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古本夜話 番外編その一の5 賀川豊彦『死線を越えて』と『現代日本文学全集』

 賀川豊彦といえば、大正後半のベストセラー『死線を越えて』を取り上げないわけにはいかないだろう。しかもそれは大正九年の改造社からの刊行で、このベストセラー体験がもたらされなかったならば、円本の嚆矢としての『現代日本文学全集』の企画も成立しなかったと思われるのだ。

  (改造社版) (『現代日本文学全集』)

 石川弘義、尾崎秀樹『出版広告の歴史』(出版ニュース社)における実際の広告を示して指摘によれば、その上巻『死線を越えて』に続き、十年に中巻『太陽を射るもの』、十三年に下巻『壁の声きく時』が出され、上巻は一年間で二〇〇版、中下巻も同様で、三巻で六十万部という「大正期最大のベストセラー」となったのである。それは大正期における第一次世界大戦ブーム、新聞と出版広告の急激な伸長、宗教文学の発生などを背景としている。

出版広告の歴史 一八九五年から一九四一年  

 これらの単行本は入手していないのだが、昭和六年にまさに『現代日本文学全集』59に全三巻が収録されているので、それは手元にある。だが昔のベストセラーの常として、忘れられているし、復刻されているにしても、もはや誰も読んでいないだろうし、『出版広告の歴史』に示されている「知識人と民衆のすれちがいを形象化する」通俗的な作品という見解すらも埋もれてしまっていよう。それでも『日本近代文学大事典』の賀川の立項には解題が付されているので、まずそれを引いてみる。

死線を越えて]しせんをこえて 長編小説。二二章まで「改造」大正九・一~五に掲載。大正九・一〇、改造社刊。新川に移り住み隣人愛を実践した賀川の体験を文字化したもの。何人かの人物に虚構があるが、ほかは(とくに新川生活は)ほとんど事実そのままと見ていい。そこにこそ作品の迫力があった。三部作の後続(中略)とともに。それぞれ「自己確立の書」「貧民問題との対決の書」「資本主義との賀川的対決の書」という性格をもっている。米騒動など第一次世界大戦後の経済恐慌の一面が描かれていて史料的価値も高い。

 『日本近代文学大事典』の解題ということもあり、同時代における『近代出版史探索Ⅲ』553の水上瀧太郎の「作者賀川某」の「作品は蕪雑冗長衒気稚気満々たるもので、失笑を禁じ得ざるもの」という「大人の眼と子供の眼」(『貝殻追放一』、『水上瀧太郎全集』九巻、岩波書店)は引かれていない。水上は昭和に入ってのベストセラーの鶴見祐輔『母』(講談社)に関して「素人の小説」(『貝殻追放二』所収、同十巻)で、「女性の好む通俗小説」と見なし、批判している。

 母 (講談社学術文庫 802) (講談社学術文庫)

 これらのベストセラーに対する水上の批判は作品の真の価値を問わない出版社による大がかりな広告、それは「女と子供を相手にする新聞雑誌」に打たれ、女性読者が殺到して数百版を重ねることに向けられている。したがって、「商業主義の雑誌社の大広告に釣られる無批判人の罪」であり、「今日作家の名声は雑誌社によつて作られ、直の批評家によつては形成されぬ事実がある」のだ。

 つまりいってみれば、大正時代を迎えての新聞や雑誌の成長によって、明治期と異なる「大広告」を通じてのベストセラーが生まれ始めたことになる。そういえば、『近代出版史探索Ⅵ』1055の大正十年の生田春月『相寄る魂』(新潮社)にしても、先行する大正時代のベストセラーである倉田百三『出家とその弟子』(大正四年、岩波書店)、江馬修『受難者』(同五年、新潮社)、島田清次郎『地上』(同八年、新潮社)を意識して書かれたことは明白である。しかし残念ながら、ほぼ同時代に刊行された『死線を越えて』三部作がベストセラー化を代わりに実現してしまったことになろう。

(『相ひ寄る魂』 、新潮文庫)   

 しかしあらためて『死線を越えて』を読んでみると、水上の指摘や同時代のベストセラーの影響は明らかだけど、大正時代ならではの宗教書と翻訳書の影響も見逃してはならないように思えたので、それらを記しておきたい。そのことは最初のシーンや主人公の新見が交わす会話にも顕著なのである。

 新見は明治学院の近郊の森蔭で本を読んでいると、友人の鈴木が通りがかり、その洋書を取り上げていう。「何だ、之りや? Upanishad と発音するのか? ウム。The sacred books of the East つて何だ。一体?」これはいうまでもなく、『近代出版史探索』104で挙げた『世界聖典全集』の原タイトルで、同時代に『ウパニシャット』は高楠順次郎訳が刊行されていたのである。

 世界聖典全集 (前輯 第7巻)  Sacred Books of the East IV: THE UPANISHADS

 また続けて、ヘッケルの「一元論」「物質精神一体両側面説」に関する会話も交わされるのだが、それに言及したヘッケル『生命之不可思議』も大正七年に栗原古城訳で出されていた。その版元は鶴田久作の玄黄社で、彼はその後、国民文庫創刊会を立ち上げ、円本などの予約出版の先駆をなすのである。

(『生命之不可思議』、玄黄社版)

 もちろん『世界聖典全集』が原タイトルで示されていることから、『ウパニシャット』も『生命之不思議』も、『死線を越えて』の主人公たちが原書で読んでいると想定されているかもしれないが、それらは小説の性格からしてペダントリーというよりも文飾であり、翻訳を通じての知識だと思われる。ヘックルについても、やはり『近代出版史探索』153で、後藤格次訳『生命の不可思議』(岩波文庫、昭和三年)にふれているが、時代の相関からすれば、玄黄社版と見なすべきだろう。

生命の不可思議 上巻 (岩波文庫 青 933-1) (『生命の不可思議』)

 さらにキリスト教と社会主義思想、スピノザやサン・シモンをめぐる問答への注釈も試みるべきかもしれないが、それもまた『死線を越えて』という小説から逸脱してしまうので、これだけにとどめる。


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