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古本夜話190 ゾラの翻訳者としての武林無想庵

春秋社の『ゾラ全集』や改造社の「ゾラ叢書」の企画や編集をめぐる直接的な証言は残されていないけれども、訳者である武林無想庵に関するいくつかのエピソードとしては、山本夏彦の評伝『無想庵物語』文藝春秋)の中で語られている。しかし山本が戦前の出版業界に通じ、戦後も『室内』を発行する工作社の経営者で、『私の岩波物語』(同前)という貴重な出版史の著者であるにもかかわらず、『ゾラ全集』や「ゾラ叢書」についての証言はかなり恣意的で、本連載でたどってきた経緯と事情はまったく眼中になく、伝聞と思いこみから成立していると考えるしかない。

無想庵物語 私の岩波物語

しかもそれは武林自身の『むさうあん物語』における記述にもよっているのであろうし、また桜井書店からショヴォの訳書『年を経た鰐の話』を刊行し、フランス文学の翻訳出版にもよく目配りしていたはずの山本でさえそうなのだから、近代出版史の事実を押さえることは本当に難しいと実感する。
年を経た鰐の話

まずは山本の証言を追ってみよう。無想庵は関東大震災後の大正十三年に再び渡仏するが、前回と異なり滞在費が潤沢でなかったために、たちまち手元不如意となり、日本からの収入をあてにするしかなく、そのひとつの手立てがゾラ全集の翻訳出版企画で、一年に二冊出れば、それで食べられると考えたのだった。つまり「ルーゴン=マッカール叢書」の全訳を意味していた。そこで旧知の朝日新聞パリ特派員の重徳泗水に朝日新聞社での出版をもちかけると、そのような過去の大作を引き受けるところはないだろうとの返事であった。

しかし無想庵はその企画と長期にわたる収入をあきらめきれず、昭和四年にゾラ全集を刊行してくれる出版社を探すために、七年ぶりに帰国した。明治三十年代に無想庵は、柳田国男からゾラをよく読んでいるようだから、龍土会に出てゾラの話をして下さいと頼まれてから、「以後何十年このゾラにとりつかれる」と山本は記している。

そして最初に無想庵は改造社の山本実彦にその企画を持ちこむが、十年先どころか三年先もわからないという理由で断わられてしまう。それでも山本は帰国を祝って、銀座で無想庵歓迎会を開いてくれた。無想庵は、長谷川如是閑内田魯庵と三人で一冊ではあるにしても、改造社『現代日本文学全集』の著者の一人で、同じく『世界大衆文学全集』12のウージェーヌ・シュウの『巴里の秘密』の訳者でもあったからだ。なお付け加えれば、新潮社の『世界文学全集』30にはドーデの『サフオ』も収録され、無想庵もまた昭和円本時代の恩恵を受け、それらの収入はパリでの生活費に当てられていたことになる。
現代日本文学全集

その後企画は同じく円本で当てた春秋社へと持ちこまれ、「いやいや春秋社が承知してくれた。春秋社は本気じゃない。一冊出して様子を見た上で続けるかどうかきめるくらいの気持である」と山本は無想庵と一緒にその場にいたかのように述べ、案の定『巴里の胃袋』一冊で終わってしまったと書き、それにもふれている。
パリの胃袋(藤原書店版、朝比奈弘治訳)

 春秋社版この『巴里の胃袋』はひどい本で、原題は「巴里の腹」という意味、レ・アール(中央市場)がテーマだが「巴里の腹」ではタイトルにならないから「巴里の胃袋」と訳したと武林が序文に書いたら、これが「巴里の勝」になっていた。勝ではわけがわからない。そもそも校正したかどうか疑われる本で、即ち末端に至るまで出す気のない本だということが分る(後略)。

確かに『巴里の胃袋』の「訳者の序」を見てみると、「Le Ventre de Paris―迄訳すれば『巴里の勝』だが」という書き出しが目に入ってくる。しかしこの冒頭の誤植はひどいにしても、山本がいうように「巻末まであるまじき誤植に満ちている」といった指摘は当たっていないし、山本の偏見であり、無想庵の「名訳」に見合った原書の挿絵掲載、フランス語のルビ処理、訳注の問題も含め、「ひどい本」ではなく、十分に合格点を与えることのできる仕上がりになっている。

だが山本の春秋社への不信はそれだけにとどまらず、『ゾラ全集』が出ないので、無想庵が再び帰国して春秋社に催促したこと、すでに翻訳にとりかかっていた『ラ・テール』(大地)の口述筆記を自分がしたことを書きとめている。無想庵の帰国の際にまだ少年だった山本夏彦はこの亡父の友人と宿命のように出会い、一緒にパリに赴くことになるのである。

それらの事情はひとまずおくにしても、確かに『ラ・テール』は春秋社から出されず、その十年後の昭和十六年になって、フランス装の『地』上中下巻として刊行に至っている。これは脇屋登起を発行者とする、本郷区湯島の鄰友社から刊行されていて、山本の『無想庵物語』にも言及はなく、巻末の「物語の索引」にもその名前は見えない。おそらくそこにはまったく別の無想庵とゾラをめぐる出版の物語があったと推測することもできよう。ちなみに記しておけば、下巻にだけ挿絵が掲載され、それは民家を描いている向井潤吉の手によるものである。

さてここで山本の『ゾラ全集』に関する記述を整理してみると、これは無想庵が企画し、朝日新聞社改造社に持ちこまれたが、断わられてしまった。そこで結局のところ、春秋社が仕方なく引き受けることになった。しかし全集として出す気はなく、校正もいい加減であり、『巴里の胃袋』一冊を出しただけで、終わってしまった。これが『無想庵物語』において山本が提出している構図であり、それは前述したように、無想庵自身の『むさうあん物語』による回想に基づいているのだろう。

しかし本連載でずっと春秋社の『ゾラ全集』や改造社の「ゾラ叢書」のことをたどり、既述してきた事実からすれば、山本のいうゾラの出版の物語は間違いと誤解に充ちていることになる。それが出版の諸事情に通じているとされる山本の記述であるだけに、個々の出版物をめぐる真実の物語の伝承に関する難しさをあらためて教えてくれる。今一度、『ゾラ全集』と「ゾラ叢書」に関する記述を繰り返すことはしないでの、確認したい読者は本連載の188189などを再読してほしい。

ここでは言及しなかったが、無想庵の妻である文子をめぐる愛人関係は錯綜していて、本連載でも取り上げた黒田礼二、また農学者の池本喜三夫もそれらに連なり、後者は帰国してから『仏蘭西農村物語』(刀江書院)という貴重なフランスの農村に関する一冊を著している。私は『大地』を翻訳するにあたって、マルク・ブロックの『フランス農村史の基本性格』(河野健二、飯沼二郎訳、創文社)とともに同書を参考にし、大いに助けられたことを付記しておく。

大地

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