩壊寸前の財政部長を務めたとされる。まさに淀野はこの時代のフランス文学とマルクス主義をともに体現する存在だったことになるし、『詩・現実』も多彩な寄稿者によっているけれど、根底には同様のリトルマガジンを志向し、創刊されたと見なすべきであろう。それはまた梶井基次郎が晩年に『資本論』を読んでいたという事実を想起させるのである。

 とりあえず、ここでは『詩・現実』第一冊にふれたが、全五冊を入手したこともあり、さらに続けて言及することになろう。


 [関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら