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古本夜話300 平林鳳二、大西一外『新撰俳諧年表』と書画珍本雑誌社

これは特価本業界とダイレクトな関係は見えないけれど、前回に続いて大阪の俳句絡みの一冊を取り上げてみる。それは平林鳳二、大西一外を著者とする『新撰俳諧年表』で、大正十二年十二月に発行され、翌年の一月に再版が出されている。発行所は大阪市東区北久宝寺町の書画珍本雑誌社、発行者は同じ住所の平林縫治である。著者の平林鳳二と発行者の平林縫治は同一人物と見て間違いないだろう。

四六判上製箱入、六百ページに及び、定価は四円五十銭とあるので、版は重ねているにしても、高定価少部数の出版と見なせるし、これが関東大震災後における大阪の出版ということにも留意しておく必要があると思われる。その年表は「九月一日、東京、横浜、小田原地方に有史以来の大地震あり、激震と共に火災を起し、(中略)横浜、横須賀、熱海、小田原は全滅し、死傷者数十万人に達す」という一文で終わっているといっていいからだ。ここで日本近代史と同様に、「俳諧年表」もひとまず切断されるという認識がこめられているはずだ。

さてこの『新撰俳諧年表』の内容と特色だが、それを同書の「凡例」から引けば、「文亀元年より大正十二年に至る四百十三年間に於ける著名の俳人七千余名の伝記事蹟、著書、其他の事柄を年次的に摘抉せるものなるが、特に伝記集成に力を尽せり」とあるように、それらは年表部分に書きこまれていることに加え、二百五十ページ余の「俳家人名録」にも表われている。それゆえにこの一冊は類書がない労作だと思われた。だが著者にしても出版社にしても何もわからず、「凡例」に挙げられた編集協力者二十人のうちで、よく知っているのは岡本綺堂一人で、以前に名前を見ているのは聚英閣の『其角全集』の編者としての勝峯普三だけで、その他の人々はほとんど初めて目にする名前ばかりであった。

そのような理由で、この一冊を入手したのは十年以上前だったにもかかわらず、同書のアウトラインが少しつかめたのは最近になってからだといっても過言ではない。それでもずっと気にかけていたので、自分のメモがはさんであり、雲英末雄の『俳書の話』(青裳堂書店)に『新撰俳諧年表』は六ヵ所出てくるが、著者や出版社については言及なしとか、『書物往来』大正十四年七月に結城禮一郎の『書画珍本雑誌』求むという探書記事ありとか記されていた。

結城は本連載278などでふれた「春石部屋」の常連で、私も「結城禮一郎と『旧幕新撰組の結城二三』」(『古本探究3』所収)で取り上げている人物である。結城は集古会の近傍にもいたと思われることから、『書画珍本雑誌』やその発行者の平林鳳二が『集古』に関係しているのではないかとも想像された。しかし集古会名簿の『千里相識』(『書物関係雑誌細目集覧一』所収、日本古書通信社)にその名前は見あたらず、それ以上の手がかりはつかめないままに年月が過ぎていったことになる。
古本探究3

そして近年になって、昭和三十二年に明治書院から出された三段組千ページの及ぶ『俳諧大辞典』を入手し、そこにようやく『新撰俳諧年表』の立項を見出したのである。既述してきた以上のことは記されていないけれど、同書に関するスタンダードで公式な唯一の立項かもしれないので、それを紹介しておく。
俳諧大辞典

 新撰俳諧年表 しんせんはいかいねんぴょう 俳諧年表。平林鳳二・大西一外著。大正十二年十二月、書画珍本雑誌社発行。文亀元年(一五〇一)から大正十二年(一九二三)二至る四百十三年間における著名の俳人七千余名の伝記・事蹟・著書、その他の事柄を、年次的にしるしたもので、俳名索引と俳家人名録がついている。多年の苦心に成るもので、俳諧年表としては最も充実した内容を持ち、研究に寄与するところが多い。なお、俳諧年表としては、他に、角田竹冷閲・牧野望東・星野麦人『俳諧年表』明治三十四年刊、角田竹冷監、牧野望東編『俳諧年代記』明治四十二年刊などがある。

他の二冊は『新撰俳諧年表』にも見えている。しかし『俳諧大辞典』において、著者の平林と大西は立項されておらず、書画珍本雑誌社に関しても何の言及もなく、『新撰俳諧年表』をめぐる肝心な著者情報、企画編集事情、発行出版社については何もわかっていないことに変わりはない。

編集協力者にしても、勝峯の他に立項されているのは宮島五丈原と青木月斗の二人だけで、前者は大野酒竹が首唱した俳諧結社筑波会のメンバー、後者は子規門下の大阪の俳人で『ホトトギス』に属していたことはわかるにしても、著者たちと同様に、他の人々も不明のままで、『新撰俳諧年表』と書画珍本雑誌社へと至りつく道筋が浮かんでこない。要するに戦後を迎えても、「俳諧年表としては最も充実した内容を持ち、研究に寄与するところが多い」一冊なのにもかかわらず、大阪の俳諧関係者たちを中心にして編まれ、同じ大阪の小さな好事的出版社から出されたこと、関係者も物故し、行方もたどれず、もはや『新撰俳諧年表』の成立と出版事情がつかめなくなっていたことを、『俳諧大辞典』における立項は語っているように思える。

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