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古本夜話 330 ロマン・ロランの大杉栄訳『民衆芸術論』

全国出版物卸商業協同組合に関する連載が長くなってしまったが、ここで再び楠山正雄関連のところに戻る。
本連載235で楠山正雄の『近代劇十二講』がロマン・ロランの『民衆の芸術』に基づいていることを既述しておいた。

あらためて大正時代におけるロランの翻訳を、国立国会図書館編『明治・大正・昭和翻訳文学目録』(風間書房)で確認してみると、植村宗一の人間社による『ロマン・ローラン全集』全六巻、国民文庫刊行会や新潮社の『ジャン・クリストフ』(後藤末雄、豊島与志雄訳)、叢文閣の『愛と死の戯れ』(片山敏彦訳)、『クルランボオ』(野尻清彦訳)、『ベートオヱ゛ン』(高田博厚訳)などに加え、『民衆の芸術』も二種類の翻訳が出ているとわかる。それは大正九年の『民衆劇論』(木村荘太訳)と、同十年の『民衆芸術論』(大杉栄訳)であり、前者は前出の人間社の『全集』第二巻に収録され、後者はアルスからの出版になっている。

ジャン・クリストフ (岩波文庫、豊島与志雄訳)愛と死の戯れ (岩波文庫、片山敏彦訳)

『同翻訳文学目録』の四ページにわたる数多くのロランの訳書を見ていくと、日本におけるロランの翻訳が大正時代から始まり、とりわけ戦後になってみすず書房の『ロマン・ロラン全集』の刊行、及び様々な文庫や世界文学全集への収録も必ずあって、ロランはかなり長きにわたって最もよく読まれた外国文学者の一人だったとわかる。私にしても今となっては信じられないことだが、中学生の時に『ジャン・クリストフ』を読んでいたのであり、ロマン・ロランの時代というものも確実に存在していたといえる。

木村荘太訳『民衆劇論』は未見だが、大杉栄訳『民衆芸術論』は現代思潮社版『大杉栄全集』第十一巻に収録されているので、現在でも読むことができる。その解題によれば、初版は大正六年に北原白秋の阿蘭陀書房から刊行されているようだ。

民衆芸術論

ロランはこの『民衆芸術論』の刊行とパラレルに一連の革命劇を書き、民衆劇運動に取り組んでいたとされる。それは一九〇三年の「初版序文」にもはっきり表われている。それを大杉訳で引く。

 平民劇は流行の商品ではない。ディレッタント等の遊びではない。新しき社会のやむにやまれぬ表現である。その言葉である。そしてまた、危険の際の自然の勢いとして、凋落しかかっている老衰した旧社会に対する、戦いの機関である。少しでも曖昧であってはならない。ただ題目のみが新しい、新しい旧劇、すなわち民衆劇の名のもとに変化を求めんとする紳士劇を演ることではない。平民から出た平民のための劇を起すのだ。新しき世界のための新しき芸術を建設するのだ。

そしてロランは近年に至って社会主義が発達したことによって、「芸術家が平民を発見した」と述べている。これまで「芸術」は「平民」を生きる者、観衆、審判者として見てこなかったが、その動きが高まり、新しい劇も含めた「民衆芸術」という言葉が生まれてきたと。

それからロランは「過去の劇」として古典喜劇、悲劇、浪漫劇など、「新劇」としてメロドラマや史劇などを検証し、さらに劇以外の祭典の中にも平民の姿とその軌跡をたどり、その結論として、生活そのものが劇や芸術となる理想の社会を幻視するに至る。

前に引用しておいた楠山の『近代劇十二講』における格調高い宣言がロランの言葉に基づき、その構成もまた『民衆芸術論』を範としていることがよくわかる。それにまた「新劇」という言葉自体が、この『民衆芸術論』によっているのかもしれない。

そしてこの大正時代に、日本においても芸術や文学を通じて「平民」や「民衆」が発見されたのであり、それは本連載でも論じてきたように、「農民」を始めとする「労働者」「無産階級」「プロレタリア」も同様だったと考えられる。しかもそれはそのような具体的な人々や抽象的な階級だけでなく、これもまた本連載で言及して生きた様々な宗教と社会主義、健康法と身体術、心霊と霊界、児童と女性、性と身体、自然と風景、ロシアと革命、マルクスとコミュニズム、詩と大衆文学といったあらゆるファクターが欧米のフィルターを通じて、目まぐるしく流入し、それらが次々と雑誌の中に移され、書籍となって広く伝播していったと思われる。

これも繰り返しになるが、それらのすべてが出版活動を伴いながら進行していったために、文学の分野だけにおいても、紅野敏郎の『大正期の文学叢書』にうかがわれるように、あの短かった大正時代に、信じられないほど多くの叢書が送り出されたのである。今それを数えてみると、八十八種に及んでいて、もれている叢書も当然あるはずだから、いかにそれらの出版が盛んであったかがわかるし、それに象徴されているように、多くの出版社が立ち上げられていったのである。すなわち多くの文学者たちが自らの手で出版を手がけようとしていた。それはまたリトルマガジンと同人誌の創刊にも結びつき、これらについては同じく紅野の『文学史の園1910年代』(青英舎)がよく物語っている。またそれらにおける発見の意味からして、ロランの『民衆芸術論』に示された民衆の発見が画期的なものであり、それが始まりでもあったように映る。
大正期の文学叢書    

それゆえに大正期こそは無数の発見の物語の時代であり、それが奔流のように流入し、日本的に換骨奪胎もされ、イメージの乱反射を伴って、出版というかたちで次々と送り出されていったのである。だからこそ、本連載170でふれた筑摩書房の未刊の『大正文学全集』が惜しまれるのである。私見によれば、これは『明治文学全集』と同様の百巻を必要とすると思われる。

明治文学全集 (第96巻、明治記録文学集)

しかしそのような大正時代の流れは関東大震災で切断され、それを受けて昭和円本時代が始まるのである。その円本の百花斉放も、大正時代のそのような出版をベースにして初めて可能だったのではないだろうか。

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