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古本夜話245 冨山房の土井晩翠訳『オヂュッセーア』

楠山正雄と冨山房について、ずっと言及し、前回は杉山代水にもふれたので、二人に続いて、『冨山房五十年』には見えていないが、昭和十八年に刊行したホーマー著、土井晩翠訳『オヂュッセーア』にもふれておきたい。これはその「序」にあるように、「叙事詩は韻文に訳すべし」との土井の方針に基づき、同十五年刊行の『イーリアス』に続く、ギリシャ語原典からの七五調による韻文訳で、一万三千行に及んでいる。
オデュッセイアー(呉茂一訳、岩波文庫)  オデュッセイア (松平千秋訳、岩波文庫)

私はホメーロスにも通じていないし、土井に関しても「荒城の月」の作詞者、明治期の詩人、英文学者といったことしか知らないのだが、この『オヂュッセーア』の翻訳の存在だけは記憶の中にずっととどめられていた。それははるか昔の四十年ほど前のことで、当時都市出版社から出された、幻のマゾヒズム小説と伝えられていた沼正三の『家畜人ヤプー』を読んだからだった。
家畜人ヤプー (角川文庫版)
それはエピグラフにあったのだ。

 その時魔女(キルケ)は杖あげて
       われを打ちつつ叫びいふ
 「いざ今汝獣欄(獣の檻)に
       行きて他と共そこに臥せ」

そしてこれが土井訳の『オデュッセーア』(以下二重表記)の出典だと記されていた。

これは『家畜人ヤプー』のマゾヒズム物語と構造を十全に伝えるメタファーとなっていて、いつか入手し、読んでみたいと思っていたにもかかわらず、長い年月が過ぎてしまい、それが実現したのは馬齢を重ねた最近のことであった。

水シミのある疲れた裸本だったが、カラー挿絵二十三枚が挿入された八百ページに及ぶ大冊で、昭和十八年の出版事情を反映してか、用紙は上質でないにしても、初版四千部と奥付に記されていた。このような時代にあってさえも、いやこのような戦時下であるがゆえに、ギリシャ古典を購入する読者は必ずいたはずで、沼正三もその一人だったと考えて相違ないと思われる。

この冨山房本によって確かめると、エピグラフの部分は第十歌の319・320行の「その時魔女は杖あげてわれを打ちつゝ叫びいふ、/『いざ今汝獣欄に行きて他と共そこに臥せ』」にあたるとわかる。第十歌のこの部分はオデュッセイアの舟が魔女キルケの住むアイアイエー島に着き、キルケによって彼の従者たちが魔薬を与えられ、獣と化す。オデュッセイアはそれを聞き、霊薬を携え、キルケと対決する場面に当たっている。しかしその膨大な韻文訳の中からこの二行を抽出し、『家畜人ヤプー』の物語そのものの核心を示すエピグラフとして掲げた沼の、読み巧者ぶりは見事だと感じいってしまう。それほどまでにこの二行の韻文訳は強度な喚起力を発しているし、それは『家畜人ヤプー』にふれた読者であれば、ただちに理解されるであろう。

この戦後における散文訳を高津春繁訳(『ホメーロス』所収、『筑摩世界文学大系』2)で見てみると、「かの女は杖で打って、呼びかけて言った。/『さあ、豚箱におはいり、お前の仲間と一緒にねるんだよ』」となっている。これでは土井訳の韻文の凶々しいイメージとオブセッションはまったく消えてしまい、凡庸な散文と化してしまっている。どうして『家畜人ヤプー』のメタファーに他ならない「獣欄」が「豚箱」へと変わってしまったのだろうか。

そこで手元にある英訳Homer , The Odyssey.(translated by E.V.Rieu , Penguin Books)を参照してみた。するとそれは次のようなものだった。

The Odyssey

 She touched me her wand and sharply ordered me to be off to the pigsties and lie down with my friends.

つまり高津訳と英訳はほぼ同じであり、これは両者のギリシャ語原典もまた同様であることを示しているのだろうか。ただこの部分はともかく、他の箇所は異同があるので、同じテキストではないのかもしれない。

もちろんこのような詮索は私の能力を超えるものなので、ここでもう一度土井晩翠の証言に戻ってみたい。彼は『オデュッセーア』の西洋における研究や翻訳が無数に出ていることを述べた上で、二百余年前のポープの翻訳について、次のように記している。

 ギリシャのアルファベットも知らなかった二十歳頃、私はポープの英訳を読んで驚嘆したことを今思い出す。ポープは殆んど独学的で、ろくにギリシャ語を読めなかつたらしい、(『オヂュッセーア』訳の半分は二人の助手FentonとBroomeとが成した)、しかし其絶大の韻文作成の天才によつて(甚しい誤謬と添加と省略とに関らず)絶好の読みもの「ポープのホーマア」を作り上げた、恐らく一般の英国のオーマア読者はポープによるものが多数であらう。ポープは此訳の完成のお陰で一生座食するだけの原稿料並に「当代第一」の名誉をかち得た。

英語と日本語の韻文はまったく異なるものではあるけれど、ここに示されたポープの「絶大の韻文作成の天才」に、土井も学ぶことが多かったのではないだろうか。ポープ訳『オデュッセーア』に目を通す機会があったら、ぜひ『家畜人ヤプー』のエピグラフに掲げられた土井訳の部分を確かめてみたいと思う。

あらためて国立国会図書館編『明治・大正・昭和翻訳文学目録』(風間書房)を繰ってみると、ホメーロスの戦前における翻訳は少なく、しかもそれらはほとんど重訳で、ギリシャ語原典訳は土井が果たした快挙とでもいうべきではないだろうか。この『目録』によって、昭和二十五年に三笠書房の「世界文学選書」に土井訳『オデュッセーア』『イーリアス』の双方が収録されていることを知った。彼が亡くなったのは二十七年なので、その前に彼のホメーロス翻訳はもう一度刊行されたことになる。

イーリアス (冨山房、復刊)

なお最近、浜松の時代舎で、土井の第三詩集『東海遊子吟』(大日本図書、明治三十九年)を目にしたことを付け加えておく。

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